2026.08.09
🟨塾の使命について‼️
最初から解答・解説見て理解したらいいのか ⁉️
昔ある母親が、「先生、わたしは、数学は、解説を見て、解き方を覚えた方が早いと思うのですがね。わたしの受験時代の経験ですよ」と言ってきた。なかなか進まない息子の様子を見かねていったきたものだろう。「考えさせる」、というわたしのやり方に注文してきたわけだ。
今でも,そういう親が、一定数いるのだろう、と思う。
さて、話しは、変わるが、わたしはレジュメを作るために、よく数学を解く。偏差値70ほどの高校の問題が多い。この前解いたのは,円に内接する正三角形を基本にシンプル過ぎる問題だった。ある線分の長さを求める問題だ。相似でいくか、三平方か、相似なら複数ある。しかし、情報が足りないから、使えない。選択したアプローチがうまくいかないときは、ほかにやり方があると考えた方がいい。切り替えが大切だ。解けない解き方にいつまでも固執するのはアホだ。三平方は、正三角形絡みなので、特別三角形を使うのが筋かなとは思う。しかし,めぼしいところを試してもみな失敗。シンプルな問題ほど難しいものだ。補助線を引いて解くのかな,と一瞬考える。しかし,2つの試みも見事失敗、とてつもない数になるのだ。さてこれは困った。何気に与えられた、唐突とも思える数値、なぜこんなところの数値を与えるのか。実は最初からその意図を考えるべきだったと後でわかる。考えるより前に手が動いた、あっ、できたかも、できた。結果から見ると、簡単。もし最初に解答見ていたら、実に簡単な問題となる。確かにそれなら速く進むだろうな。これが解答、解説を読むやり方の盲点である。つまり、このやり方には、考える過程が欠落しているのだ。あれこれと工夫する過程がすべて割愛されて、最初から、答えがある。それを理解して終わる。このやり方を先の母親は、効率がいいと、わたしのやり方に文句を言ったのだ。
どちらが、問題に対する耐性ができるのか。難問とは、答えというか、解き方がわからないから難問なのだ。最初から解き方がわかっているものに、どういう耐性ができるというのか。ストレスも何もない。解き方を考えるから、頭にストレスがかかるのだ。工夫するという経験を端折って、与えられた解答を「なるほど」と理解する、何かの観客のような立ち位置で、どんな勉強になるというのか。
効率を言う母親は、あまりにも数学を知らなさ過ぎた。知らないから、抽象レベルで、物事を判断する。これは世間の親によくあることだ。事実から離れて、抽象レベルで、批判、非難するというのは。また、事実を誤解しているケースも多い。要するに、こういう人たちには、事実というものがないのだ。事実から離れて、建前だけの議論をする。事実を知らないで、知ったかする。そういうのばかりだった。
そもそも子どもを指導するというのは、子どもとの現実のやりとり、つまり、事実を踏まえての話しなのだ。そういう事実をまったく知らないで、こうあるべきだ論を振り撒く親がなんと多いことか。
現実に、実際に、毎日のように、数学や英語の、さまざまな問題を解いている人間には、事実から離れた主張はただただ戯れ言としか言いようがないのだ。
大手の授業方式は、最初から答えを見るのと同じ脳の働きしかない。要するに、受けるとるだけなのだ。解説を読むのも受けるとるだけ、授業で説明を聞くのも受けとるだけ、自ら知恵を働かせて工夫するという、脳を最も稼働させるストレスはない。ノンストレスの脳には何の変化もない。ふやけた脳ができるだけだ。あたりまえだ。授業も予習をすれば、そういうところがないこともない。しかし、ほとんどが面倒くさいの子どもたちが、そういうストレスのある予習をやるとはとても期待できない。
知恵と工夫、これがなければ、勉強ではない。常に、知恵と工夫を働かせる、凝らす、そういう訓練をすること、これが、塾という場でなければならない。塾とはそういうところだと、心得る。竹の会は、その意味で訓練の場であり、子どもたちは、知恵と工夫を凝らすことに馴化して来た。考えるとは、問題文を読み解き、知恵と工夫を働かせて、問いに答える、ことである。こういう脳の働きは、不断に訓練を重ねなければ、とても身につくものではない。さらに、指導がなければできる話しでもない。こうして、塾の目的は、子どもたちを訓練して、考える主体へと作り上げていくこととなる。
「教える」ことは、思考にとって、いや思考育成にとって、リスクのあることは忘れてはならない。個別指導にしても、家庭教師にしても、「教える」ところでは、思考は育たない。
「わからない」問題を「教える」の愚‼️
「わからない」のは、なぜ❓ そもそも基本の枠組みがないから❓それならその問題の解き方を、教えるのは意味がない。
子どもの指導とは、徹底して、訓練すること以外にない。教えるのではない。教えても成績は良くならない。たとえば、文字式は、教えるのではない。訓練して、演習を重ねて、体に覚えさせるのだ。理論をあーだこーだと、子供に振り回しても意味はない。最初は、訓練だ。だから塾で、習って、与えられた問題集をやる、そんな「お任せ」なんかやってたら、できるようになるはずがないのだ。お任せはダメだ。訓練の最初から最後まで管理してなんぼだ。
ほとんどの塾のやり方は、間違っている。なまぬるい。商売に都合のいいやり方をしているだけだ。






