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《渋谷で創立40年》都立中・都立高の受験対策

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟩新しい問題を解く力‼️

2026.08.23

🟩新しい問題を解く力‼️
 数学の問題を解くとき、わからない、解けない、というので、誰かに聞く、説明してもらう。その瞬間に、その問題は特殊化し、その特殊化した具体的な問題に対する解答、特別の解答として、その限りで終わる。
 「問題」というのは、とことん抽象化して、その上で、工夫することで、解決していくものである。他人から説明を受けるというのは、まだ問題を読み込んで考え、問題を抽象化していない状態で、工夫ということもないままに、突然解答、説明を受けるということだから、これは、具体的な問題、その意味で、特殊な問題に対する特殊な解答を理解する、という脳の働き方をするだけである。だから、次の問題が解けない。それはそれまでが特殊な問題であり、それには、特殊な解答があると当然のように思うからである。他人から聞いて理解するという方法は、具体的な問題に対する特殊な解答が用意されているのと同じで、特殊な解き方を、理解して、覚える、ということである。ここで、脳は特殊な事態に対する、用意された特殊な解答を理解することに使われる。つまり、問題を読み、その問題を十分に抽象化した上で、見えて来た工夫をして、解くという葛藤の過程がないのである。
 問題を抽象化するには、問題をひたすら読みこむことで、出題の意図を理解し、問題の意味(物語)がわかることである。抽象化とは、問題から、不要な部分を取り除き、純粋に必須要素のみにスリム化することである。工夫は、出題の意図から知れることもあれば、問題を全体から捉え直すことから見えてくることもある。定型化された工夫というのもある。図を凝視することから見えて来ることもある。補助線が見えなかったものを見える化することもある。何個か具体的に書き出してみて、規則性が浮かび上がることもある。工夫して「学ぶ」、これが理想である。
 算数、数学を「解いて」四十年の歳月が流れた。今も「解く」現役である。
 「解けばいい」ということではない。できるだけシンプル、簡明な解を理想とする。問題には、たいていとっつき易いアプローチというものがある。しかし、問題を作る側としては、それでは選抜にならないから、フェイクの道筋を作る。迷路の選択を誘うのだ。先の見えない選択をしないことだ‼️
  これは、人生の選択ではない。数学のアプローチの選択である。もっとも人生の選択についても妥当する。もっとも数学では、既に答えのある問題のアプローチであるが、人生は予めの答えなどない。しかし、経験上妥当とする答えはなくはない。
 選択の結果、すぐ迷路に嵌ることがわかる、ことがある。これは、捨てるべきアプローチである。また、解き出した途端に、これはとてつもない計算になるぞというときも、それは正解ではない。経験上正解の道なのだろうというのは、わかる。そんな大変な計算でもない。ただ少し大変かな。計算で出て来る数字が、いい数字、144とか、169とか、そんな時、いい感じで進んでいると思う。
 どうしても正解への道が見つからない、ことがある。毎日数学を解いていると、何題かに一題の割合でそういう問題に遭遇する。そういうときは、もちろんあれこれ悩む。問題を読み直す。見過ごしていた条件、例えば、「平行」とか、そういうこともある。問題の読み違えもたまにある。とにかく注意深くもう一度問題を読み直すことで、見つかることが多い。正解の道の発見には、常識が助けてくれることが多い。常識的に考えてこうなるはずだ❗️そんな方法は常識に反する‼️と軌道を修正して行き、正しい道を消去法で追い込んで行く。こういう経験を毎日のように続けていれば、数学の問題を解こうというとき、一つの構えというか、心のスタンスみたいなものが、できてくる。あらゆる試練を潜り抜けて来た、耐性心のようなものが支えになっている。

 これを新しい問題を解く力と呼ぶことにする。新しい問題を解く力は、工夫と葛藤を経ることにより得られるものである。他人から棚からぼた餅,瓢箪から駒のように得られた答えには、工夫の跡も葛藤の欠片もない。脳にはなんの成長もない。新しい,未知の問題に対する耐性は工夫、つまり知恵と葛藤という混沌の中でのもがきなしには得られない。
 

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