2026.09.14
🟩家庭学習が合格を決める‼️
小6で最低5時間、中3は7時間‼️
2、3時間の勉強で受かると思いますか。
そんな程度の勉強で合格できると思っているなら、受検はとりあえずやめましょう。
家庭学習ゼロで、受検をする意味がわかりません。
中学生の勉強時間は、最低5時間、理想7時間ですね。
小5でも最低5時間が理想、小6は5時間以上ですね。
受験というのは、他との熾烈な潰し合いです。生存競争ですね。生き残りをかけての競争です。しかし、特に、都立中学受検の、多くの親子には、そういう意識、覚悟というものはありません。無理しなくていい落ちたら、区立でいい、そういう親が多い。それはそれでいい。問題は、区立に行ったとしても、生存競争からは逃げられないということです。それならそれで、基本を固める、そのためにも、覚悟を持ってやらなければならない。親のどっちつかずの態度が、子のやる気を削ぐことにもなりかねない。
さて、子に受かりたいという意識が、そもそもあるのかどうか、で結果は左右されます。そういう追い詰められた、ハングリーな意識がないから、いくらでも遊ぶ❗️それが命取りになるとも知らずに❗️
と言っても頑張れば受かるかと言えば、そうもいかない。頑張ったのが、遅ければなおさらだ。IQ勝負なところがある。頑張るといっても、小4から頑張るのと、小6からでは話しが違う。先の勉強量を小4からこなした子もいる。小6になっても勉強は塾だけという子もいた。
わたしは、もう40年もの間、高校入試を指導して来た。たいていの事態は経験して来た。
よく見通しの甘い親子の泣く姿を切ない思いで見て来た。
そういう悲痛な経験が、高校受験では、警告を発する動機となっていた。
中学受検と高校受験では、事情が異なる。落ちたときの悲劇の甚大さは、高校受験に勝るものはない。特に、東京には、都立高校しか行けないという家庭が多い。そういう家庭には都立は絶対の前提なのだ。だからこそ、真剣に悩み、親や子に、こうすべきだ、と訴えてきたのです。しかし、わたしの悲痛な思いが通じるのは稀です。ほとんどの親は、中3になるまで、わたしにはのんびりして構えているとしか思えない。
中2までに、準備を終えること、これをわたしは、悲痛な思いで訴えてまいりました。何故って、そうしなければどうなるか、どういう事態になるか、わかっていたからです。親子が入試で泣いている姿をもうみたくない。だから訴えて来た。しかし、わたしの言うことを真摯に受け止めない子ども、中3になって頑張ればいいだろうという軽い考えの親ばかりだ。また親が一生懸命でも子が全く勉強しようとしない,そういうケースもあります。そういう子はいくら事の理を説いてもわからない。勉強しなければどうなるのか,それを理解できない。しかし,わたしにはわかる。確実に来る未来の悲劇が。今しかない、今しかないのだ、というわたしの思いは、しかし通じることはなかった。わたしの思いは虚しく潰えてしまう。いや、これももう何度も繰り返されてきたドラマではある。もはや手遅れ、そういう事態になって、悲惨なドラマの当事者になる。そういうドラマになる。
唯一の救いは、わたしの助言を聞いて、動いてくれた人もいることである。
40年の経験は、ただの飾りじゃない。わたしには、高校入試で、辛酸を舐めた、数しれぬ修羅場を潜り抜けて来た歴史がある。もちろん華々しい成功を収めた経験も数知れない。そういうわたしを鰯の頭として信頼してもらえば、わたしの言うことが、決して絵空事ではないと知るはずである。40年の経験というのは、言葉で言えない人生ドラマの連続だった。竹の会が塾激戦区の渋谷で42年生きながらえて来た間に、どれだけ多くの泡沫塾、中大手塾も含めて、生まれては消えていったことだろうか。竹の会はそれを横目に見ながら他山の石として切磋琢磨して来た。40年の経験が受験、塾というもののあるべき姿を浮き上がらせて来た。見える、よく見える、子ども、親、そういうものが鮮やかな映像として見えるようになった。
わたしには、多くの親が、選択を誤る姿が、手に取るようにわかる。塾に勝手な幻想を抱き、子どもを大手塾に入れる。そこから誤算が始まる。大手は、天才児しか想定していない塾構造だ。集団授業で理解しながら進める子は、もともと塾に行かなくてもできる天才なのだ。天才指導にはまたそこはそこで問題があるが、ここでは、その他大勢の凡人の子の親たちが、大手塾で課金地獄に落ちて行くのは仕方ないとしても、子どもは一生を棒に振る人生の選択をしたことに親が手を貸しているという、残酷な問題がある。
その他大勢の、凡人は、大手のカリキュラム方式で、潰される。そういう子はそもそも受験など考えてはいけなかったのだ。それよりも個人の意思を尊重しながら、考える力を育てていくことが大切なのだ、と悟ることもないままにまた大勢が区立中の底辺に落ちていく。救われない人たちは親の浅はかな選択から落ちていく構造である。
なによりも考える子に作りあげること、これは周りの大人、特に、親の責務ではないか。愚にもつかないカリキュラムなんかに大切な子どもを放り込んで、「おたくのお子さんは学力がない。したがって」と勧められるオプション講座という課金地獄に親共々溺れてどうするというのか。2年経ち、3年経ち、3年前と変わらない、貧しい思考しかない子というなれの果て、それでゲーム・オーバー‼️






