2026.09.26
🟩勝ち方を学ぶ者は負け、負け方を学ぶ者は生き残った‼️
勝ちとは、運である。失敗は生存のための教科書となる❗️
勝者の言う「この方法で勝った」は、そのまま信用できない。その方法だけが、すべてを決めたかのような誤解をしてしまうのが凡人である。
勝者の家庭環境はどうだったのか。両親の教育への関心度、学歴・職業、兄弟の有無、収入の多寡、家の広狭、祖父母の有無、教育費にどれだけかけられるか、本人の知能、学校、社会性、その他あらゆる条件の中で、その方法が意味を持つ。方法だけ取り出して、合格者の方法だからとその方法を有り難がることは、あまりにも雑である。また、合格した方法と言っても、合格者の主観に過ぎないかもしれない。ただ運がよかっただけ、最後にたまたま取った方法が合格と結びついただけかもしれない。知能が高かったから受かっただけかもんしれない。人間なんて所詮偶然をまるで最初から意図したように語る猿なのだかせら。方法は偶然のことがほとんどだ。
私たちたちは、成功者から学ぶものはないと知らなけれならない。成功者は、誇張し、自尊心あるいは見栄から嘘もつく。事実と虚構をない混ぜしにして語るのが成功者だ。
もし両親が東大卒なら、成功者の方法は、純粋に方法がよかったから、成功した、とは言えまい。東大医学部に三人の子を合格させたとして,ママが、育て方を本にしたり,講演会が引っ張りだこという話を聞いたが、育て方の問題なのか。何か話しをすり替えていないか。ましてそれに飛びつくテレビもその程度で、それに騙される視聴者もその程度ということ。視る国民のIQが低いから、テレビもそれに合わせるのだろうけどね。芸人出してちょうどつり合う国民,そういう国民を相手にしている政治家も危機管理ゼロは証明済みの、頭の固い人間ばかりになった。新型コロナのワクチン騒動は、政治家や学者のバカ発見器として見事に機能した。
ある年、青山に失敗した生徒がいた。なぜ失敗したのか❓
内申を報告したことがなかった。模試はこっそり2回外部で受けただけ。レジュメはやるよりも市販の参考書をやっていた。季節講習は最少限で済ませた。普段も指導時間も少ない。費用が安いから少ない時間にした。何をやるかは自分で決めた。母親から何を相談されたこともない。
上には不合格の理由が散りばめられていますね。
前提として、指導者を信用していない,のかな。数字を隠すのは致命的ですね。内申も知らない,レジュメで判定もできない,模試の結果も知らない,指導不能です。これはどうも自尊心からのよう,いいかっこうしたいわけです。できると思われたい。つまり、指導者が、リアルタイムの実力を把握できていない。指導時間の絶対的不足は致命的ですね。
このように失敗者からは、多くのことを学ぶことができる。しかし、成功者からは何も学ぶことはない。下手に成功原因を取り出すと、誤解しかない。
総じて成功原因というものはわからないものである。あれもこれもということになる。例えば、ある問題集がいいと言う、しかし、それまでの勉強履歴からその問題集に至った物語は語られない。みな歩んで来た道は異なる。だから同じ問題集がいいとは限らない。たまたま合格者にはよかったということだ。
合格は運だ。だから合格を捉えて、自分の選択が正しい前提で、他人に方法を説くなど、的外れなのだ。
世の人は、成功談、合格体験記に飛びつく。しかし、学べるのは、不合格体験記なのだ。合格者が使った参考書、合格者が使った文房具、何もかもを有り難がる。それで受かるということになる。IQはまるで関係ないかのように、方法だけが一人歩きする。ママの育て方が一人歩きする。ママが得意に講演する。アホらしい。その程度のママの話しなど聞きたくもない。






