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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

「読む」人になれ‼️

2022.07.26

 

「読む」人になれ‼️
 中学受験、高校受験、もしかしたら大学受験でさえも、暗記主体の勉強をする人が、普通なのかもしれない。そういうわたしも、大学受験まで、暗記中心の勉強をしてきた。と言っても、ノートにまとめるということは一切やらなかった。ひたすら読んだ。赤鉛筆と青鉛筆を使って、線を引きまくった。山口真由さんとはここで違った。
 暗記型の勉強の人は、とにかくノートにまとめたがる。膨大な知識を目の当たりにして、とにかくまとめなきゃーと思うのだろう。しかし、この型、方法には、致命的な欠陥を多々抱えている。
 第一に、まとめるという作業は、天文学的な時間を要する。
 このとき、まとめる、つまり、「書く」時間は、考えていない、これが致命的だ。一応、理解してから、まとめる、そうなのだと思う。しかし、あまりにも本が厚いとどうしても理解よりまとめる方に力が入る。理解するにしても、鳥瞰的な理解はない。本当に局所的理解だ。そして、まとめ終わっ時に、今度は、そのまとめが膨大な量になっている。それを読むとしても、本文を読むのと違い、まとめたものを読むのは、ななか頭に繋がらない。
 結論から言えば、まとめるのは必要ない。いや害悪である。
 山口真由流が正しい。線を引くかどうか、マークをつけるとか、枠で囲むとか、これを勉強法として、本を書いている資格試験の講師もいた。
 一時期、東大の20歳の学生がLECから司法試験に受かったことが新聞で報じられた。その学生がエール出版の体験本に、マーカーを使って、基本書を色分けして、読んだ、ということが、書かれてあって、それから基本書をマーカーで色分けするやり方が流行りだした。
 ひたすら読む、これが一番の方法だ、と思うようになったのは、いや確信になったのは、ここ数年のことだ。
 読むことに集中すると、とにかく文意を掴むことに気が集まる。また、文脈を追うことに注意を注げる。全体との関係を意識しながら、読む余裕もできる。
 線を引くのは「気が散る」。読みに専念できない。また、線を引くと、今度は、線を引いたところだけ読み、他を飛ばす習性がつく。線がなければ、いつも注意深く、改めて意味を取ることに注意が払われる。
 読書百遍、自ずから通ず‼️
 ただ1ページから最後まで通して「読む」ことはない。好きなところから読めばいい。また、飽きたら、別の本を同じように読む。わたしの場合は、何冊かを同時に読むことが多い。一つの本のある箇所で考え込むと先へは進めないから、そこで一休みする。
 専門の本だと、入門書、基本にこだわった書、本格的な体系書とあるが、まず、入門書は役に立たない。わたしは迷わず、基本にこだわった本を勧める。専門体系書は、基本を飛ばしているため、つまり前提を省いているため理解困難となるし、専門ゆえの無駄が多すぎる。しかし、この基本に忠実に、つまり読者を学生として、書いた本というのがなかなかない。学者の専門書は、他の学者相手に議論していると思えばいい。勝手にやってろ!
 予備校の本は、合格しただけの素人が書くから底が浅い。
 わたしが目をつけたのは、大学の通信教育の教科書だ。しかし、これも下手をすると気負って書かれると全体のバランスに欠ける。また著者の国語能力の低レベルのために意味が取れないということも多々ある。あと大学の内部で使う講義案にいいものがよくある。かつてわたしは立教大学の田宮教授の刑訴の講義案を手に入れて読んだことごある。いい本だった。近畿大学の通信のテキストにはいいものがある。あと日大の内部テキストにもいいものがある。
 本な繰り返し読む。山口真由さんは7回繰り返す、とその著書にあったが、この点は、わたしと偶然一致していた。ただ山口真由さんの集中力は並外れている。だから普通の人がそのまま彼女の言うことを鵜呑みにして真似はできない。
 素読み、音読、とにかく読み方の工夫をしてみるといい。線はひかない。マーカーなんか、とんでもない。何度目かに、文頭の文字が、目印になる。何度も目に触れると文字街の街並みを覚えてくるものだ。文字街の街並みの目印ができてくる。気になるフレーズが目印になることもある。
 こうして、結局、重要なのは、読む本の質である。自分で、いい本を見つける、見抜ける、真贋を見極めるまでには、相当の時間とコストを要する。今は書店で立ち読みして品定めすることもない。ほとんどがアマゾンか何かである。だから取り寄せては失敗する。レビューもあまりあてにならない。説明文、画像なんかは、真贋の参考にはなるけど今のところ失敗が勝っている。問題は本のコンセプトだ。レビューが誉めてるとたいていダメだ。サクラレビュー、身内レビューも想定しなければならない。
 あたりを引いたときは、やったーという感じである。外れ本は、メルカリに出す。
 正直、中身を読んでみるまではわからない。これはなかなかのスグレモノという本を見つける喜びというのはある。
 ヤフオクとメルカリは、わたしには、必須のアイテムだ。ただ古本はどうもダメだ。あの匂いが、我慢ならない。湿気とカビの融合した、あの独特の臭みは耐えられない。
 書き込みのある本は、やはりダメだ。新品、未使用に限る。たどし、書き込みなしなら、可とすることもある。
 メルカリには、ときに、拾い物がある。ただ、出版年度と未使用かは、必ずチェックしなければならない。

 絶版本が手軽に手に入るようになって、時代の変化を肌に感じる。

 

 

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