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例えば,志望校の過去問が10%しか取れないという人たちのこと  開成・筑駒の攻略法 都立戸山の攻略法 桜修館攻略の定番 🎶「解く」とは、観察力である‼️

2023.09.08

 🎶「解く」とは、観察力である‼️
  まず、問題を仔細に観察することである。
  文章の成り立ちを観察する。順接、逆接、つまり、文章の繋ぎに注意を払いながら、冷静に観察する。
  順接とは、文と文が、「したがって」の関係にあることである。何かを述べて、「したがって」と文というものは、進んでいくものである。
  逆接というのは、自分の考えに反対の立場に言及する場合である。自分の考えに反対なのだから、そこには、自分の考えが、鮮明に浮き上がってくる、と言っていい。よく、「しかし」という接続詞の後には、筆者の価値観が顕れるというのは、このことを言っている。
 繰り返します。文章というのは、「読む」というより、「観察する」というスタイルで文字を「追う」ことなのではないか、と思います。
 筆者の「言いたいこと」をどうやって拾うか。
 形式的なことを申しますと、筆者の述べたいことは、文のスタイルに現れます。
 まず、文章の最初の、つまり、第一文は、筆者の言いたいことが、含蓄されている、と思います。
 次に、文章の最後の一文です。ここにも、筆者の言いたいことが、含蓄されていると思います。
 ほかに、先程申し上げました通り、「しかし」の直後の文です。ここで筆者は、反対の立場と、激しく闘っているからです。そうです。筆者は、反対説を批判しながら、自説の正しさを力説すると思います。
 ほかに、筆者の主張が、表れるのは、筆者が、疑問形というか、修辞疑問、疑問を投げかけながら、実は、強く否定している場合です。「果たしてそうなのであろうか」とか、「何々なのであろうか」と言った形です。このような疑問の提示は、かなり強い「そうではあるまい」という意思を含んでいるものと思われます。
 よく、理解したとは、内容を一言で言えること、であると、言われます。その真意は、一言で言えるということは、当該文章をよく要約している、あるいは、より大まかに捉えている、ということですが、これは、要約とは、文章から、具体的な部分をカットして、抽象的部分を取り出すこと、さらには、より高い次元に抽象化すること、であるからです。
 知識を要約するとき、すなわち抽象化するというとき、分類する、という作業をやります。分類とは、複数の事象から共通点を取り出して、同類として、分類することです。つまり、分類とは、抽象化の別の言い方です。
 抽象化がわかりにくければ、私たちは、要約すること、つまり分類することだと考えて差し支えありません。

 

🎵問題の解き方
  ヒントを探せ❗️
  問題には必ずヒントがある。
  国語の読解のコツ
  まず、問題文の「テーマ」を探せ❗️
  国語読解とは、この文章が何について書かれているのか、を見抜くこと,これに尽きる。何かの問題について、筆者の言いたいことは何か、これを掴むことである。問題文の終わりなどに、よく「石原千秋『未来形の読書術』」などと書かれている。まずこれを見つけることである。それだけで、この文章が、少なくとも「読書術」について書かれているのだなとわかる。「未来形の」というのが、どういう意味なのか、本文を読んで確かめる、ということになる。それから、「問い」をさらりと目を通す。「問い」の中には、この文が何について書かれた文章なのか、教えてくれるものがある。ヒントになる問題がある。それに予め問題に目を通しておくことは、本文を読むときに、答えを探す読み方ができる、という利点がある。   

 文章を読むとき、私たちは、推測しながら読むものである。さらに文章で述べられたことに、私たちは、疑問を投げかけながら読むということをする。疑問を投げかけると、その答えを求めて、次に続く文を読むということをやる。つまり、文を読むとは、もともと答え探しの旅なのである。疑問→答え→疑問→答えと延々と読み進めていく、これが読解である。先に問題を読んでその問いをメモするなどして、答え探し読みをするのだ。
 読解というのは、漫然と文章を読んで意味を理解することではない。書かれていることを、展開を推測しながら読むのだ。一文を読む、なぜ?が湧き上がる、それでその答えを求めて次の文を読む。次の文に答えがあれば、次に読み進める、答えがなければまた次の文を読んで探す。文を読むたびに新たな疑問が湧き起こる。こうして、文章を読むとは、疑問の答えを探しながら、最後まで読むことである。この読み方は、ただ文字を追うだけの読みと違い、読み終わったときの深みが違う。先程言いました問いをさらりと見て、その問いから書かれてある内容を予測するというのも理解を容易にする。
 ただ問いを意識しながら読むのは、本来の文脈の追跡が、疎かになる怖れがあるのです。だから微かに意識して読む、程度でいいと思います。
 読解というのは、現代文に限らず、英語でも同じことが言えると思うのですが、書かれてあることが、大まかにどんなことなのかの予測があると、同じ読んでいてもまるっきり理解が違うのです。何について書かれているかが、わかっていれば、読む文、読む文がスッ、スッと頭に入ってくるものです。
 こうしてこの文章が何について書かれた文なのかをまず大雑把に予測することが読解の大前提となります。
 それから読解というのは、読むということが、要約をしていることになっていなければならないと思うのです。要約とは、この内容を一言で言えばどうなるか、と考えながら読むこと、そして一言で言い換える、一言で言う、これが要約ということであり、要約しながら読むというのが読解だということです。
  文章に出典として、書名があれば、それから、内容を推測できることがあります。文章が、何について書かれているのか、とりあえず予測が立てば、読解に成功する蓋然性が高まるということです。
  先ほども触れましたが,本文を読む前に、問題に目を通して、本文に書かれている内容を予測できるヒントを見つける、ということも、大切です。
 要するに、読解というのは、この文が何について書かれているのか、予測すること、早くに、この文章は何についての文かを悟ること、が、成否を決める、ということです。何についての論議がわかっていれば、よくわからない問いも、そもそも何についての文なのだからと、「繋がる」ことがある、のです。意味を理解するとは、合点が行く、符合する、積年の疑問点と繋がる、氷解する、ということです。

 選択問題は、本文の根幹に関わることを尋ねるのが、普通である。
 ここから、選択問題は、本文が何について書かれているのか、のヒントになる。選択問題を解くときは、そもそもこの文章が何について書かれたものか、この文章の筆者はどういう立場でものを書いているのか、そういうところから考えてみることである。
 それから入試現代文というのは、作者とは関係なく、出題者が問題を作るものである、ということです。だから筆者がどう考えていたのか、ではなく、出題者がどう考えていたかが、問題だということです。とは言っても、出題者も本文、筆者の意図を無視して出題できるわけではありません。出題者としては、本文に文字で書かれていることだけを根拠にして問題を作ることしかできない、という制約があります。出題者は、本文の記述から推測した問いを作ることはできないのです。飽くまでも本文の文字を根拠にしかできないのです。だから我々も問いの答えは必ず本文の文字を根拠にしなければならないということです。推測で答えを書いてはならないのです。
 直感、当て感で選択肢を選ぶのは、国語の試験で求められている、能力ではありません。
 選択肢問題では、本文の棒線を引いた部分について、どういう意味かを選ばせるものですが、棒線が、本文の一文の一部に引かれている場合は、一文全体に広げて考える必要があります。また、一文の中に、指示語がある場合は、その指示語の指す言葉を含む文章をも考える範囲に入れなければなりません。その内容が、抽象的なものなら、必ずその抽象語を定義した文章を探して、その抽象語の意味を確認しなければなりません。その上で、その定義に従えば、その抽象語が別の抽象語で言い換えられていれば、それが答えになります。
 ただ選択肢問題は、最後に残った2つの肢のどちらか、となることが多くて、その場合は、その甲乙つけ難い選択肢の抽象度を比較して、より抽象度の高い肢を選ぶことになるかと思います。

 

🎵竹の会 これからの新刊予定 
🎶英語ポイント集 英作文編」 
🎶「高校入試 地理ポイント集
 〜地の理(ことわり)からの論理付け
 都立地理の問い口の分析から真に必要な知識と不要な知識を峻別
 例年「難しかった❗️」の声から生まれた都立地理の決定版
 都立地理問題30年分を分析
 出題肢ごとに地の理、すなわち論理を示す
 これを実質上のポイント化とした。
🎶「竹の会 珠玉の数学20撰」
 詳細なオリジナル解説を付した竹の会数学シリーズ出版の第1弾

 よく私の耳に入ってくるのは,巷の大手,中手の塾に行きながら,さていざ志望校の数学や英語の問題を解いたら,10%しか取れない,みたいな話しです。これは長年高校入試の指導をやってきた,わたしにはよくわかります。他塾というのは,たいてい何かのテキストを使いながら授業をやる形式ですよね。テキストを終わったことになっていても,過去問を解かせると全く解けないのです。だいたい項目別,単元こどに習う数学,英語なんて実戦には何の役にも立たないのです。そんなことは百も承知だから,竹の会はとっくにそんなやり方は捨てた。竹の会の高校入試における数学にしても,英語にしても,効率よく,短期間に,高校入試に通用する,ハイレベルの力をつけることができるように,工夫に工夫を重ねてきた指導法なのです。

 わたしは,高校受験指導の達人と自負しています。わたしの指導プログラム,指導メニューを確実にこなして行けばたちまち本番に通用する力を手にすることができることはわたしにはわかっています。今のわたしの指導技術,指導の域は、過去最高水準に達している、と思っています。子どもたちが,いや親が素直にわたしの指示を守り尊重してくれればの話しです。自分の,親の,やり方を持ち込んだとき,そのときは,その子は,わたしの手から離れます。親が,子の強情が失敗に向かって突き進むのをだれも止められません。そういう親や子がたくさんいるのが現実なのです。

 小学生指導も今の竹の会の指導力は過去最高のレベルにあると思います。わたしの手にかかれば,内申8割基準を満たす子であれば,桜修館は確実に合格させられると思います。どんな子でもそうできるわけではありません。子どもに強い上昇志向,向上心があることが鍵となります。いくら上昇志向が強くても内申5割(「よくできる」が5割の意味)ではどうにもなりません。

 竹の会のわたしの指導に出会えた人こそ、幸運であったと思います。おそらく竹の会のような塾はもう東京圏にはないことと思います。今、わたしが作りあげた、指導方法、指導技術をもってすれば,見込みのある子に限るのですが,わたしはその夢をかなえる最強の塾として竹の会を勧めます。

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