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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

天才の規格化  開成高校、筑波大学附属駒場高校、都立戸山、都立青山、桜修館、みな孤独な戦いだった

2023.03.28

天才の規格化
 大手のやっていることは、天才を大手自ら作り上げたシステムで規格化することである。
規格とは、集団授業、同じ授業、同じテキスト、同じ講師による横並び授業で、できる序列は、もともとの能力差以外は考えられない。つまり、規格化された指導で、何によって差がつくか、ということである。

 大手の規格化は、天才を規格化する。
 だから竹の会は最も簡単に大手の天才集団をごぼう抜きにして、駿台模試で1番に躍り出ることができたのである。
 大手の作り上げた規格なんて打ち破るのは簡単だ。
 わたしは、都立西高の生徒に3年間、数学と英語の指導をしてきた人間である。また青山学院高等部の生徒に3年間、数学と英語を指導してきた人間である。
 前者、つまり西高の生徒は、東大受験に切り替えた。もともと東工大志望だったのだが、実力が東大合格レベルを超えたということだ。現役のとき、早稲田理工に合格したが、東大は落ちた。それで一年浪人して東大を目指した。そのときの三大模試(駿台・代ゼミ・河合塾)ですべて全国順位20番台をとっている。しかし、神様は東大には微笑むことなく、結局慶應理工に進んだ。
 後者、つまり青学の生徒は、3年間、数学3科目すべて10段階評価の10、英語3科目全て10だった。受験は、数学で受験した。上智大学経済突破、慶應大学総合政策突破、慶應に進んだ。彼女は、もともと小学から啓明社という有名塾に通い、桜蔭を受けた。中学ではサピックスに通い、竹の会には、週2回顔を出していた。中1のとき、首都圏サピックス3位ということもあったが、中3になって、落ちこぼれた。第一志望の慶應女子には遠く及ばない偏差値。それでお母さんが私に助けを求めてきた。中3の11月のことだった。サピックスからは声の教育社の過去問集、10校以上のコピーを、どっさりと渡されて、自分でやれ、ということらしい。
 志望校を青学に切り替え、わたしのやり方で指導することになった。残すところ3か月かな。何をどうやったのかな、よく覚えていない。とにかく青学には受かった。そしたら今度はお母さんから高校でも指導して欲しいと懇願されて、あまりにも熱心なので、とうとう引き受けることになってしまった。
 わたしのやり方は、いつも決まった方法なんてない。いつも難局に遭遇したとき、その時考える。「何をやろうか」と考える。もちろん規格なんてない。数学もその時一番いいと思う方法を考える。東大の数学をどう攻略するか、慶應の数学をどう攻略するか、筑駒の数学はどうか、開成の数学はどうか、大学入試を除いてまず過去問から入ることは変わらない。ただわたしはもう首都圏の高校の過去問は解き尽くしてきたから、改めて研究ということもない。大学入試だったら、過去問ではなく、まず参考書を選びますね。
 大まかな傾向みたいなものはもちろん考えるでしょ。筑駒とか開成の国語が、すべて記述式なんていうのは、傾向とか言うよりまず知っておかなければならないことです。
 それから理社なんてのは、自分で傾向というか、細かいことを時間かけて調べるなんてことはしないことです。個人の調べる能力なんてタカが知れたものです。
 わたしは、大手塾、予備校の教材を手に入れて、逐一調べましたが、結局、役に立ったのは、市販の大手出版でした。難関校対策の理社本の決め手に、わたしはある秘密があることを突き止めました。これはあることを当然のようにやっていた中から分かったことでした。わかっているのは、筑駒でも開成でも、対策となる参考書は、存在しないということでした。しかし、その壁を突き抜ける秘策を実は予備校自身が提示してくれていた、ということがわかる、のです。これはまるでニュートンの言葉そのままでした。
※アイザック・ニュートンの著書より
私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。

I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.

 わたしは、もっと何かあるはずだ、と追い求めてきた。ごくありふれた事柄には見向きもしなかった。もっと特別なこと、が、あるはずだと信じて止まなかった。
 もう一度ニュートンの言葉を思い出してみよう。

 真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。

 the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
 

 真理は、いつもありふれた姿をしてそのままに目の前にあったのではないか。真理だから特別のものと決めつけてその特別なものばかりを探し続けていた、わたしは実に愚かな人間、いやありふれた人間であった。真理はとっくに手の内にあったのに、それと気づくこともなく、外に心を奪われた私を愚かと言わないでなんと言おう。
 すべて偶然が重なり、わたしに真実を悟らせてくれた。
 都立中の指導でもこのわたしの姿勢が毎年のわたしの指導をブレさせた。特に、優秀な子がいないときの指導はブレにブレた。わたしのいつもの手法が機能しないとき、わたしは自分は間違ったことをしているのではないか、とひとり悩んだ。
 令和3年に偶然の事件が起きた。奇跡的な合格であった。そして、令和5年の桜修館合格は正直衝撃的であった。これまでの私の合格の範疇にない合格であった。模試であんな酷い点数とって合格することがあるのか。
 このとき、わたしはニュートンの言葉を思い出していた。
 真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。

 the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
 

 わたしは、このとき、初めて目が覚めた気がした。真理は偶然に目の前に現れる。考えてわかるものではない。わたしは合格させたい、ただそんな思いで、わたしのいつもやるようにやっていただけだった。そしてその当たり前の行動が実は真理そのものだったなんて、これは本当に偶然にしかわからない。
 真理に突き当たる方法だけはわかった。いつものように自分の信じる道をただ進めばよかったのだ。
 わたしが信じて作ったレジュメだけで良かったのだ。そのことに気づくまでにもうどれだけの年月を費やしたことだろう。
 わたしは本当にプロなのか、と思う。ただ、この子は受からせたい、そう切々と思い、胸に悲痛な思いを宿すとき、わたしはどんなことがあっても落としてはならない、との思いが心から消えることはない。そういうときのわたしは寝ても覚めても、そのことばかりを考え、眠れない日を送る。
 開成高校、筑駒高校、そう思っただけで、胸が熱くなり、苦しくなった。
 平成31年都立青山合格には、落としてはならない、そういう固い決意があった。推薦発表の掲示板の前に、もう誰もいなくなった掲示板の前で、茫然と立ち尽くしていた少女の後ろ姿を見たとき、もう声もかけられずにそっと立ち去った。都立一般入試の日の前日までわたしはその子のことで胸が痛み、理科と社会の手当てをあれこれ悩んで祈る思いで、懇願する思いでしていた。そうなのだ、このときも理科と社会が取れずに合格ラインをクリアできるか、不安の中で、わたしは格闘していたのだった。
絶対不合格はない、あり得ない、その信念がわたしを貫いていた。都立のときはいつもそうであった。
 本番が終わった日の夜、わたしが送った正解、その採点結果が返ってきたとき、肩の力が抜けて、涙が一筋、二筋と流れてきて、家族に見られないように、そっと拭ったっけ。それから1週間が経ち、掲示板の前にわたしはいた。確かに「あった」‼️ 確かにその子の番号はしっかりとあった。
 プロなら受かって当たり前、もっとクールなのだろうか。わたしは涙が溢れて止まらない。本人と、お母さんと話すとき、声を出すと涙がこぼれそうで困った。言葉を発すると泣いてしまいそうで、「よかったね」と言うのが、やっとだった。
 でもお母さんは泣きながら「先生、ありがとうございました」と言ってくださいました。それで十分でした。
 私の涙は、それまでのわたしの苦しい戦いをなんとか切り抜けたという安堵感がもたらすものなのか。わたしは不安の世界にひとり、孤独に身を置き、孤独に闘う少年、少女の、唯一の救済人として、わたしの持てる力の限りを尽くさなければならない。この仕事をしている限りは、わたしは自分のことよりも、不安と孤独の中で健気に闘おうとする少年、少女をこそ身を捨てて助けなければならない。
 それが、竹の会の、わたしの、昔から変わらないやり方だった。

 この子は落とさない、必ず受からせる、と誓ったとき、わたしは、もうそのことばかりに心を奪われ、受からせるために、いつも知恵を働かせている。虎視眈々という言葉があるが、わたしは常に虎視眈々といい知恵を探し、耳を澄ませて、目を凝らして、どうすれば受かるか、を考えていた。私にそう覚悟させるほどに、わたしの心にうち響く子どもの健気さにわたしの心が打たれるからか。
 離れる心は、決して追わない。わたしを心から信頼して、尊敬の念を深く感じたとき、私はもうこの子のためにわたしの全ての知恵を働かせないでどうするのか、とわたしは合格のためにわたしの生きている時間をすべて使ってなんとかしなければとそのことが頭から離れない。こういうことがいつまでもできるわけがない。いつか体力が尽きたときに、わたしは、潔く身を引く覚悟はできている。

 

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