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常識という洗脳

2023.01.28

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本日は、「都立国語選択肢問題の解き方」について、私見を述べました。

常識という洗脳
 「これしかない」というフレームに囚われた思考からの脱却
 フレームがかかると型にはまった思考しかとれない。俗に言うステレオタイプ思考は思考というより、思考停止である。ほとんど反射的に結論づけている。その方が楽だからそういう短絡思考をとる。そうなのである。人間というのは、基本楽をして済まそうとするところがある。考えないで済まそうとするのである。俗に言う、面倒くさいである。地道な努力を敬遠する、最近の人間の傾向が背景にある。なんでもノウハウを聴いて簡単に手に入れようとする。解き方を説明してもらって簡単に済ます、そういうことばかりで済ましていると、フレーム思考に固まってしまう。つまり、それは思考停止ということです。暗記とか、人にうまい方法を教わるとか、解き方を聞いて覚えるとか、そういうことを繰り返していると、次第に自分で考えて解決の糸口を発見するというもっとも大切なことをしなくなる。すぐにこれはどういう解き方をしたとかフレームにあてはめて解決しようとする。フレームに頼ること自体、もう思考停止なんですけどね。
 竹の会が、考えることにこだわってきたのは、フレームに汚染されることを恐れたからにほかならない。自分で発見するという精神過程をスキップして、他人の考えた、出来すぎた解法を覚えようとする習慣は、フレーム思考、ステレオ思考を鞏固にし、フレームで自動的に答えが出る問題しか答えられない、ある意味のロボット人間を作ることになる。世の中は、未知の、わけのわからない問題ばかりである。フレームなんか何の役にも立たない。冷静に事実を分析し、思考を働かせて、解決の糸口を探る、脳本来の働き方を知らずして何の役に立とうか。

 現代人は、何か問題があると必ず答えがあると信じているように見える。テレビのクイズは必ず一つの答があり、政治の問題には、政治評論家がひとつの答を出し、経済の問題は経済の専門家という人が明快に説明してくれる。そもそもわたしたちは、小学校からずっと答のある試験を受けてきて、塾では、答の出し方を教えてくれた。答は必ずある。だってもともと答のある問題しか作らないのだから。答のある問題を突破してきた、官僚たちが、世の中の諸問題について右往左往するのは当たり前で、世の中は答のない問題ばかりなのだから。新型コロナで見せた官僚、政治家たちの暗愚ぶりは滑稽でしかなかった。ペーパー試験では優秀でも、フレームから外れた問題にはお手上げの図はそうした人たちの実体というものを見事に炙り出してくれた。新型コロナ騒動は、人間の作った制度、その制度の中でふんどりかえっていた人たちをあたふたさせ、人間というものの底を垣間見せてくれたものである。

 それにしても最近は偽物が平気で闊歩する世の中になってしまった。それもこれも底の浅いテレビ・マスコミが政権依存症に感染し、そういう人間をやたら「よいしょ」するからにほかならない。テレビやネットで、底の浅い「答え」がもてはやされる。簡単に「答え」を出す評論家、自称専門家、自称学者のなんと多いことか。

 安直に「答え」を欲しがる現代人、すぐ「わかった」気になる現代人、また「相談されるといとも簡単に明快な答を出す」ネットの有名人、それで「わかりやすい」と感動する、単細胞な人たち。

 ほしいのは答えなんかじゃーない。世の中はわからないことばかりという現実を再認識することである。「わからない」という状態は変わらないのに、だれかの答を聞いて「分かった」気になるのは、騙され続けるという人間ということである。世の中には、やたら説明好きの人間がいて、わかったような顔をしてこれが正解ですみたいな顔をしてたったひとつの答を示す。ばっかじゃないの。そういう説明する人間はわたしは信用しない。

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