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慶應女子、開成高校、桜修館、女子学院への道  「なぜ」と問いかけてみる習慣が、理解を深める‼️

2023.05.19

🟡「なぜ」と問いかけてみる習慣が、理解を深める‼️
  わたしたちは、常に魔法(バイアス)をかけられた状態にある、ということを自覚しなければならない。わたしたちは、ものごとを見るときに、客体を、事実をありのままに見てはいない、ということだ。わたしたちは事実を見ているのではなく、わたしたちの見たい意味を見ている、に過ぎない、ということだ。
 さて、どうしたら魔法を、呪縛を解いて、ありのままの事実を見ることができるのか。
 ことはそう簡単ではない。わたしたちの脳に既にこびりついた因習・固定観念・習わし・ステレオタイプ・習慣・親の影響・インフルエンサーの影響・著名人の影響、とにかくバイアスでわたしたちの脳は雁字搦めの状態だ。
 だからバイアスを解くのは、不可能に近い。わたしたちの思考は、言葉、言語が創り上げるものだ。言葉がなければ思考はない。思考とは、言語と表裏の関係にある。わたしたちは言葉を通して、ものを見る、ものごとを考える。言葉・言語がなけれは、実は、ゴミ問題もない。これを近代における言語論的転回という。わたしたちは言語世界に身を置いているのだ。そのことは脳梗塞で言語機能を失った人が途端にテレビを観ることもなくなる、社会の出来事に興味を示さなくなることからもわかる。だから魔法は、呪文を唱えるのだ。魔法語は、わたしたちにはさっぱりわからないが、やはり一つの言語であろう。言語がなければ魔法もかけられない。
 洗脳という言葉がある。あれも言語でまやかす魔法である。人間は、特に、学歴の高い人間は、嵌り易い。理屈に弱いから、似而非理論に簡単に騙される。特に、曖昧な判断を常としてきた人というのは、白か黒かキッパリと判断する人間に弱い。多くの人は、特に、日本人というのは、ものごとの判断を明確にしない生き方をしてきた。好きか嫌いか、という問いに、「どちらでもない」という態度をとってきた。中庸を取るという生き方をしてきた。欧米人、中国人は、物をはっきり言う。YESか、NOか、はっきり言う。もちろん「どちらかわからない」というのもある。しかし、それは積極的な「どちらかわからない」である。そうは言っても欧米人もしっかり洗脳されている。だから相対的に日本人は洗脳されやすいということか。
 日本人というのは、江戸時代からお上とか、権威に弱い。お代官様のいうこと、お上の御意向には無批判で従う習性がある。大きいというだけで、盲従する。いや大手塾なんかそうですね。大手塾も大きいことを誇張する。宣伝費を惜しまない。それが日本人を手懐けるベストの方法だ、とうことを知っている。
 わたしたちは、自分にかけられた魔法、バイアスによって思考がステレオタイプ化していることを自覚しなければならない。
 赤信号皆んなで渡れば怖くない❗️
 わたしたちは、「多くの人の判断に惑わされない」ことだ。多数の意見が危険に導くというのは、歴史が証明した真理である。
 人々の気持ちの動きに惑わされ、何が重要であるかを間違って判断するのは、人間の陥る、いや日本人にありがちな傾向である。
 人間は、仕組みや道理のごくはっきりしたもの、あるいは説明が簡単にできる事柄を、軽く扱う傾向がある。その反対に、よくわからないもの、曖昧なもの、不明瞭なもの、を重要なものだと受け取る傾向がある(by NIETZSCHE ニーチェ)。
 軽く扱うか、重く扱うか、の基準が、説明が簡単か、説明困難か、というのは、違うでしょ。人間様がわかるか、わからないか、わからないなら重要、どんだけ人間様なのか。
 重要かどうかは、そういうバイアスを外してから判断しなければならない。
 人間が当たり前のように判断するとき、「対立」を根拠にすることがある。「寒い」という言葉に対立する語は「暑い」と教わってきた。しかし、この二つの言葉は本当に対立する関係なのか。寒いも暑いも決して対立する言葉ではなく、同じ温度計の上と下のレベルを指すに過ぎない。要は程度を表す言葉である。日本人というのは、国際関係を考えるときも、対立の図式に置くのが大好きである。敵か味方か思考が好きなのだ。政党なんかもうイデオロギーが違えば、真反対の関係にあると理解するのが落ち着くようだ。しかし、この対立を媒介とする理解はいかにも荒っぽい。
 なぜ、と問う思考が大切だ、ということを説明するために、ひとつの例をあげてみよう。
 民法には、失踪宣告という制度がある。人が死ねば戸籍は抹消される。しかし、母親が突然居なくなって7年ほど過ぎたというとき、死亡を確認できない限り、戸籍を抹消できないか、という問題が生じる。あるいは船が沈没して生死不明だが、かなりの蓋然性で死亡が推定されるということもある。
 こういうときのために、民法は失踪宣告の制度を用意している。すなわち後者の場合なら、危難の去りたる時から1年を経たときは、危難の去りたる時に死亡したものとみなすのである。裁判所に失踪宣告をもらえば、死亡を前提とした、例えば、相続なども開始することができる。そうすることが社会の安定につながると考えたわけである。
 因みに、前者の場合は、7年の期間が満了した時に宣告を得れば死亡したとみなされる。
 法律というのは、立法の趣旨を理解すれば、まず制度の意味はわかる。問題は、なぜ、1年なのか、2年じゃないのか、というどうでもいいことである。これはやはり考えておかなければ後々曖昧になる。危難の場合は、短くていい、ということである。奇跡的に助かって後から生きていたということはある。しかし、危難に遭えば普通はかなりの蓋然性で死んでいる確率が高い。死んだ可能性が高いのに、いつまでも「待つ」というのは、社会的安定の視点からよろしくない。それで1年にした。半年ではなく、1年としたのは、年齢が1年毎に1歳ということなのだろう。
 これはわたしが法律学を勉強していた頃のに「なぜ」の使い方である。
 数学の問題を解くときは、「なぜ」言語をよく使います。難関高校の問題は、よく普通のアプローチでは解けないような造りにしていますから、「あっ」という、普通では「これは使わないだろ」というアプローチが使えたりします。普通のアプローチで失敗したら「なぜ」、もしかしたら別のアプローチか、と問うわけです。
 大学入試の数学だと、まず問題の意味、意図が分からなければどうにもならない。わたしが受験したときは、「証明しなさい」と意図が明確な問題ばかりだった。 
 数学で壁に突き当たったら、まずそもそもの定義に戻るといいです。行列式って、そもそも何のための仮説だったかな、みたいなことを「なぜ」の前に問うわけです。
 なぜを問うとき、より抽象度の高いレベルで問うといいと思います。英語の難解な問題とその解答例を見たとき、出題者の意図は何処にあるのか、と思考をめぐらしてみるのです。英語を英語で思考することを想定した問題なのかな、とそれこそ「はっ」と浮かぶ。
 わたしたちは、常識、あたりまえとされることには、もはや脳を使うことはない。これは人間の優れた機能である忘却能力と並ぶ能力と思います。できるだけ考えないで、心を休めておく、というのが、人間の生存を助けることは間違いありません。しかし、あたりまえをあたりまえとして思考の外に置くことがひいては生存を危ぶめることもあるのです。私たちには幸いに「なぜ」という危険回避のスイッチが備わっているのです。そのあたりまえを「なぜ」と問うことがわたしたちを危難から救ってくれることもあるのです。
 「物の見方について」という笠信太郎の名著を思い出しました。大学のときの指定図書で汗をかきながらレポートを書いた記憶が蘇ってきました。
日本人には、一般的にいってまだ自分の考えが欠けている。何もしない空虚な感じがある(5頁)。自分の考えを持っていない日本人。今日まで、いつも出来合いの西洋の思想を貰ってきて、サシ根して育てようとした(6頁)。イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。スペイン人は、走ってしまった後で考える。ここの記述はあまりにも有名。
 わたしたち日本人には考えがない、というのは、新型コロナ騒動のときの政府も知識層も国民もマスゴミもそうでしたね。
 「なぜ」のない日本人。全体の雰囲気、つまりは他人の行動を見て動く日本人。食べ物屋の行列は、日本人そのもの。皆んなとなら赤信号だって渡りかねない日本人。ちょっと立ち止まって「なぜ」と問うこと。皆んながやっているからそれに従うというのは、思考は空っぽということですね。

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