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慶應女子への道、都立戸山への道、桜修館への道 学ぶことは、自分を変えること

2023.05.18

 

🟡🟡慶應女子への道、都立戸山への道、桜修館への道
🟡学ぶことは、自分を変えること
 自分を変えるために学ぶ❗️
 誰も今のままでいいはずがない。ところが、いつまで経っても変われない(進歩のない)人間がいる。
今の自分に満足しているのではない。今の自分が未熟で欠陥だらけということに、気づかないのだ。己の愚を悟らないほど醜いものはない。愚かさを悟らない者は、恥じることがない。傲岸不遜な人間は、自分を振り返ることはない。恥いることもない。そういう人間がそのまま大きくなっていく蓋然性はかなり高い。幼いままの価値軸が大人になってもそのままという大人が増殖しているのが、現代社会である。
 自分が変わる。吉川英治の「宮本武蔵」は、無教養で粗野な、精神の荒廃した武蔵が成長してゆく物語と要約することもできる。命の遣り取り、決闘、いろいろな人との出会い、葛藤を通して、人間として成長していく姿が描かれている。それを可能にしたのは、周りの善意の人たちの存在があってこそだったのではないかとよく思う。世の中を教師に学ぶ姿勢があれば自分は変えられる。しかし、自分に変える、いや学ぶ姿勢が、なければ何も変えられない。過保護の環境の中で、親の甘やかしに存分に浸かりきってきた人間には、自分を、変えることなどできやしない。うまくいかないのは、みんな周りが悪から、世の中が悪いからと、すべて他人のせいにするのが、こういう人間の心の落とし所だ。責任という言葉はこういう人たちには存在しない。責任転嫁は回路として固定化されている。
 学ぶから自己のいたらなさを悟り、葛藤し、苦しみ、苦悩し、自分を、変えて、環境に適応していく、与えられた環境を受け入れて順応していく。そうだ。自分を環境に合わせようとする。それが「生きる」ということだ。生存とは、環境への適応ということなのだ。
 自分を、変えないというのは、環境を敵とすること、である。自分を変えない人は、学ばない人である。
 こういう人が、物を欲しがるとしても、決して物に自分を適応させることはない。自分が気に入らなければ捨てる。こういう人には、物は、環境の一部に過ぎないから、いつでも敵にする。
 子どもというのは、新しい物を欲しがるものだ。特に、他人が持っている物をすぐ欲しがる子も多い。しかし、そういう子は飽きるのも早い。すぐに飽きて別の物を、欲しがる。親はその度に、多少紆余曲折はあるものの、結局買ってやる。そういうことを繰り返していると、子どもは物を使い捨ての消費の対象としてしか考えなくなる。そういう子に物を大切にしろ、と言っても無理な相談だ。
 物は変わらない。変わるのは、わたしたちだ。いやわたしたちでなければならない。
 物をいつも新鮮なら気持ちで見ていられる。
 ニーチェは言う。
「飽きるのは、成長が止まっている証拠である。」と。
なかなか簡単に手に入らないものほど欲しくなる。子どもはそういうものに心惹かれる。いや大人も同じところがある。子どもなら手に入れば友だちに自慢できる。しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
 ニーチェによると、本当は自分自身に飽きているのだ、という。なぜなら、手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる、のだという。それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ、という。
 つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
 飽きない人というのは、人間として成長を続けている人だ、とニーチェは言う。なぜなら、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないからだ。
 物に毒されている人は、自分が本質的に「変化」することがない人だ、というのは、わかる気がする。ブランドものを手に入れることに明け暮れる芸能人、テレビ関係者、など、進歩のない人たちだ、とわかると、アホらしくて気の毒になる。そう言えば、国際政治学者を名乗る、本当はただのコメンテーターだった三浦瑠麗は、ブランド自慢のインスタを流している。自ら進歩のない人であることを証明してみせるなんて、ニーチェも呆れるかも。
 ところでこのブランド漁りもそうであるが、世の中には、物マニアがたくさん棲息している。骨董にカネを注ぎ込む人、フィギュアを集める人、ブリキのオモチャマニア、植木マニア、鞄コレクター、絵画コレクター、…。こういう人たちは、ある特定の物に魅せられて、それを集める、自分の所有にすることで、所有欲、物欲を満たして満足している節がある。これは「飽きない」の真逆をいくものだ。この人たちが、いい物に執着する、いやある意味囚われらる、つまり、物に支配されるというのは、やはり、変わらない心に原因があるように思われる。変わるというのは、物に執着しない、自分主体の生き方をすることである。飽きるというのは、次から次に新しい物に気が移るということであり、やはり物という抽象物に執着していると見ることができるのではないか。
 進歩とは、周りが「変わる」のではなくて、自己の内心が、変わる、精神的進歩こそ軸となる。
 物に囚われるのは、思考が停止しているからである。物に支配されるのは、自分が変わらない証しである。
 芸能人がブランド品を、身につけて悦にいっているのは、変わらない本質もあるが、そのあまりにもの軽さ、浅い、感情、感覚、雰囲気、場の空気でしか、反応しない、なんとも御し難い人間の浅さに一笑にふすほかない。三浦瑠麗がセレブを気取るのもアホらしい。
 俗に言う三日坊主というのがあるが、例えば、英会話志して三日でアウト、ダイエット志して三日でアウト、ランニング志して三日でアウト、…いくらでもある。これなどは自分を変えようとしたのであるが、三日で挫折。ただ物に対する「飽きる」とは異質のようだ。
 ここでの変えるは、先の場合とは性質が異なる。物に飽きるというときの「変える」は、精神の成熟度、世界観の置き所、ものの見方、価値観の成長度、次元の高さ、狭量から包容へ、というもの。あるいは、ものごとに対する思い込み、ステレオタイプ思考、先入観、強いバイアスからの解放など、コペルニクス的転回、言語論的転回と言える変化なのだろうかと思う。
 自分を変えるとは、中でも、強いバイアスからの解放かもしれない。わたしたちは、多くの思い込みに支配されているからである。それが根拠のない強い思い込みであるからこそ、わたしたちはその呪縛から逃がれられないだ苦しむのだ。強いバイアスは、まるで魔法のようにわたしたちの思考、行動を縛りつける。俗に言う洗脳というのは、バイアスの固定化のことである。いったん脳に貼り付けられたバイアスは、もはや剥がすことはできない。物に憑かれたように人が同じ行動を繰り返すのは異様であるが、それが人間の、バイアスに侵された人間の姿である。
 わたしたちは、変わることを宿命づけられた存在である。生まれたからには、自分を変えなければならない。それを可能にするのが、学問である。わたしたちは、勉強することで、マシな職業を得て、まず食べて行かなければならない。だから職業を得ることは、生きていくために、譲れない選択である。
 わたしたちは、職業を得て、初めて生存できる。
 職業が自分を変える。といか、私たちは、職業という環境に順応していくのだ。
 順応、適応は、生きていくための条件なのだ。
 自分を変えられない人は、職業に飽きるから、すぐやめる。
 外的環境の変化が、自分を変える。
 変えるとは、学びで自分を変えることだ。順応する、適応する、とは、自分を環境に合わせて変えることである。
わたしたちは、勉強を通して、世界を変えていく。人生の問いにどう答えるのか、目の前の問題にどう対応していくのか、わたしたちは常に判断を迫られている。
幼いままというのは、自分を変えないままに、大人になってしまうことだ。外的な成果を得ながら変わるのだ。わたしたちは、世界に渦巻く多種多様なバイアス、それは往々にして悪の魔法なのだが、そういうバイアスから自由になれるように、常に自分を変えることに心を砕かなければならない。
 物に変えられては本末転倒だ。物に支配されては、伽藍堂の、中身のない、周りに流される、雰囲気に流される、自分の判断など凡そない、周り次第の人間となる。
 物に飽きるとは、そういう人生の根本にかかわる問題である。
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