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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

慶應女子への道・都立戸山への道・桜修館への道  私の受験指導〜受験の軍師として生きて来た38年

2023.05.16

🟡私の受験指導〜受験の軍師として生きて来た38年
 高校入試は、私の自由な裁量がそのまま結果とて跳ね返る、私には戦場のような世界であった。
 平成9年までは、中3になってから「そろそろ高校入試だ、塾に入らなければ」という親が普通にいた。もちろん早くから竹の会に来て、高校入試の準備をする親もいた。ただ飽くまでも都立志望であり、そのためにカネをかけて私立難関を狙うという生徒はほぼ皆無であった。たまに海城や桐蔭などを受けることもあったが、それは私立難関のための準備をして来たわけではなく、飽くまでも都立のための勉強をしての延長線上にあった。チャレンジとしての受験に限られた。当時の学校の優等生は、生徒会活動や部活動で内申を稼ぎ、都立駒場や新宿が取れれば大成功と考える層が中心だった。都立戸山はなぜか敬遠された。竹の会でも、対象は、青山、新宿、駒場、小山台が標準だった。
 そういう状況下での都立入試は早くから指導していれば、内申のいい子は確実に合格していった。
 開成などの最難関に受かるためには、中3から、あるいは中2からでも間に合わない。少なくとも小6の2月。その前提として、小学の基礎学力は当然として、理想は、私立難関中の算数の難問にも対応できるほどに仕上がっているのが望ましい。
 ところが、昔から公立中に流れる素材は正直勉強とは無縁の人たち、いわゆる余りの人たちであった。
 私立難関中学、私立中堅中学に秀才は吸収され、Fラン私立中学にも教育熱心な親の子が吸い取られる。都立中高一貫校には、私立難関、学校の優等生が、取り込まれる。こうして、区立中学には、もともと受験とは無縁の、教育に関心の低い層、いわゆる受験失敗組(中には玉も含まれる)、受験・受検に落ちた、普通以下の子たちが、大量に流し込まれる。
 80%の余りの人たちと20%の真面目な生徒が、同じ箱で飼育される。品行のいい生徒には高い評価がつけられて、良質都立高校へのパスポート(内申)が渡される。
 授業妨害をしても他の真面目な生徒は我慢させられる。乱暴な生徒、粗暴な生徒、発達障害児(公立小では8.8%)、IQの低い生徒、勉強無関心層、学習障害児と、真面目な生徒が受けるとばっちりは放置されたままである。私立難関中学、中堅私立中学、都立中学は、篩にかける機能を発揮し、振るい落とされた生徒の溜まり場が区立中学である。低偏差値私立、経済的理由による底辺都立高校しか行き場のない人たちが占める。もともとがそうであるから、中途退学も多く、小学から運命で定められたように、社会の底辺に放出される。
 いったい公立中とは何なのであろうか。
 公立中の2割にあたる層の中から、難関高校や、トップ都立の合格者が出るのであるから、8割の底辺層というのは、2割層に、内申を集中させるための踏み台としての意味しかない。
 社会底辺予備軍としての8割層は、2割の選ばれた人たちとは隔離されていく。
 竹の会は、この2割の中のさらに2割、つまり、0.2×0.2=0.04 つまり、4%の子たちを相手に、都立青山、駒場、新宿、小山台などに入れるべく、戦ってきたのだ。
 

 わたしが、難関高校に合格させるノウハウを何処で学んだか。わたしは、東京で初めての高校入試で、青山学院高等部、市川高校に合格させている。つまり、わたしはどこで学んだということではなく、天性の受験センスを持っていた、のだと思う。
 わたしは過去問に対するセンスが並み優れていたのだと思う。過去問を駆使して指導することで、大手に負けない結果を出してきた。馬鹿と鋏は使いよう、と言いますが、馬鹿と過去問は使いよう、です。ただし、この格言は説明が諸説あり、鋏は和鋏のことだとか、馬鹿をバカにしたわけではないとか。
【注釈】
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つものだということから。
能力のない者をばかにして言ったことばではなく、使う側の力量や能力を言ったことばである。

 知恵のある者は、使い方を誤らない、ということか。
 わたしは、竹の会創設(昭和60年10月)以来「過去問」とつき合ってきた。他に教材がない、そういう環境にあったから、如何に過去問を使うかばかりに迫られた。だからありとあらゆる場面で過去問を利用した。入試初心者の指導も過去問を巧妙に利用した。最初から過去問を使ったおかげで入試問題に対する抗体ができたのは付録だった。つまり、入試初心者、中級者、上級者と過去問を加減、塩梅して、使ってきたのだ。だから大手の、教材を一目見て一瞬で過去問の焼き直しだということもわかった。データを新たな角度から整理するというのは、コンピュータ技術もさることながら資本力のある大手にしかできないことだろう。しかし、大学入試に目を転じてみたらどうだろうか。予備校講師がそれぞれに独自の科目哲学を掲げ、人気参考書を売りまくっている。あれは高校入試にはない。予備校は一歩引いている。その予備校講師も過去問の呪縛からは解放されることはない。過去問の処し方、つまりは使い途を説くのだから。
 これは実はある真理を物語っている。大手の、特に、高校入試で、やっていることは、授業もテキストもすべて過去問の焼き直しに過ぎないということだ。だったら、過去問の利用の仕方だけで竹の会が合格を勝ち取るのは当たり前と言えばあたりまえのことだ。そもそも過去問を様々な教材に加工し、季節講習だ、特別講座だ、土曜特訓だ、日曜特訓だ、お盆特訓、お正月特訓と、盛り直して、商売しているだけの、大手に、竹の会が牛蒡抜きしたのもまた不思議はない話しだった。
 わたしは、高校入試を戦い抜く経験を重ねているうちに、高校入試の戦い方というものを体得していったのだと思う。失敗を重ねて、初めて負けない軍師になり得たのだと思う。内科医が90%の、誤診を重ねて名医になる過程と似ている。
 若い医師は経験不足でこれから誤診しますと宣言しているような存在だ。これから何人も誤診で患者をな死に追い遣り、未熟なゆえの死だということを、事柄の性質上隠したままに、ありきたりの説明、つまり、患者の寿命のせいにして、終わるのは必定です。ことの性質上、例えば、メスが関係のない血管を傷つけても、分かるのは、当の本人とそれを見ていた知識のある補助者だけでしょ。補助者は保身から沈黙を守るのが世の常です。こうして名医とは、このようなミスをそれこそ何百回もやってきた人のことです。失敗をしているから患者のことが判断できるのです。
 よく過去問から傾向を知る、ということが言われます。しかし、問題を見ただけで何か言うことは余程の天才しかできない。よく母親や時には父親が学校説明会で、教師の言った傾向、もちろん一般的、抽象的なもの、をわたしに報告してくることが過去にありましたが、その程度のことは過去問本のおまけにしっかり書いてあります。「先生、基本的な問題を出す、そうです」と報告してくる母親、「ご報告ありがとうございます」と言うほかない。わたしをその程度としか見ていないことはわかる。信用されてないのか、と一瞬過ぎる。そして実際その通りだったことが後でわかる。
 過去問はもしそれが難関高校なら過去30年分を実際に自分が解いてみないと、傾向というものの具体的な内容はわかるわけはないのです。ただ確率が出る、整数の問題が出る、と言っても、「それで」ということになる。それでどういう対策をとるのかは、実際に問題を解いて見なければわかるわけがないのです。鋏、特に和鋏は使うのにコツが入ります。昔の鋏は、今のと仕組みは同じでも、ネジはよく緩んでガタガタで、刃も質が悪い。使い方にはコツがいる。使えないと諦めたら切る物がない。諦められないのだ。
 わたしは、何もないところから塾を始めた。だからわたしには過去問しかなかった。過去問と最初から向かいあってきた。だから直で過去問を利用してきた。最初の高校入試は、昭和62年のことだった。いきなり青山学院高等部と市川高校に合格させたのも、過去問あってのことだった。あの頃は大手はすごいな、合格できる教材を使って合格者を出すのだから、と素朴に考えていた。大手の教材を使いながら青山学院に落ちた者もたくさんいたはずで、竹の会の方法が、実質大手と変わらないのだ、過去問を使うことには変わりはないのだ、ということに気づくのに時間がかかってしまった。
 今のわたしなら、大手の手の内、底を見抜いているから、大手の口上に騙されることはない。わたしのやり方で、駿台模試全国1番を取って、筑駒、開成にトップテン合格して、わたしはわたしのやり方を証明した。
 正体は最初から分かっていた。わたしは本能的に見抜いていた。ある時期大手のまやかしに「大手とは素晴らしい方法があるのだ」と感嘆していた。しかし、わたしは、過去問を使うだけで、平成10年早稲田実業高校に合格させている。あのときは、河合塾や代ゼミにたくさん通っていて、皆落ちて、渋谷区でただ一人の早実合格となった。真理は事実が語っていた。教材が売りの大手に通って落ちているじゃないか。平成14年慶應大学と上智大学に合格したときも、合格した女子は青山学院の生徒だったが、同級生はみな河合塾などに通っていた。蓋を開けて見れば、受かったのは竹の会だけだった。大手の教材があれば受かる? そんなことはなかった。わたしが使ったのは、過去問をベースにした、市販の参考書だけだった。大学受験用の参考書は、過去問の使い方を、要領よく体系化してくれている。これを利用しない手はない。
 軍師としての仕事
 まず志望校の過去問30年分を解くことから始まる。志望校の問題を知るとは、実際に解くことしかない。
 その上で、軍策を練る。もっともそれとは別に受験生はやることはやっている、あるいはやってきた前提である。
 軍策は、生徒の実力、能力を前提に立てる戦略である。能力を測るには、もちろん過去問を使う。ただし、志望校の過去問ではない。実力を測るのだから、問題ない。
 「測る」のは、徹頭徹尾「弱点を見つける」ためである。軍師の仕事は、戦いに勝ち抜く体力をつけること、ここで体力とは、受験知識の基礎と言われる部分である。要は、中3の履習範囲全体、及び中堅レベル以上の入試問題を解けるレベルである。そうなのだ。出発点にして、既にその域まで達していることが必要である。だから中3になって突然「慶應を受けたい」とか、それはない。刀を振り回すだけの足軽では何もできない。
 小6前後にそれまで塾にも行ったことのない子が突然「小石川に行きたい」と言うのも同じだ。
 小学の低学年から基礎体力をつけてきて初めて受検できるのだ。合格すればいいのではない。合格してから校内順位5位以内につけられるか、まで考えてのことだ。事実、最近の情報では、竹の会出身の桜修館合格者たちが、桜修館で5番以内にあると、報告を得ている。竹の会の合格者の多くは、合格して入学後の成績がトップクラスにあることがわかっている。
 ギリギリの合格では、落ちこぼれの心配もある。
 合格すればいい、というわけではない。
 子どもは、まず「字」を練習させることである。低学年のときに、1000回でも字を書かせろ❗️
 次は、計算だ。竹の会に小2に来た子は、6か月もあれば、普通の小6がお手上げの難関中学の計算問題を5分以内で解けるようになる。わたしは大手に2年も通った小6が標準レベルの計算問題もまともにできないことを知っている。
 計算をマスターしたら、次は「割合」だ。割合を通して、というか軸として、いろいろな考え方を学ぶ。
 単位あたり量の考え方、その発展としての速さ、速さの絡む流水、鉄橋問題など自然に頭に入る。食塩水の問題は面積図の導入にも使える。便利な面積図、ダイヤグラムなども時宜に即して学んでいく。
 割合は型思考から入る。子どもたちの脳に思考の痕跡を残すには型思考がいちばんいい。よく大手の子に多いのは、「考えるということがわかりません」とか、「どう考えたらいいのかわかりません」というもの。大手の子たちのやることは、「どの公式をつかうのか」「使う公式がわからない」しかない。
 割合から思考開発
 割合を型で処理するうちに、型が必要なくなる。そこから自由な発想が始まる。思考の第二段階に入ったのだ。自由に考えをめぐらして、既存の定理、定義に符合する、一致点を見つける。事実を意味ある事実に構成し直す。つまり、組み合わせる。そこから一つの関係性を発見する。
 高校受験でも、基礎体力をつけることは変わらない。竹の会では、既に数学も英語も道筋、体系が完成している。だからレジュメを前倒しで、速く進めた者が勝ちだ。ポイントは、実は、中1の前段階にある。春までに、数学なら「関数」まで終わらせていること、実際に竹の会の合格者はそうしてきた。これに出遅れると、落ちこぼれる。英語は単語をある程度覚えたら、文法レジュメ500枚を鬼のように進めることだ。英語は最初が肝心。レジュメで体に英語の基本を叩き込め‼️
 竹の会では、中1の終わるまでに、中3数学、できれば英語も終わらせることが、理想とされている。
 もしそれができないとしたら、勉強量不足か、能力不足ということになる。竹の会では、中学生は、中1までにほとんど消える。残ったのが、多くて2人、少なくて0人ということだ。
 中学生は、部活偏重、怠けで、ほとんどが落ちこぼれる。それが公立中学の真の姿である。
 戸山クラスに行けるのは、一つの中学で1人いるかいないか、である。それは毎日の最低5時間という、勉強時間を実質的に担保できる生徒にしか可能ではないからである。人間はすぐに手を抜く本質がある。なにか言い訳さえあれば勉強しなくても「仕方ない」と考える。言い訳は、公的なもの、回避できないもの、そういうものほど勉強回避を正当化できる。普段からなんにでも正当化する思考をするようになったら、落ちこぼれ人生の端緒と考えた方がいい。体育祭の練習、部活合宿、激しい部活練習、遠足、行楽、旅行、実家帰省、墓参、正月、お盆、連休、花見、とにかく世の中は言い訳祭り。正当化に事欠かない。正当化しても、できても、だからといって自分の人生が、もともと進むべき道に回帰できるわけではない。正当化の回数が増えれば増えるほど、落ちこぼれ道に回帰していくのは間違いない。正当化は少しもあなたたちが勉強をしなかったという事実を填補してくれるわけではない。正当化の回数が多いほど、勉強量の絶対的不足に陥っていくのだということを自覚した方がいい。
 軍師の裁量を邪魔する親
 軍師に情報のすべてを明かさない愚
 何もかも隠すのは、その子の能力の多寡、不完全率、したがって具体的な弱点を隠すことであり、軍師の為せることは何もない。
 軍師の邪魔をする母親、たまに父親
 模試を勝手に受ける、良ければ報告、悪ければ黙殺❗️
 過去問を勝手に、しかもほとんどすべて家でやる。
 弱点点把握は不可能です。実力を見ることもできません。
 つまり、なにもできません。
 部活でレジュメを塾に来たときだけ齧る、しかも大幅に遅れて,来た時だけ、やる。家では一切やらない。おそらく部活で寝るだけ。終わってます。
 レジュメをやらないバカ❗️
 やらない、継続的にやらない。それだけで終わってます。
 市販の参考書、問題集を塾でやるバカ❗️
 塾で学校の宿題をやるバカ❗️
 塾での勉強率の低いバカ❗️
 勉強率とは、本来の指導時間のうち、勉強に集中した時間の割合のことです。
 例えば、5時間のうち無駄な時間(食べてる時間・おしゃべりしてる時間・周りと揉める時間・マンガをかく時間・手遊びをする時間など)の割合が、50%を超えるバカ
 食べてる時間、喋っている時間、喚いている時間、これだけで、勉強率10%なら、その人は、勉強には向かないのだと思う。下手に勉強なんかしない方がいい。
 
 

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竹の会の幻の名著と言われた「英語ポイント集」の復刻「新英語ポイント集」

全面書き換え新版が

Amazonで発刊される予定です!!

「英語ポイント集」はもともと早稲田実業志望のある男子のために執筆したものですが, その後の竹の会の入試指導ではなくてはならないものとなりました。多くの先輩たちを早稲田などの合格に導いた伝説のテキストとなりましたが, さらには多くの先輩たちがこのテキストで受験英語を克服してきたことでもその役割は実に大きなものでした。そのコンセプトは入試問題からひとつひとつ論点を拾い上げそのひとつひとつに的確なコメントを付すというものでしたが,受験の切り札として重宝される一方英語不得意の生徒の特効薬としてもその効果は驚異的でした。数々の成功エピソードで語られいつしか竹の会の伝説的名著と言われるようになりました。私自身もこれほどすごいものができるとは思ってもいませんでしたが, 私の予想をはるかに超えたスーパーテキストとなってしまったのです。今回の新訂版には、竹の会の知られざる名著「英語合格本」からその要点を取り込み、さらに、竹の会の伝説の指導書「新英語指導案」からも最重要部分を取り入れました。「英語合格本」は、慶應女子志望の女子のために特に執筆したものです。執筆の体裁を変えたこともあって英語ポイント集ほどは利用されませんでしたが,件の女子はこのテキストを使って青山学院に合格し、その後慶應大学に合格しました。

 今回アマゾンからの発刊を決意し,短期間の執筆でしたが受験英語のための超スーパーテキストが完成したと自負しています。その母体となった名著「英語ポイント集」の精神をそのままに竹の会受験英語指導の粋を極めた実質的「新英語ポイント集」の完成です。竹の会の会員のみなさんがこのテキストを使って成功されることを祈ってやみません。

(新訂版 はしがき より)

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 英語ポイント集(絶版

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