画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

桜修館中等・富士附属・都立戸山・都立小山台・女子学院 🎶ノウハウ本は99%がゴミ

2023.08.05

🎶ノウハウ本は99%がゴミ
 特に、啓蒙書の類いは、買うだけ無駄である。ゴミにカネを使うこともないのに、人間とは、まさに迷える仔羊なのか、この類いの本が売れる。そもそも著者というのが、やたら胡散臭い。
 合格体験記というのは、真実は書かないことになっている。自分がやったことは合格すれば全て正しいとして、後付けの論理で正当化するだろう。合格した本人はどんな小さな、どうでもいいことだって、合格につながったと言い募ることだろう。だから合格体験記から学ぶことは、とんでもないウソをつかまされて、それを信じて真似をすることになりかねない。
 合格者というのは、悪条件をいかに跳ね返したかとか、いかに追い詰められたかとか、悪環境の中にあって、最期は自分の力で、才能で切り抜けたことを訴えるであろう。自信たっぷりに試験の成績を示して自分の取った方法の優れていたことを弁証する合格者もいる。合格者というのは合格したのだから何を言ってもだれも疑わない。本人も自分の取った方法がすべて合格につながったと信じて疑わない。なにもかもが合格につながったと考えてももちろんその証明はないし、だれも証明もできない。自分が結局優れているということを主張しながらも、中に真実の断片をまぶすことだろう。どんなに後付けのウソを書いても、一片の真実も書かないわけにはいかない。そうでなければ説得力はないから。
 合格者の書いている一般論は立派なことを書くものだが、ほとんど自己満足の、ご託宣である。本当のこと、本当の事実は、闇の中に眠る。これが役に立った、という感想は、すべて超主観的なものであり、客観的なevidenceで証明されることはないし、もともとそのような証明などなし得ようがない。体験者が、そう思ったこと、実感したこと、これに違いないと「思った」ことを恰も客観的真理のように書くものだから読む者を惑わせる。
 啓蒙書、自己啓発書というのは、人生に、仕事に、人間関係に悩む社会人への処世術として書かれたものが多いのかと思うが、そもそもそれを書いたのが、ただのライターなのだ>しかもこの本を売ろうと虎視眈々と窺う連中の書いたものである。もともとevidenceなんてあってないようなものである。どこかで誰か言ったことを適当に繋いで、体裁をつけた駄本しかない。著者は、何処の馬の骨とも知れぬライターもどきのほか、◯◯研究所の代表を名乗る者がほとんどである。もちろんそんな研究所なんか聞いたこともない。そもそも〇〇研究所というのは怪しすぎる。

🎶過去問、模試で解けなかった問題の解説を読み、勉強する馬鹿‼️
 確率的に見ても過去問のできなかった問題をできるようにしておくなど意味がない。それなりの偏差値の学校なら二度と同じ問題は出さないだろうからである。
 よく模試のできなかった問題を復習する人がいるが、わたしはあまり意味がないと思う。できなかなかったら、今現在そこまでの力だったということである。その問題ができるようになったからといって、今の素の実力は変わらない。出題者はそれなりの能力、それなりの実力があれば解けるであろう前提で出題したのであるから、まず一般的な実力をつけてこい、ということである。個別の、具体的な問題ができなかったとして、今の力はそこまでということである。その問題を解けるようにしたところで実力は変わらない。
 過去問一般を問題集として利用する場合は、解けなかった問題を復習するというのと異なる。かつての竹の会では、過去問を使った指導を得意としていた。過去問を教材として使うのである。首都圏には夥しい数の高校がある。それぞれの高校は偏差値に見合った出題を工夫している。だから基本的な問題を満遍なく出す高校とか、重要テーマを繰り返し出す高校とか、それは多種多様なのである。これを教材として利用しない手はない。こうした過去問を年度単位で教材として使うメリットは、入試問題の出題形式に慣れること、一回で広汎にテーマに触れることができること、ほかに時間が勝負だということを学ぶとか、問題を解く順番を考えるとか、問題を解く時間を体で摑むとか、その副次的効果は計り知れない。かつての竹の会は過去問合格法と称して、過去問を教材として徹底して活用してきた。今のようなレジュメに転換したのは、平成17年の指導からであった。都立西志望の新中1を3年間指導したが、その中1の指導に合わせてレジュメを制作してきた。レジュメが完成したのは、平成19年のことだった。彼女(西受験)は、このレジュメで都立西に受かったが、その前哨戦として、豊島岡女子学園に合格しての快挙であった。平成20年をもって竹の会レジュメ指導の完成とする。もちろん高校入試の話しである。都立中受検のためのレジュメ指導の開始は遅れること平成24年のことであった。
 過去問合格法からレジュメ指導への転換は竹の会に授業と対置する内実を持つ「指導」とその実践法の確立を可能とした。
 竹の会が永く問い続けてきた「指導とは何か」にようやく一つの答えを出すものであったように思う。
 この指導の実践の積み重ねを通じてわたしは、小学生の内なる、まだ芽として認識できる前の能力を掘り起こし、芽吹かせ、成長させていく、という指導法を確立させることができたのだと思う。
 わたしの指導を受けた小学生は、早い子と遅い子の差はあるものの、そして大半が早いに属する、順調に計算を上達させ、割合の理解を深め、思考力をつけてゆく。子どもたちは、「わかる」という経験を指導回のたびに重ねることになる。なぜ、わかるのか、それが竹の会の指導技術であり、長い間に、作り上げられてきた様々な指導の細かい工夫の集積としての技術である。
 わたしは、小数の指導法、分数の指導法の細かい技を、指導の実践を通じて研究し考案してきた。割合は特にミクロマクロ法という画期的な方法を発明した。この方法でほとんどの小学生が割合で躓くことから解放した。竹の会で割合を学んだ子たちはどこの塾でも同じような方法で勉強していると勘違いし、他所から来た子たちがベタな割合の問題さえも解けないのを見て不思議がる。わたしがミクロマクロ法を完成させたのは平成23年のことであった。それからわたしの研究はさらに進み、竹の会独自の算数体系を完成させるまでになった。

 竹の会の小学生は計算の達人である。いや計算の達人になるまで指導のたびに高度な計算問題を毎回4題解いてからそもそもの勉強に入ることになっている。

 割合指導の目安は、計算導入から1,2か月して逆算ができるようになったと判断したときからである。ここから割合のさまざまなレジュメがこれでもかというほど投入されることになる。さまざまな視点から手を替え品を替え割合概念の習得が図られる。他塾がテキストの一項目としてせいぜい4ページほど授業するものを竹の会では1年、2年かけて理解を図る。なべて割合に特化した指導である。子どもたちは割合の勉強を通じてさまざまな算数の考え方を学んでいく。

 竹の会の小学生が公立中学に進んでトップクラスにいる可能性が高いのは都合このような事情による。

🎶高校入試の薦め
 都立三年型教育でめざせ国立大‼️
 都立中高一貫校は、日東駒専に行くところか❗️
 都立中高一貫校の進学実績が注目されて受検熱をさらにヒートアップしている。一つには進学実績もさることながら授業料が区立と変わらないのに、進学に特化した授業、選抜試験を潜り抜けた子たちなので質が揃っている、ということが魅力の一つになっている。
 確かに、現在の区立中学は、生徒の質が悪く、まともな受験をするのは一部の、2割弱程度と思われる。その他大勢組は、まともに授業を理解できず、部活にエネルギーを消耗し、授業は彼らには退屈そのもので、時間に耐えられず、おしゃべり、ちょっかい、ふざけ、立ち歩き、横やりなどと授業妨害を常とするようになる。そしていじめ類似の状況が普通にある。
 このような区立に子どもをやることは確かに抵抗があるのも頷ける。
 しかし、このような悪環境の中で、それにも負けず、順応性と適応力を培い、勉強という軸を貫いていく区立中学の優等生は、強かに鍛えられる、のである。そのような機会と捉えれば、コミュニケ能力を培う絶好の場であることも否定できない。こうしてこの悪環境にもめげずに1割に選ばれれば、日比谷、西、国立、戸山、青山などのいわゆる3年型都立に進学できれば、都立中高一貫校を遥かに凌ぐ、大学に行ける機会に恵まれるのである。

 悪環境の中には、悪名高い内申制度ももちろんその大きな要因である。教師や学校のご機嫌お伺い制度としての悪しき慣習が子どもを学力のある生徒をトップ都立への進学から排除する。学力だけで判断しないというのは建前としては立派だが他の評価が歪められたものならかえってよくない。公立でも天才は私立へと流れる所以である。
 

 〇都立中高一貫校の進学状況~白鷗の場合 卒業生226人

 東大1 京大1 北大1 東北大2 大阪大1 その他国公立45人 以上

 慶應14 早稲田18 明治45 立教29 法政39 理科大32 中央20 青学15 上智14 ※1人が複数の大学・複数の学部に合格している場合が多いことに注意 また国立大合格者も多数含まれることにも注意

 私立大で多数合格しているもの 東洋55 日大37 千葉工大63 駒澤12 専修11

 〇3年型都立の進学状況~都立戸山の場合 卒業生312人

 東大9 京大6 北大10 東北大5 名古屋大1 その他の国公立118

 慶應51 早稲田75 明治146 立教59 法政39 理科大116 中央34 青学22 上智42 ※1人が複数の大学・複数の学部に合格している場合が多いことに注意 また国立大合格者も多数含まれることにも注意

 私立大で多数合格しているもの 東洋22 日大31 千葉工大18 駒澤3 専修3

 評論

 どうであろうか。戸山で日東駒専に行く者は少ないが、白鷗はかなりの数に上る。国立大合格者、早慶他有名私大の合格者も戸山が圧倒している。卒業生数の差は86人である。

 進学には3年型都立が圧倒的に有利なのだということがお分かりであろうか。

 白鷗の有名国立大の合格者は10人ほどである。その者が早慶に合格しているとしたら、白鷗に行っても上位10番までにいなければ有名国立大は無理ということである。

 都立中学に血眼になっていく気持ちがわたしにはわからない。ちなみに竹の会から桜修館などに合格した生徒は桜修館などでトップクラスの成績にあることだけは付言しておきたい。

 わたしにはなぜ普通に公立中学に進んでトップ都立をめざないのか、よくわからない。

 わたしが高校受験の専門ということもあるのかもしれないが、優等生なら3年型都立をめざせ、と言いたい。

 区立中学は学力不振の生徒が8割いるところ。だから学年の1割に入ればたちまちトップ都立への道が見えてくる。区立は授業妨害もあり、環境はかなり悪い。しかし、そういう悪環境から3年型都立進学校へ合格していく生徒が生産される。また内申制度という「贔屓」を制度化したものがあるが、これも社会適応性、順応性の訓練と思ってうまく演じればいい。

 ただし、都立トップ校へと進むには中1からみっちりと勉強をしなければどうにもならない。

 塾なしでそういうトップ都立へと進むのは無理と考えたほうがいい。超例外の人は参考にはならない。

 

 

ページトップへ