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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

桜修館攻略 都立青山 都立小山台 慶應女子 女子学院 🎵🎵40年塾をやってきて、わかったこと

2023.09.12

🎵🎵40年塾をやってきて、わかったこと

 昔からよくあった。大手に行ってた子たちが、軒並み落ちた! そんなとき竹の会の子たちが必ず合格した!! 竹の会はいつも歓喜に沸いた。
 あの当時は、大手と言えば、例えば、河合塾、代ゼミなどが高校入試でも全盛の頃でした。難関私立に行くには、みんなそういうところに行ったものでした。
 ただ都立は、そういうところに行く人も多かったと思うのですが、竹の会の見聞では、地元の中小の塾に行く人が多かったのではと思います。大手とかに都立志望で行く人は失敗したという話ししかか知りません。おそらく大手に通うだけの能力のなかった人たちだったのでしょう。大手でうまくいかないから、竹の会のような個人塾にやってきたと思われるからです。知能の高い人たちは、成功した人もいたのでしょう。わたしが知らないだけです。
 
 
 高校受験で成功に導くには
 かつての竹の会には、中3になってから初めて塾に来たという生徒ばかりでした。中1から塾にやるという家庭は、よほど高学歴の家庭だったのかと思います。あの頃の民度は低く、高校だけは出して、あとは、よくて専門学校、たいていはそのまま社会に出て働く、という家庭ばかりでした。東京というのは、そういう家庭で溢れていました。
 高校受験で成功するには、そんなことはもうわかっています。
 今は、もうわたしには、わかっています。
 小学低学年から基礎学力を鍛えること、これが高校受験の準備前段階になります。
 竹の会の想定する基礎学力とは
 計算は、中学受験難関中学の計算問題を2分ほどで解ける力です。割合なんかも中堅の私立の出す過去問レベルは解けて当たり前ということにしていなければまずいでしょうね。

 難関私立高校に合格するには

 これは竹の会の得意技です。よく聞くのが学校に成績もよくてできると周囲が認める子,優等生ですね。そういう生徒が中3になって志望校の過去問をやる,するとなんと10点なんか取ってしまう。これは昔からよくあることです。後で,述べますが,選んだ塾が失敗ということです。もっと言えば,親が高校入試に無知すぎたということです。

 桜修館に合格するには

 これは今ははきりしていますね。竹の会のレジュメを合格を取りながら進めて行く,それだけです。

 都立高校に合格するには

 竹の会の指導の流れに乗ることです。
 

 都立序列 
 進学指導重点校
 ①日比谷 ②西 ②国立 ④戸山 ⑤立川 ⑥青山 ⑦八王子東

 竹の会の進学実績 西、戸山、青山
 

 進学指導特別推進校
  ①小山台、②駒場、③新宿、④町田、⑤国分寺、⑥国際、⑦小松川
 竹の会の進学実績 小山台、駒場、新宿、町田、国際
 

 進学指導推進校
 ①三田、②豊多摩、③竹早、④北園、
 竹の会の進学実績 三田、北園

都立序列

🔳偏差値60以上都立
小山台、三田、駒場、小松川、竹早、武蔵野北、小金井北、日野台、調布北、城東
竹の会の進学実績 小山台、三田、駒場
🔳偏差値59〜57
北園、豊多摩、町田、狛江、目黒、昭和
竹の会の進学実績 北園、町田、狛江、目黒
🔳偏差値56と55
文京、上野、南平、井草、東大和南、小平、石神井
竹の会の進学実績 文京
🔳偏差値54と53
広尾、江戸川、成瀬、清瀬、調布南、豊島、神代
竹の会の進学実績 広尾

▲単位制普通科
国際、新宿、国分寺

竹の会の進学実績 国際 新宿

倍率の高い都立
○男子
日比谷2.50  目黒2.39  青山2.25  戸山2.14  豊多摩2.05
◎女子
広尾2.47  井草2.36  向丘2.35  三田2.26

△都立普通科募集24108人
応募34870人
倍率1.45倍

行く価値のある都立か~そこに行けば大学の進学はできるのか
 都立広尾まで、それより下は、大学への展望はほとんどない。知り合いに、都立広尾からAO入試で、明治大に合格した女子がいる。小論文を提出するだけで合格した。小論文は、親が手伝って書いたもの。
このランクになるとトップ層にないとまともな大学には行けないかもしれない。竹の会の卒業生には、都立目黒から北海道大学に行った生徒がいた。昔は、目黒より広尾のほうが上だったのだが、新校舎になって逆転した、

 
都立は、独自問題出題校共通問題出題校とでは、天地の較差がある。
共通問題出題校は、素内申40以上の生徒が競う場所である。5科目430点前後が合格の目安となる。
共通にしても、独自にしても、内申の比重が大きいのは変わらない。内申が高いほど有利である。実力の伯仲した者どうしの鎬の削りあいとなること必定で、僅差を分けるのは内申なのかもしれない。
独自問題出題校の合否判定は、Vもぎの「そっくり模試」では測れない。せめて独自問題模試である。これが使えるのは、都立独自校第一志望の生徒がほぼ90%参加するからである。独自問題模試受験者の中から、私立難関受験生は除かようか。ほとんどが、駿台模試を受けて、独自模試は受けないと思われる。もともと都立に行く気はないからである。逆に、都立第一志望で、慶應なんか受けてみよう、という男子はいる。こういう生徒は、慶應受かったら慶應に行くかもしれない。かなり流動的な層です。

私立難関は、都立独自問題出題校と天地の較差がある。
開成、筑駒を受けるヤツは、日比谷を滑り止めにする、ということです。
ただし、これは男子の話し。女子には、東大に行くコースが、都立しかないんですよね。だから慶應女子に受かっても、日比谷に行く女子もいる。

高校受験バカ塾に通ったツケ
 中2まで塾に行かない、あるいは行っても受験を、知らない塾、中2まで学校と進度を合わせる、学校の授業に落ちこぼれない、ことを謳う、塾がある。
 よく中2まで成績優秀、内申は5ばかり、というのがいる、親も学校の成績がいいので、上機嫌、将来は、「日比谷ね」とか、親子で微笑み合う。
 中3になって、中3の勉強をする?
 ちょっと待てよ、6月には、もう模試が始まるんだよ。
 学校なんて一学期だとまだ多項式とか、あたりでしょ。
 模試の英語は、もう長文読解ですよ、数学は最初は出題範囲に気を遣ってくれるが、夏が過ぎればそれもない。要は、中学の全範囲ということだから,8割は中3からの出題だろう。 
 この失敗の原因はもう明らかでしょ
 高校受験は、小6の末から始まっているということです。高校受験に成功するには、早く始めて、如何に早く終わらせるか、にかかっている、ということです。令和4年に竹の会から開成、筑駒に合格していますが、最初から開成を目指したわけではない。ただ日比谷は想定していた。いずれにしても、最高のスピードで進めて行ったことは間違いない。
 中には、季節講習に出ないなどという、首を傾げたくなるような家庭もあったけど、竹の会は、季節講習も含めて、いや含めなければ、成功はありえないのだけれども、とにかく指導には目一杯出なければ成功はないわけです。具体的に言えば、中3までの数学は中1の冬には終わらせていた。英語は、中2になったときは、高校用英語副読本の解釈指導に入っていた、ということです。中2の秋には、都立の理科、社会の過去問を指導のたびに時間を測ってテストした。もちろん毎回80点以上はとらなければ、即中止です。開成や筑駒の理科、社会は、半端なしに難しいから、都立程度の理科、社会で、まごまごしているわけにはいかなかったのです。
 英単語は単語集を渡してとにかく覚えてもらった。
 開成、筑駒の国語は、全問記述式です。その対策だっている。また古文も手が抜けない。やることは多いのです。
 わたしは、手を尽くした。手をかけた。
 そうしたら、駿台模試で全国一番を取った。いいですか、駿台模試は、サピックスや早稲アカ、Z会などのできる奴が全員受ける模試です。その模試で一番を取ったのです。
これで竹の会の、私の指導が、どんなものか、少しはわかってもらえたのかな、と思う。
大手の天才なんか、わたしには、ただのカモでしかない。
わたしが、わたしのやり方で、本気出して、指導すればこうなる。
わたしは、それをいつか証明したかった、ただそれだけです。
受験というのは、手をかけなければ受からない。手をかけてやれば、だめだと思われた生徒だって受かるのです。
と言っても生徒に応える気がなければどうにもなりまけんけど。
竹の会では、令和4年と令和5年に都立広尾に女子が合格しています。広尾ならかつて目黒より上の時代にはよく合格したものです。かつての21グループに属していた。22グループは松原を筆頭にそれ以下の都立がいろいろあった。だから広尾はとにかく21グループなので悪くはなかった。しかし、竹の会の合格で公表されたのは、最低でも文京あたりでした。
今は中学生がほとんどいないこともありますが、広尾を受けた生徒が、小学生からいたこと、まじめに三年間通ってきたこと、それで広尾の倍率が女子で2倍を超えたこと、さらには模試の結果が最初から広尾どころか、下手したら底辺の都立になるかもしれない、ということで、わたしも手をかけることにしたのです。それぞれの家庭が、季節講習もきちんと出てきた。そういうところから、これは落とせない。合格させなければならない、そういう気持ちになった、ということです。難関校だとそのご家庭のお母さんなどの真摯さに手をかける、そういうことはよくありました、しかし、広尾で手をかけるということはなかった。
わたしが手をかけた、手を尽くした生徒は必ず受かった。合格した。本気を出したとき、必ず合格を勝ち得た。合格で報われてきたという歴史がありました。本気というのは、合格に向けて四六時中手をかける、気を配る、頭を使う、指導を実行する、ということです。私のやり方は、いつも生徒の能力、実力をあらゆる方法でチェックし、欠陥を発見したら、それをなんとかするために手を尽くす。そういうやり方でした。これは生徒が「できない」ということを赤裸々に、恥ずかしがらずに、素直に、見せてくれることがなければできないことです。例えば、かつていた生徒のように、模試はほとんど受けない。受けてもこっそり外部のルートで受ける。定期テストの結果を一切報告しない。内申も隠す。こういう生徒だと、もはや指導は不可能なわけです。だから私も手をかけることなどない。そういう生徒というのは、季節講習も最低で済ますのが例外のないことだったので、私には最初から落ちるのはわかっていた、というのが本当のところでした。自尊心が強く、学校の内申のいい生徒というのは、実力もないのに、青山だとか、日比谷だとかを受けるのですね。わたしは相談なんかされたこともなく、親と子の、私と関係ないところでの、決定だったわけです。
 渋谷教室に移転してからまもなく入会試験をするようになりました。それまでは入会試験などやったこともなかったから、それこそオール1なんていう子も来たわけです。内申も悪い、才能も普通、従って向上心もない、そういう子が成功する、それなりのところに受かる、そういうことはまずないわけです。
まあ、わたしは、とにかく指導しても効果のある、そういう子を教えたかったわけです。ところが、都立中高一貫校を志望する小学生の家庭というのは、私立受験をする家庭とは、明らか違ったわけです。能力はあっても、受検に専念する家庭は少ない。カネはかけないというのが大前提としてありました。それから必ず低学年から習い事、稽古事などをやっていて、それだけは受検に優先的な位置にあった家庭が多かったわけです。その流れからか、家庭の行事、学校の行事も積極的に参加し、家族旅行、実家帰省、親戚の集まり、外食などと常に勉強は先送りされて来ました。そういう家庭の子というのはまあ例外なく落ちてきたわけです。
受かったのは、受検ということのわかっていた家庭の子でした。何を置いても勉強を優先させる、そういう家庭でした。
 入会試験に落ちた子は、入会できなかったわけです。しかし、ある時期、入会試験なしの子、極端な例としては、0点の子さえも、6か月という限定つきの入会を認めたことがありました。あの当時、教室がガラガラで、まあ、一人二人なら見てみるか、という気になったのです。その流れで、正式合格ではない、準合格の子たちが入ることもよくあつたと思います。、ただ準合格の子たちの中から合格者が出たことも複数兎ありましたね。準合格でも熱心な家庭なら合格するのだ、ということがわかりました。
 入会試験が壊滅的だった子は成功した例がありません。入会試験0点で、高校入試では偏差値も内申も上がった生徒がいましたが、まあ、トップレベルの高校ばかり受けたこともあったのでしょうが、すべて落ちました。真面目な生徒でしたが、何か足りない、私の心の中で符合しない、そういう気持ちがずっとありましたが、そういうときは、落ちるのだ、ということを学びました。この生徒も、わたしに対する情報開示は不完全、とにかくわたしにはなんらかの、正体不明のストレスが溜まりました。わたしに何かとストレスを遺す子というのは、成功しないわけです。
とにかく情報開示がスムーズではない、というのが一番のストレスです。指導がリズムよく進められていないということなのですから。
受検指導が失敗するのは、この情報開示が不実ということがほとんどです。
作文を書かない、という子たちがいましたが、これはもちろん情報なしです。書かない、つまり練習しないというのは、それだけで落ちる要素満載ですが、情報開示という視点から見ると、わたしには指導材料が皆無ということです。レジュメを出せない、という子たちがその大半という年がありましたが、これでは適切な指導が一切できなかった、わけです、それから竹の会では、レジュメは指導の場でやって、それをわたしが見るというのがセオリーですけど、小6の途中から大手などから来た子というのは、焦りもあるのでしょう、通常では考えられない、普通なら2か月はかかる、そういうレジュメを3日で終わらせてくる、そういう子がいましたが、なんか勘違いしているわけです。レジュメを一枚解く過程が、思考養成なわけです。家庭でおそらく自分で全て解いてきたとはとても思えないのですが、本人は自分で解いたと言いますけど、その3日間で思考力がついたとはとても思えないわけです。レジュメは本当に自分で考えたら、とてつもない時間がかかると思うのです。一枚1時間はかかる子ばかりです。数時間かけても解けない子もいる、
ここで時間がかかるというのは、はっきりと能力不足です。
本番なら、どんなに難しくて一問にかけられる時間は15分ギリギリ。他の大問2問と合わせ45分だから、10分が目安。
それを1時間、2時間かけても解けない、というのは、それはそれで問題なわけです。
竹の会の合格者は、みんな解けなかった。それでも、粘って考えて、解き直しをした。みんなそうだった、楽に解いた子は少ない。
もちろん時間をかけないで解いた子は確実に受かっている、
竹の会はそんなことは全て織り込み済みで、みんな血の出るような勉強をして受かってきた。
わたしは、習い事、稽古事、家族旅行、その他を優先する人たちが、受検するということの意味をわかっているのか、わからない。
試験とは、自己に過酷な、荷重をかけるものである。この荷重をどこまで自分でコントロールして、運べるか、である。
とにかく運ばなければならない。
息抜きは、運ぶことの放棄になりうる。
何日も運ばない日があるなんて
習い事、稽古事で飛び飛びに運ばない日があるなんて、
荷重は、何日も放置されることになる。
一日も早く前へ進める、これがポイントである。

試験とは、荷重を決められた量、目的地まで運ぶ、ことを求めるものである。何かほかのことをやればそれだけ遅れる。それは当たり前のことである。結局、目的地まで運び切らない、そのために、落ちる人が多数いる。
勉強しない日が何日もある、作文を書かなければ、作文という荷重はずっとそのままである。
思考力というのは、考える、それなりに脳に負荷をかける、脳を働かせるには、負荷がなければ、だめである。
負荷をかけた状態を継続する、これが思考力をつける唯一の方法であ。、
だから、竹の会では、一つの問題を負荷をかけた状態で何時間も考えさせるのだ。それを負荷もかけないで、すぐ聞く、説明をしてもらう、これでは、思考は一向に育たない。解説を読むのは、また別の脳の働きであり、決して、謎解きの脳ではない>謎をなるほどと理解できても、思考はできない。
思考を作るために、問題を、解いている、のだ。
早く答えを、見つけて次に進むことではない。
どれだけ、負荷をかけた状態で荷重を運んだか、である。
わたしが、合格するためには、と常日頃言っていることを深いところで理解してくれる人は少ない。
受験、受検をするということ、それは合格をすることを第一とする。もし合格できなくても、高校受験、大学受験で、戦える、基礎を作り上げておくこと、である。
高校受験、大学受験は、さらなる荷重を運ぶ戦いである。遅くとも小6の2月には開始しないと。理想は、2月、3月、春までに、進められるだけ進めること。数学なら、中1関数まで進めた生徒もいる。英語は、単語の暗記から、体が英語に感覚的に馴染むほど、没頭すること、500語のスペルが、語感で書けるようになればもはや英語で悩むことはなくなる、あとはまっしぐらに邁進するのみだ>、
竹の会のレジュメシステムは最も効率よく受験に必要な素養をあっという間に身につけてくれるだろう>
竹の会レジュメの凄さ

わたしは、早稲アカ、サピックスの最高クラスのテキストを検証して、竹の会のレジュメの凄さがよくわかった。竹の会のレジュメが、大手の遥か上に行くことを認めた。
令和4年、筑駒、開成、渋谷幕張にトップ3で合格した、理由がわかった。また令和5年竹の会のレジュメだけで、桜修館に合格したことは、大きな収穫となった。彼女は、早稲田進学会模試では、番外であった。彼女が真剣に取り組んだのは、竹の会の、門外不出の、珠玉のレジュメ、それはわたしが精魂かけて作った作品であった。
これまで他塾の模試に翻弄されてきたことは、わたしの不徳のいたすところであった。私が私のレジュメだけではなく、他の、大手なりの、外からの根拠を求めできたこと、それが昨今使えなくなってきた、のだから。
一つは、一つの主催者の模試に集まる母数の少なさ、これまで定評あるとされてきた模試の、問題の使い回しなどの不適切な行為の発覚
大手専門塾の、模試のレベルの低。、受験者の人数は多くても、そこで上位を取っても信用ならない事実
私立難関中学受験者が、都立に参戦するようになって、これまでの都立中高一貫校対策塾はもはや敵ではなくなった。そういう対策塾の主催する模試はもはや使えないということ、

サピックスや早稲アカの受験生が、私立の併願として、都立中学を大挙受ける時代である。かと言って、サピックスなどの、私立型模試を受けるのは、意味がない。竹の会のレジュメが、最適の判断基準となるだろう。

竹の会のレジュメを信じてやった者が受かる。これが真理です。

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