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正確な知識だけが役に立つ 国語の解き方第5回講義

2022.05.16

 

正確な知識だけが役に立つ

曖昧なままにしておくことの罪

 曖昧な知識は、「ない」のと同じである。理解が曖昧、記憶が曖昧いずれもだめである。
 基本を繰り返す意味は、ここにある。曖昧なままに前に進んでもそれはいずれ崩れる、土台がしっかりしていない積み木と同じである。本人は積み上げたつもりでも、いつかは土台から崩れる。
 さて、「考える」ということをこの積み木に喩えてみよう。
 なにかを教えてもらうとき、よくわからない、つまり理解が曖昧なとき、理解するよりも簡単な方法がある。形を真似るのである。手順の方法を真似るのである。この方法は、同じ問題にしか、使えない。だからいつも迷う。こういう子は、具体的にしか、ものを見れない。具体的な表現は違っても、抽象的に見れば、実は同じということがわからない。頭が悪いというのは、抽象化して物事を見れない、という意味である。抽象化というのは、関係性という抽象概念に共通性を見ることである。関係性の類似性を理解する、これが頭がいいということである。
 だから学問を学ぶというのは、実に、この抽象化思考を身につけることであり、単に、知識を頭を使わない暗記という形で増やしていくことではない。ここを勘違いしているから成績が伸びないのだ。こうして学ぶとい過程は、抽象の積み木を積み上げていくことにほかならない。
 土台のところで、自分で考えたのではない、つまり、他人から教わった、説明を受けた、それでわかったという積み木を積んでいったらどうなるか。自分では全く考えないで、誰かに説明を受けて解けた(と思い込んでいる)という積み木を積んでいったらどうなるか。その上に積み上げられる積み木は、決して自分で考えた抽象化の結果できた積み木ではない。つまり、異質の積み木がモザイク状に積み上げられていく。脆いのはもちろんである。いつか必ず崩れ落ちる。
 自分で考える、これは抽象化をすることに腐心すること、事実から「関係性」という抽象関係を見抜き、その抽象的枠組みの中で、事実を見る。事実の観察は、有意的なものでなければならない。だから、まず図にかくのだ。これは問題文を正確に図化することで、全体像を俯瞰するためである。図は適材適所である。線分図、面積図(平面図)、立体図(座標図)、ダイヤグラム(グラフ)、時には、見取り図ということもある。とにかく問題文を正確に関係性を見るために正確に図化する。これはほかならない解決の糸口を見つけるための手順である。問題というのは、答えを求めようと考えるのではない。そんなものは問題を見ただけでわかるはずもない。だからともかくも解決の糸口をまず探そうとするのである。
 よく子どもたちには、答えを求めようとしているのがよくわかる行動をとることがある。わかっていない、意味が分かっていない、だから「割る」「かける」を適当にやる。割るべきところをかけ、かけるべきところを割る。割るときも、割る数と割られる数をよく逆にする。単位で考えてないのだ。最初の頃は、数に単位をつけて、その数の意味を考えながら、これは割るのか、かけるのかを考える癖をつけなければならない。計算の結果、出てきた数学がどういう単位の数なのか、確認しなければならない。
 数というものは、抽象的なものである。単位をつけて初めてその数に意味が生まれる。あなたたちが、年齢に歳、箪笥に棹、ペンギンに一羽、と単位をつけるのは、数をできるだけ具体的に意味あるものとして、相手に伝えるためである。算数や数学で、単位をつけない数は、あなたたちの頭の中の思考過程が意味づけしながら、なされていないと推測されることになる。
 さて、積み木の話しに巻き戻します。偽の、架空の積み木を積み上げていないか、試験直前に、失速する、崩れる、空回りする、これは積み木が積み上がってなかった、ということです。
 考えるということはどういうことか、もう一度よく考えてみてください。抽象化する、事実を抽象的に言いかえる、つまり、共通点を見つけ出す、その共通点はさらに抽象的なものになるはずです。

国語の解き方第5回講義

 長い段落の文章について

 実は長い文章ほど中身は薄いことが多いのです。こういう文章は、まず段落全体を読む前に、段落の最初と最後だけをさーっと読むのが手です。

 短い段落の文章について

 短い段落とは、文が1つの文しかない段落のことです。この一文段落は、問題提起の働きをするのがほとんどですが、筆者の意見そのものであることが多いということを知っておいてください。段落の構造論から言うと、段落というのは、具体と抽象からできているということは前にお話ししましたが、そうなると、一段落=一意見、つまり抽象のかたまりということになります。

 一文段落に目をつけろ! これは読解の鉄則です。

 今日は、段落の構造について、再論したかたちですが、実は、文章にも構造があるということを知っておいてください。

 この文章の構造論には、みなさんも知っている、「起承転結」や「序論、本論、結論」みたいなものが、説かれていますが、ここでは、やはり段落論と同じ構造になっているのだということを説明しなければならいでしょう。

 文章構造は、筆者の意見を明確にするためにある。つまり、結論を明確にすることが、大切です。むだから、結論の位置を明確に示すことが必要になります。文章というのは、筆者の結論を明確にするために必ずその位置を示しています。

 さて、それでは、結論の文章はどこにあるのか。

 文章の構造も同じです。「抽象→具体→抽象」の順番になっているのがほとんどです。

 したがって、筆者の意見は、文章の最初と最後にある。筆者の意見は形を変えて繰り返される。そして繰り返される場所は決まってくる。文章の最初と最後の方にまとまってくる、ということです。

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