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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

簡単に済ませるならそれに越したことはない‼️

2022.11.30

簡単に済ませるならそれに越したことはない‼️
  踏み込むな‼️
 試験が専門化するほどこの格言(私の造語)は真実性を帯びてくる。専門試験というのは、いきなり専門家の知識を求めるものではない。専門の掻い摘んだところだけは知っていてほしい、そんなところではないか。決してあらゆるところで専門家の深い知識を求めているのではない。だからある事柄を勉強するとき、「ここまでは」、あるいは「それから先は」踏み込まないでいい、という境界線がある。専門試験というのは、この黙示の境界線を常に意識して、線を引き、踏み込まないことが必要である。
 大学入試はどうか。
 大学のレベルは、偏差値によって画される。したがって求められる知識の範囲も偏差値によって広くなったり狭くなったりする。大学入試は、予備校によって範囲確定がなされるから、それを目処に知識の範囲を画定していけばいい。参考書や問題集も偏差値、志望大学などによって使用可能域を目安として示しているものがほとんどである。
 高校入試はどうか?
 難関高校トップ都立高校とでは勉強の範囲にもちろん違いがある。都立は、如何に難しくしようとも文部省の指導要領の枠を出れない。
 独自問題校の数学は、私立系的な難しさを遠慮がちに取り入れています。立体について、動点をからめて、計算を難しくし、時間不足になるように、仕組んでいます。このように独自問題の数学は、時間不足を狙ったものとなっています。
 難関高校の数学にしても、高校入試という枠的限界というか、歯止めはあるので、無制限に難しくするということは無理です。開成のように、高校数学から題材を取り、モディファイしたものとか、慶應によく見られる相似を複雑にからめるとか、図を取りにくくして難しくするなど、大学入試の数学とは、違って理論的に難しくするには、限界があります。既存の知識を複雑にするしか方法はないようです。大学入試と違って、既知は前提なので、やはり演習が効果的です。大学入試の場合は、青チャートの暗記でほとんどカバーできるかもしれません。
 踏み込まないこと、これは、特に、高校入試では、指導者に求められる鉄則なのかもしれない。よく大手がやる、開成のための理科〇〇題とか、筑駒のための数学〇〇題のような類いも、もしかしたら踏み込んでいるかもしれない。そういう恐れはある。ここは、指導者が、判断して、質のいいもの、これだ、というものを選ぶ必要がある。

 開成高校と筑駒の数学対策はどのようにやったか。これは、特に、特別のものはやっていない。しかし、それでも90点前後は常に取れるようには仕上げた。竹の会には、伝統的に、高校入試数学体系を短期にやり上げるレジュメ体系が完成している。だから最初は、まずこれを一気に終わらせることになる。早い生徒で、中1の冬休みには、中堅私立の入試問題は解けるまでに仕上がっている。それから慶應特集とか、海城特集みたいなレジュメがあって、さらに日比谷などの独自問題校の数学を何百題か扱ったレジュメがある。わたしが好んで使う過去問を特集した問題集なんかも使う。数学は仕上げるまで、そんなに苦労したということはない。やはり英語を90点以上取れるように仕上げるとか、記述問題しか出ない国語で90%取るなど、そちらでかなり試行錯誤した。また、理科、社会も9割コンスタントに取るまでに仕上げるために、あれこれ苦労した。
 踏み込むな‼️  というが、こちらは自信がない。なにしろ開成、筑駒には、一冊でカバーできる理科、社会の参考書がないからだ。私なりにいろいろ試して過去模試なんかで綿密にチェックを重ねて、なんとか格好がついたというのが正直な感想である。開成、筑駒については、理科、社会の決定打となる参考者はないということだ。しかし、結果として、模試、過去問で9割取れるまでに仕上げた経験から私なりのアルゴリズムは脳内に出来上がってはいる。
 指導者として、踏み込まないでこれたかというと甚だ自信がない。心配でかなり踏み込んだのではないか、とさえ思う。特に、相手が難関、日本一の超難関校であることが、わたしを踏み込んではならないという鉄則と真っ向から衝突させたことは認めなければならない。竹の会、私には、真の意味の初の挑戦であり、どうしても悪い方に考えて、踏み込んでしまう。
 受験した当人には、かなりの負荷をかけてきたのかも知れない。たいてい1週間で「切って」やるように指示したから。これは、やってくれなければ、私の指導の見込みも崩壊するのだから、かけでもあった。過去の生徒で、これまで私の期待した通りにやった生徒は皆無であり、例外なく指導は瓦解している。〇〇(受験した生徒)が私の言う通りに実行してくれるのか、不安だった。しかし、早くから準備してきたことがよかったのか、彼は私の指示をそれほど負担には感じなかったようだ。私の指示が、実行され、それが模試の結果に反映する、そうするとさらなら私の指示、要求も喜々として実行される、いい循環に入っていたと思う。また親御さんが一切口出しなしというのも私のやりたいようにできた理由であった。過去には、これまで親御さんの口出しで失敗した例なら枚挙に暇ない。いくら受験の情報が豊富でもただのど素人に過ぎない親がわたしの指導に横槍を入れるのは、苦々しいことであった。親の横槍が失敗に導いてきた例なら腐るほどある。

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