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落ちこぼれは必ず出る

2023.01.05

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落ちこぼれは必ず出る
 開成高校の下位層は、落ちこぼれを形成する。あの開成にして、落ちこぼれは、必然なのである。合格ラインギリギリで合格した者には、入学後、ある意味試練が待っている。こういう頑張ってギリギリの人たちが、入学後のし上がるのは、至難であろう。上位層を占めるのは、もちろん上位合格者を中心とした、真の天才集団である。
 開成では、東大に行けない者は、落ちこぼれである。それは、東大落ちて、早慶に来た者が、自ら「自分は落ちこぼれだった」と言うことからもその空気を感じ取れる。ただし、真の落ちこぼれは、早慶にも行けず、日東駒専あたりに落ち着く層なのだろうが。
 日比谷も当然落ちこぼれを内包する学校である。日比谷は、開成合格者も来れば、開成落ちも来る。早慶合格者も来れば、早慶落ちも来る。つまり、日比谷の上位層は、そうした知能集団が形成する。この上位層の規範は、私立難関受験で経験した受験感覚が生き続け、入学後もSEGや鉄緑会などに通い切磋琢磨する。他方下位層の規範意識は低い。一般試験で内申に守られて試験に受かった層、内申で推薦合格をもらって天狗になり入学後は力足らずで底辺の住人となる層、もともと高度な授業にはついていけないであろう努力家集団、こうして落ちこぼれて勉強そのものの意欲を失くした生徒、そういう生徒がむらを形成する。日比谷でも大量の落ちこぼれは発生する。日比谷には、日比谷の規範がある。東大に受かる上位層といくらあがいても「足りない」層の二極化が進む。
 ここで諺を一つ。
 鶏口となるも牛後となる勿れ〔戦国策韓策・史記蘇秦伝〕
 大きな集団のしりについているよりは、小さな集団でもよいから、そのかしらとなれ。
 

 日比谷に入れたから喜ぶ? 都立中に受かったから喜ぶ?
 尻ならそれは落ちこぼれということです。
 尻の層は、必然勉強への関心は薄れていく。6年という長い期間は、勉強に距離を置く規範に馴染んできた者には、ある意味飼い殺しであり、中弛みは当然に訪れる。それは落ちこぼれを固定化することになる。こうして二極化は進む。薄い上位層と厚い下位層の二極化である。
 鶏口となるも牛後となる勿れ‼️
 二極化の下位層に6年間鬱屈として押しつけられるより、より希望に満ちた、努力による、自分の未来を切り拓く、3年型都立、しかも7都立(23区なら日比谷・西・戸山・青山・新宿・小山台・駒場)への合格を勝ち取る高校生活の方が余程いい6年間を送ることになる。
 下位層という環境
 いくら小石川でも下位層では‼️  いくら白鷗でも下位層では‼️ いくら桜修館でも下位層では‼️
 下位層という規範、環境に身を置けば、朱に交われば赤くなる‼️  の如し。
 3年型都立の進学指導重点校を目指せ‼️
 進学指導重点校 7校 日比谷、西、国立、八王子東、戸山、青山、立川
 進学指導特別推進校(7校) 小山台、駒場、新宿、町田、国分寺、国際、小松川
 このほか、進学指導推進校(15校)として、三田、豊多摩、竹早、北園、墨田川、城東、武蔵野北、小金井北、江北、江戸川、日野台、調布北、多摩科学技術、上野、昭和がある。
 

 マラソンならトップグループと落伍者のグループとに、二極化するということは、あり得ないが、まさにトップ集団と落伍者集団に二極化するのが、学力の世界である。そして上位層は、やはり薄い。つまり、トップ層を形成するグループは薄いのである。だから開成、筑駒のようにトップ層が厚いのは異例のことである。
 それから、筑駒について、ひとつ触れておかねばならない。受験対策、つまり大学進学指導など一切やらない、ということである。筑駒の生徒は天才ばかりである。こういう生徒は、放っておいても、勝手に東大に入るということだ。こういう学校に行って進学の面倒見てもらおうなんて思っているととんでもない思い違いとなる。少しズレるが、総じて国立大学は、入学すればわかるが、教授は自分の研究だけに関心があり、学生がどうなろうと知ったことではないのである。これは私立大学と大きく違う点である。

 話しは脱線したが、開成高校は私立だから、まだ筑駒よりましと思う。しかし、その開成にして、落ちこぼれが層を成していることは有名な話しである。これは麻布も同じ。筑駒と開成の両方受かったとき、どちらにするか、悩ましい問題だが、選択の分岐点は、そこがポイントとなる。それから国立は、設備が古いところが多い。対照的に、私立は設備が新しい。生徒のサービスに力を入れている。したがって、進学指導にも熱心である。進学実績が少子化時代の生徒集めには有効と承知している。ちなみに、昨今都内の私立中学は定員割れをするところが多く、まともに生徒を集められない中学が続出している。この事情は、私立の高校でも変わらない。早くから私立高校は、定員の半数を単願推薦(無試験)にして、早くから取り込む。これはかつてそれなりの偏差値があった日大鶴丘、日大櫻丘などの日大系列、専修大系に顕著である。ましてやそれより下位の私立では推して知るべしである。低偏差値私立は全員無試験にしても集められないのだ。
 3年型都立は、早くから取り組めば進学指導重点校特別推進校に入れる可能性大である。もちろん誰でもというわけではない。能力があっての話しである。努力しての話しである。中学生になっても部活に時間を取られ、旅行、キャンプと何かと勉強に専念できない生活を送っていれば、そもそも入試成功などという話しは出てこない。竹の会の筑駒、開成合格者は、後で聞いた話しだが、中1、中2の時はもちろん、中3の時も、学校から帰るとすぐ部屋に籠り遅くまで勉強したそうである。彼は中1、中2の時こそ、ただ一度年末に実家帰省していたが、塾は休むことはなく、家庭の事情とやらで休んだこともほとんどない。だからこそ私が中2の夏までに、渡した理科、社会のテキストを読み込み、秋からの都立過去問30年分の理科社会の試験に常に85%以上取り続けたのだ。よく「○○は天才だから」と言う子がいるが、そうではない。彼とあなたたちの違いは、家庭の事情で簡単に勉強を犠牲にはしない、しなかったことだ。それはわたしの指示の実行、必ず実行したことを意味する。何を置いてもわたしと約束(それは「いつまでにこれをやってほしい」という指示なのだが)を最優先させたからにほかならない。多くの、私との約束を果たせない人は、私の指示が、合格のための最優先事項だとは考えない。簡単に家庭の事情、個人の都合で先送りし、重大性を悟らない。私との約束が、反故にされることに比例して、合格は遠のいていく。そのことだけは理解していてほしい。後でなんとかなる、それはないのが、受験の冷酷さです。
 繰り返しますが、開成合格者は、私が、「やっておけ」と言ったことを、真摯に捉えて、例えば、理科、社会のテキストなら、秋の過去問に備えて、90点を取れるように仕上げていたことです。これまでの時間を振り返って、私との約束を果たすために、本当に全力をかけてきたのか、他のことに時間を割いて、他のことを優先させてきたことはなかったのか、問いかけてみてください。私との約束が果たせないなら、合格などあるはずがないのです。正当な言い訳はあるのでしょうか。定期試験、学校の宿題、学校行事だけでも時間は奪われそうです。しかし、本当は、そういうことではなく、勉強を先送りしてきたからではないでしょうか。

 わたしの指示を流せば、また修正して再設定する。これはカーナビで設定したとおりにしない場合に再設定してまたそこからリスタートするのと似ている。しかし、カーナビと違って、わたしの指示の不実行による再設定は、次善の策であり、当初の目標からは確実に遠のいている。
 開成合格を勝ち取るというのは、そういうことなのです。天才だからではない。それはその一部に過ぎない。合格する者は、実行する者なのです。先送りして、言い訳しているようでは、合格などありません。
 少なくとも、合格する人は、「言い訳」は決してやりません。やるのは、実行、私との約束の実行です。これは何を置いても優先する。失敗してきた人たちを振り返って見ればすぐわかります。私の指示をほとんど無視しています。

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