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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

なぜ落ちたのか?

2023.01.10

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なぜ落ちたのか‼️
  勉強時間の総体量が、絶対的に足りなかった、と思います。あなたたちが、勉強時間と引き換えに、使った時間は、いったい何だったのでしょうか。旅行? 習い事? 稽古事? スマホ? いずれにせよ、勉強時間というのは、いくらでも捻り出せるはずです。あなたたちは、あえてそうしなかった。そういうことではないでしょうか。
 勉強時間の絶対的不足は、レジュメの大量の積み残し、したがって、7回解き直しというノルマもなかった、そういう副次的効果もなし、ということでした。
 課題を出さない、という不作為が、もたらす、不気味な、予想し難い影響も不安要素でした。なかには作文練習を2,3回という猛者もいました。
 学校から帰ったらすぐ部屋に入り勉強し、部屋から出てこない、
 そういう生活をしてきたか?
 塾のない休日は、一日10時間の勉強をしましたか? 実働10時間です。何時から何時まで机についていたとか、いないとか、そんな形のことではない。考え、手を動かし、読み、悩み、その連続です。
 何かと無為に時間を過ごしてきたのなら落ちて当然です。
 無為の時間の合計を考えたことが、ありますか。とてつもない時間になっているはずです。凡人というのは、無為な時間が多いことで特徴付けられます。
 成功者というのは、無為に過ごす時間というのを忌み嫌います。
 無為を嫌うというのは、裏を返せば実行の人ということです。
 合格ということのみ考えるなら、その他のすべては、無駄な時間ということになります。
 九州大学法学部教授、法学部長、学長代行まで務めた、故井上正治先生は、伝説の人として、語り継がれてきた人でした(そのエピソードは、中央大学真法会の受験機関雑誌「受験新報」に掲載されたこともある)。「大学に残りたい」と教授に言ったら、「それなら司法科試験(旧高等文官試験司法科)で1番を取ってこい」と言われた。それで友人たちから消息を断ち、部屋を借りた。試験6か月前のことであった。布団は敷きっぱなしで、目が覚めたら、枕元に積んだ本を読み、眠くなったら少し寝てまた目を覚まし本を読んだ。目が覚めているときは、読んでいる。そういう生活をした。風呂に入る時間も惜しんで読んだ。食事もろくに取らなかったため後に結核になった。とにかく試験は2番で合格した。先生は、刑法学が専門で、自分の考えを体系化したが、当時の主流は、東大の牧野博士の刑法の後、俊才団藤重光教授が若くして人格形成責任論を確立した時期であり、先生は少数派、異端としての地位にあったのではないか。先生は、勉強する、試験を受けるということはどういうことか見事に示された、と思う。
 日本の民法学を完成された東大教授、故我妻榮先生は、日本第一流の民法の大家にほかならない。先生の著書「民法案内」の「総則」に、「私の試験勉強」という手記がある。わたしの勉強のバイブルとして、わたしはいつも読み返してきた。旧制中学、旧第一高等学校、東京帝国大学で、常に「首席」を取り続けた天才であった。先生の言葉から、「サブノート」という言葉が、出たのは、「えっ」という驚きであった。先生でも、サブノートを作られたのだ、という驚きがあった。先生は、さすがに2年生、3年生になったら、サブノートは作らなかった。帝国大学は、3年制であった。帝国大学を卒業しただけで法曹資格が与えられた時期もあったらしいが、先生はきちんと試験を受けている。確か、2番か3番だと言っておられた。
 サブノートを作らないで、どうやったのか、気になるところだが、先生は、こう記されている。
 ノートの左側の白紙のところや教科書の欄外のところに詳細な見出しをつけ、分類し総合する書き込みをつけただけのものであった。 
※辞書の定義
みだし【見出し】
①新聞・雑誌などの記事の内容が一目でわかるようにつけた標題。ヘッドライン。「大━」「小━」
②本や帳簿の内容がすぐわかるように書き出した目次・索引など。インデックス。「ノートに━をつける」
③辞書で項目を示すために掲げる語。見やすいように太字などで示す。見出し語。
私見
②の意味とする。
詳細な見出し?
教科書のそのページの重要な理論、論理を、詳細に、しかし、要点をまとめた、ということであろうか。その見出しを見れば内容のポイント、概要がたちどころに頭に入る、蘇る内容だったのであろうか。
「分類する」と「総合する」の分析
①辞書の定義
 ぶんるい【分類】
(名)スル
①ある基準に従って、物事を似たものどうしにまとめて分けること。「図書を━する」
②〘論〙物事を徹底的に区分し、類種系列の形をとった体系を形成すること。→区分

私見
分類の本質は、分けることである、と思う。そこから物事を徹底的に区分する、という発想が出てくる。ここに学問のヒントがある。分類というのは、本質的なもの、似たものに分けることでありで、知識を分解して、本質的な類似点まで掘り下げる、という知的活動を必要とする。これは、いわゆる物事の共通点で分類するということにほかならず、抽象化ということである。総合するとは、この抽象化された知識を共通点という基準によって、鳥瞰することにほかならない。

そうごう【総合・綜合】
(名)スル
①ばらばらのものを一つにまとめあげること。⇔分析。「みんなの話を━して判断する」
②〘哲〙㋐弁証法において、互いに矛盾する、定立の「正」と反定立の「反」の、契機を統一すること。合。ジンテーゼ。→定立
㋑ある対象に別のものを結び合わせて、一つの全体的統一を構成すること。⇔分析。〔「哲学字彙」(1881年)にドイツ語Syntheseの訳語として「総合法」と載る〕
 
私見
総合するとは、ばらばらのものを一つにまとめるところに意味があるのではないか、と思う。

 こうして我妻先生の学問、いや勉強法と言ったものが、見えてくる。もちろんこれは私の解釈であり、実際に我妻先生に質問してお聞きしたわけではないから、飽くまでも私の推測に過ぎない。稀代の天才我妻榮先生の心などたれが知るぞ。
私たちは、分類の本質を理解し、分けることに徹することである、と思う。物事を徹底的に区分する、という知識への接し方が勉強の本質に根差すものだと心得なければならない。
そして分類した後は、今度は「総合する」のである。ばらばらのものを一つにまとめること、これが「総合」の本質である。
 こうして、私たちは、まず分類し、次に総合する、という勉強の強力なknow-howを我妻先生にお教えいただいた。先生が、学生時代の思い出として、書かれた手記の何気ない言葉に私は先生の深い意味を読み取る癖がついてしまった。思えば、大学に入学したとき、すぐに買ったのが、有泉亨先生との共著「民法I・II・Ⅲ」であった。正直最初は何を書いているのかさっぱりわからなかった。その後、我妻榮先生の大著「民法講義」シリーズに挑戦した。総則・担保物権・債権総論・債権各論(全4冊)を読んだ。物権は、舟橋教授、事務管理・不法行為は、加藤一郎を読んだ。我妻先生の民法講義は、読み通すのが、困難を極めた。難解で理解できないところばかりだった。そのとき、我妻榮先生の「民法案内」に出会ったものだ。全9巻あったが、平易な語りくちで、民法が初めて手に取るようにわかった。最初にこれを読んで、民法講義に入るべきであった。先生の本は、何気ない言葉に実は深い意味があることが度々あり、簡単に読み飛ばすことができないことを悟らされた。ごく普通に当たり前のように書いているので、つい読み飛ばしてしまい、後からその深い意味を知ることが多く、自分の読み方の浅さをたびたび思い知らされた。次第に用心深く、字句のひとつひとつについて考えるくせがついていった。先生の本は読み飛ばすことの禁じられた本、昨今の字句にまるで含蓄のない、即席本とは、天と地の差のある本であった。
 脳を働かすというのは、我妻先生のような含蓄のある文章を読むことである。
 その意味では、小説を読むというのは、それほど脳の働きを良くするとは思えないが、如何でしょうか。

  

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