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都立中の戦い方 何が大切なのか 大切なものは見えない 「1」は魔法の数 「1」にしてから考える!

2023.05.23

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🟡思考のこつ まず「1」にしてから考える 「1」は魔法の数 
 分数の考え方、単位あたり量の考え方、割合の考え方、速さと距離の考え方、みんな「1」を使って理解します。「1」っていったい何なんでしょうかね。
 分数で割るとき、分数を逆数にして(分母と分子を入れ替えて)かけますよね。これがなぜか、かつて白鷗で出されたことがあるのですよ。私立中学の入試にも出されたのを見たことがあります。
 ふと思ったのですよね。(ー)×(ー)=(+)ってありますよね。あれも同じような問題を抱えていますよね。
 信頼のおける数学・算数の書物には、これらは、「そう約束した」もの、とあります。そう定義しないと、辻褄が合わないからだと。ところが、学校の教科書には、いずれも具体的な説明がなされています。割合の例では、単位あたり量の例で説明することが普通ですね。
 試験に出されたら、これを書くしかないでしょ。
 しかし、いずれの説明も「後付け」「後知恵」のように思います。なにしろ世の中には、コメンテーターと称するテレビ業界の奴隷のような人がいて、どう見ても結果を見て後から説明を加えたとしか思えないコメントを最初からわかっていたかのように話すわけです。それを医師とか、弁護士がやる。
 人間というのは、後から理屈をつけるのが得意なんです。官僚なんかみなそうです。事件が起きる前からわかっていたようなことを言う。ばかか。お前は神様か。

 ひとまず1にしてみる。これは、そのまま考えると、まるでとっかかりがわからない、八方塞がり、ということがある。私などは、大学入試の数学なら、とりあえず「定義」は何であったか、と最初のところから考える、ことにしている。
 

 算数や数学の場合、なかなか発見できない、とき、問題を何度も何度も読み返す、自分が気がつかない何かがあるはずだ、と読み返す。
 ところで、算数では、xが使えないので、問題を解くには、算数固有の解法というものがある。算数の場合、面積図はかなり応用範囲の広い方法と思う。
 そのまま考えたのでは、どうも手のつけようがない、ということがある。
 橋本左内は、実は医師だった。幕末は勤王の指導者として、最後は処刑されたが、彼が、傷の処置を頼まれたときに、傷口を真っ赤に焼けた鉄で焼いた、というエピソードがある。なぜそんなことをしたのか、と問われると、自分は火傷の治療法しか知らないからだ、と答えた、という。めちゃくちゃな話しだが、一抹の真理は含まれている、ような気がする。
 

  以下では,「2/3」とは「3分の2」のこと,「m2」とは,「平方メートル」のことである。

 それでは、「10÷2/3」→「10×3/2」について、後知恵を発揮して見ましょう。
 その前に、割り算の2つの意味について整理しておきましょう。
 (ℹ︎) 何倍か、を計算する割合
   10m÷2/3m
  この割り算は、10が2/3の何倍あるか、を問うものです。
   10=2/3×🔲
   ここで、2/3をいったん1にしたらどうなるか。
   10=2/3÷2×3×10=2/3×3/2×10
   🔲=3/2×10

   とにかく,分数の割り算がかけ算になりましたね。
 (ⅱ) 10m÷2/3
  2/3は割合の数です。
  この割り算の意味は、10mを2/3と見たときに、1にあたる量は何?ということです。
  10m÷2/3とは、10mを2/3と見たときに、1何mにあたる量か、という意味だと言いました。
 ところでこの式の2/3には単位がついていません。それは2/3にが、割合を表す数だからです。
 また、割り算というのは、2/3を1と見ると10mはどうなるか、と見ることもできるのです。
 2/3を1と見るとは、2/3÷2×3=1ですから、3/2倍すればいいわけです。だから、10mを3/2倍して、15mが1にあたると分かりますね。
 また、割り算というのは、自分を1つとして、その何個分あるのか、ということでしたが、自分を1としたら、10mは何個分か、という計算をしているわけです。
 割り算というのは、割る数を1と見たら、割られる数はどう表せるか、ということをやっているわけです。

 2/3m2の壁を塗るのに3/4dlのペンキが必要です。この時、ペンキ一dlでは何m2ぬれますか。
 いわゆる単位あたり量の問題ですね。

 前述の白鷗の問題なんかは,これで説明するのが正解なのでしょう。
 
 
 算数、数学では、このような方法は普通に使われる。生身の人間とは違う。生身の人間には、さすがにありえない。左内がそこのところに思い至らなかったという意味では、患者よりも治療の方法のことしか考えられなかった、という若さ、未熟さがある。
 自分にできることしかできない。ならできる形にする。これはいったん1を経過することで思考を自分の土俵に持ち込むということです。
 

 竹の会は、算数ができるようになる塾です‼️
 大手のような過密なカリキュラムで、やってきたわけではない。週2ほど、それこそ初歩の計算から始めて、小数、分数と進み、通分、約分、と進めて、本格的な四則混合演算の練習、逆算と進めて、計算をこなせるようになったら、割合を学ぶ。割合には、一年、二年かける。小2に来れば、より割合に時間をかけられる。だからわたしは算数が得意になりたいなら、小2から来い、と言っている。大手のように、割合はテキストの一単元、一項目、ページ数にして、多くて4ページ、それで終わりという乱暴なことは絶対やらない。
 割合がたった三日でこなせるようになるとは、とても思えない、いやあり得ない。
 割合は脳を開発する。小学校の8%は発達障害だ、と言われる。しかし、この数値は、おそらく控えめに言ったものと思う。現場の教師からそれどころか、20%はいる、と言いたいだろう。
 さすがにわたしも発達障害は指導は放棄するほかない。

 指導が成り立たないからだ。指導が成り立つとは、どういうことか。それは、わたしの説明が、頭に響くことと言える。反応がある、ということだ。レジュメが使えない、ということも一つの指標になる。
 これまでの経験から、発達障害にさえ引っかからないのなら、つまり、理解が遅い、なかなか理解できない、そういう子でも、3年いただければ、まともな子にできる、と見ている。ただし、そういう子は、得てして飽きやすい、長続きしない、なかなか勉強にスタンスが向かないなどの、さまざまなマイナス要因を同時に抱えている。だからそういうものがなければである。
 3年かかる
 竹の会で算数を伸ばした子たちは無敵である。
 都立中に合格していく子、その中には、巣鴨の算数選抜3人枠、攻玉社算数選抜3人枠を突破した者も出た。今年のように普連土に学科試験で合格とか、も出た。
落ちても、3年後には、戸山、駒場などに合格、あるいは開成、筑駒、渋幕などに合格、大学も一橋、東北と出ている。竹の会出身者は、東大、京大、お茶の水、一橋、慶應、早稲田などに多数合格している。
 竹の会で基礎、基本に何年も時間をかけることが後から効いてくる。受検はほんの通過点に過ぎない。受かっても、落ちても、基本ができているから、結局、最後は、決める、そういうことなのだ。
 そもそも中学受検などというのは、子どもの精神的な成熟度で、決まるところがあり、幼さが抜けきれない、依存度の強い、周りに流されやすい、すぐ飽きやすい、そういう未熟な段階の子にいくらカネかけてダメで、その子に能力があればいずれ開花するときがくる。それが高校受験だということである。小6で精神の成熟度が低ければ受からないのが実は普通だ。そういう子も地道に指導を続ければ、竹の会ならいずれ高校入試で花開く、そういうことだ。
 男の子は、それまで子どもっぽかった子が、はい、小6になりました。で、そこから急に大人に変わるわけではない。それまで大騒ぎしたいた子はそのまま変わらない。だから受かる可能性も期待しないところでちょうど折り合いがいいのだ。
 要は、指導というのは、子どもの学力もさることながら、精神の成熟度も見て、あっ、これはまだダメだ、と思判断するわけです。成熟度の低い子というのは、大人を感じない。とにかくやることが幼い。そういう子ばかりいたのが、去年の子たちだった。大人の雰囲気がないのです。これは受かりません。受かった子たちのことを思い返しても、やはりこちらが敬意を払いたくなるほど大人を感じさせる。
 子どもっぽい間は、合格はない。これは高校受験も実は同じで、高校受験に失敗する子というのは、やはり思考が子どもです。やたら喋る子、これは落ちる子です。喋るのは、子どもです。自慢するのも子どもです。マウントとるのも子どもです。子どもの行動と大人の行動、これは違います。もっとも昨今は子どものままの大人も多いが、こんなのは、大人なんかじゃない。
 思考がつく、深まる、というのは、哲学の道への入り口を見つけるきっかけになる。大人になるということは、そういうことだ。受験というのは,哲学の世界へと入れる、あるいは入った子たちの能力発現の場なのかも知れない。思考力をつけるとは、実力をつけるとは、そういうことなのだ。去年の子たちはそのことに気づけなかった。少しでも人生について、死について、生きることについて、考えたなら、人を中傷したり、ふざけたり、大笑いしたり、大騒ぎしたり、おしゃべりやめられない、食べてばかりいる、ゲームの虜になる、そんなことはできない、はずです。
 わたしが、この子は受かると思うとき、それはその子に哲学の、匂いを感じ取ったからだと思う。大人の匂いがする、というのは、その人に、人生に対して向き合う真摯さ、姿勢を見たからだ。人生と向き合っているな、そう感じたからだ、人生を舐めてる、適当な奴、それは子どもということです、
 やると言ってやらない、これも子どもです。子どもというのは責任をとれない人たちのことです。
 大人というのは、自分の責任で判断して行動する。最後は責任を取るという意思、決意、覚悟がある。
 過保護、過干渉、これは子どもをいつまでも子ども扱いする、自立する心との闘いのきっかけとはなるかもしれないが,賢い子というのは,そういう悪環境では生まれないような気がする。
 受かることが目的?なら,落ちたら終わり?ということですか。しかし,そうではない。受かっても落ちても、試験という通過点の先にはもっと重要な未来がある。
 落ちて大人へ開花する、ならそれこそ実質的には勝利したと言っていいのだ。受験勉強というのは,子どもの心がより高い次元で花開くところに実は意味があるということだ。
 落ちたことが、3年後の大きな戦いの重要な精神の礎となる、そこに意味があるのだ。

 

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