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都立中高一貫校の勝ち方

2022.12.01

都立中高一貫校の勝ち方
 猫も杓子も受けられる試験ではない。
 受検にカネがかからないから、成績さえよければ、という考えは通用しない。
 受検準備には、それなりのカネがかかる。いやカネをかけなければ受からない。
 未だに、成績さえよければ、カネをかけない、で受かると信じている親がいるけれども、そういう親の節約志向は報われることはない。そういう親に限って、小6から公立中高一貫校向けの大手塾に通うという不毛な選択をするものだ。
 まず認識を改めなければならない。
 今の都立中高一貫校は、努力だけでは受からない。昔から人気校の倍率は高く、8倍を超えるのが普通だ。たとえ5〜6倍としても、それは優秀な子で絞られてのことである。もちろん無謀な挑戦という子たちもそれなりにいることは折り込み済みである。
 考えてみたら、過去の竹の会の合格者は、才能ある子たちばかりだった。それは算数の正解率、進度でわかる、ことであった。
 さて、才能が前提として、次は、いつから始めるか、である。私は、小2からをベターと考えているが、ギリギリ小3の夏までだろうか。竹の会の合格者の中には、Z会(渋谷)に小4、小5と通って、このままでは受からないと竹の会に来た子がいた。その子は、「もう1年早く来たかった」と心から悔やんでいた。ちなみに大手のエナから小5に来た子で受かった子はいない。才能云々の問題もあろうが、もっと早く来ていればその算数もなんとかなったかもしれない、とは思う。小5になって栄光から来た子も多数いたけれど、その中に富士合格した子が1人だけいた。
 合格が一番多いのは、それまで塾に行ったことがないという子で、小4スタートの子が一番合格率が高かったのかな、と思う。ただし、小4スタートで合格したのは、才能に恵まれていたことが大きいし、さらに、小4から親が何かと熱心だったということが挙げられる。春、夏、冬と季節講習も必ず出ている。季節講習をスルーした子が受かることはほとんどないというか、皆無である。受かる子というのは、小4から目一杯出ている。カネをかけないと受からない。不遜なようであるが、これは真実であるから仕方ない。例えば、7時間のコースと3時間のコースで、3時間のコースを選んだ子は落ちる、それが現実である。受検で竹の会に来ていながら、まだ小5だからとでも考えたのだろうか、小5の夏の講習をスルーした子が小6で伸び止めになってしまった。受験では節約してはならないのである。節約して、第一志望の都立に落ちて授業料の高い私立に行く。これが公立いのちの親のオチである。これは私の経験が語る、真実である。
 算数に秀でている子は、成功の蓋然性が高い。能力は高いのに他塾から来たため算数で出遅れたという子でも国語読解力の高い子は、成功する蓋然性が高い。
 算数を大手方式(授業、テキスト、講師の3点セット)で学んで成功するのは、一部の児童のみである。大多数の凡人小学生は、一部の天才を羨望と諦めで眺めながら、公立中学へ行くことになる。
 国語が大手のような問題集型のテキストでものになるのか。
 大方悲観的であろう。問題解いていて読解力がつけば世話はない。事実、大方の大手の子たちは、国語ができないのが相場であろう。
 国語の読解について、確かに、読み取れる子と全く的外れな子とが、事実いるのである。この差はいったい何なのか。
 問題練習を積んだ差なのか。読書の量の差なのか。読まない子は全く読まないから、少なくとも国語との関わりがない子に読解力があるわけはない。言語論的転回という言葉があるが、言語に意味を認めることに重要なヒントがありそうである。漢検はやってあたり前で、やらせない親の無関心こそ問題だ。とにかく言語論を成り立たせるには、彙を広げるしかない。よく国語の解き方みたいな本があるが、いやいやその前に普通に読み取りができなくてどうする、ということである。語彙を広げる。その上で、毎日一単元のテーマを10回音読する。語学はそうである。毎日音読するだけで効果がある。読書といっても毎日読書ほ進めるというのではなく、同じテーマ文を何度もわかるまで読むことである。国語ができないという子は、国語の勉強といえば、問題集の問題を解く、と信じ込まされている。だからまずそこから親子で悩む。なんで問題が解けないのか、と悩む。違うでしょ。国語と本来の関わりをしてないからでしょ。辞書を一日何回引きますか、0回でしょ。国語の辞書がボロボロになるまで1日何十回も引いたこともないのでしょ。時には、辞書を読むことだってあってもいい。辞書を引くことで、文章の意味を通す、そういう知的試みも皆無の人間が、何を読解の方法がわからないなど、血迷ったことを言っているのか。本当にやるべきことをやってないではないか。問題集なんかクソ喰らえだ‼️
 算数のテキスト、講師、授業、それで算数はできるようになりましたか。
 断っておきますが、竹の会の算数を侮ってはいけません。才能さえあれば、竹の会の算数は、開成、麻布、早稲田中、灘に立派に通用します。それから、算数の難問の解説は全くのオリジナルです。わたしの苦心の作品です。既に数学は、開成、筑駒を想定したものであることは、本年の合格が示す通りです。「私立受験だから、大手」などというのは、既存の価値以外は認めない人間の言う戯言です。
 こういう人たちは、狂信的な大手の信者ですから、竹の会のような塾を一生信じることはないでしょう。大手だからの論理しかない人、大手だから信じられる? そういう人の選択が正しいのか。いずれあなたたちの子どもが答えを出してくれることでしょう。

 子どもは初動をしくじったら終わりなところがある。受検はほとんどが失敗するでしょうから、公立中で落ちこぼれないのが肝心です。しかし、まともな都立に行けるのは、数えるほどです。例えば、都立戸山に入れるのは、あなたの中学で1人いるかいないかでしょ。私立はどうか。内申頑張れば、今は少子化で、日大の系列校なら簡単に入れますよ。國學院久我山を例に取れば、定員の半分は推薦です。一般入試も優遇なんか利用すれば入りやすい。ただ内申が都立戸山クラスの子たちの受け皿です。さて、公立中学生の8割は、底辺私立、底辺都立に落ち着くことになっています。大手大手と崇拝してきた結果、低偏差値の私立に通い、中途退学でかなりが脱落して、高卒、精々専門学校卒でした。2-8法則は、いろいろな場面で使われますが、小学生の8割は大手塾に行き、小学生の8割は、公立中学に行き、中学生の8割は、底辺私立高校に行き、よくて専門学校、8割は、高卒で終わるということです。
 教育というのは、莫大なエネルギーとカネのかかる、一大事業です。親が教育費を惜しめば、子どもの人生は、ありふれたものです。開成に入った子と、日比谷に入った子、底辺私立に入った子の人生は、まるで違うものになる。大学もピンからキリまである。頭が良くても教育費をかけなければいい大学へは行けない。法科大学院だって、予備校だって、半端ないカネがかかる。医学部は頭がよくてカネがなければ行けない。子どもは、親がどれだけ教育費をかけてやるか、でその人生が決まる。しかし、公立小の8割の親は教育費にはカネをかけることはない。そこそこでしょ。
 私立中学受験、難関高校受験の親は、とにかく教育費にカネをかける。かけられる。世の中を動かすものが、何かをよくわかっているのです。それはその親世代が、既にして教育費をかけたから今の地位があることを自覚しているからです。医者は、今の自分があるのは、教育費にそれはそれはカネをかけたからと知っている。弁護士は、大学に入るまでカネをかけたのはもちろん、大学入学後も、司法試験予備校に何年間も高額のカネを出し、法科大学院に入っても年間150万円のカネを使い、今があるのだと知っている。大企業で働く親は、中学受験、高校受験と塾にカネを使い、大学受験では、予備校にカネを使い、大学では、スキルを磨くために、予備校に通い、国家公務員ならやはり予備校にカネを使ってきた。だから今の自分の地位があることを知っている。だからこそ自分の子が中学受験をすることも当然だと考えるのだ。教育にカネがかかることも承知なのだ。アメリカ人は、子ども一人いれば、どれだけ教育費がかかるかをすぐに計算する。知り合いのアメリカ人(IBM役員)は、(結婚したとき)子どもは要らない、と言った。大学までにかかる費用が出せないからだ、という。アメリカのエリート層は教育はカネということを知り抜いている。
 女の子だから、まだ小2だから、いやまだ小5だからというのもいる。夏休みくらい、お正月くらい・・・。子に甘いのか、教育費にカネをかけたくないのか、知らないが、その他8割の選択をしてしまうのは、自分の死が未来のいつかであって今ではないという人間心理そのままである。
 
 

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