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大手塾に1年も通えば我が子に才能がないことは薄々わかるはず‼️

2022.10.20

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大手塾に1年も通えば我が子に才能がないことは薄々わかるはず‼️
 大手塾信仰の熱烈な信者の皆さんも我が子が1年も通えば、その答えが既に出ているはずです!
 特に、公立中高一貫型の大手の授業は「易しい」問題、レベルだと思います。そして塾内テストもかなり平易なはずです。なぜって、易しくしないと、もともと才能のない大多数な子たちは自分ができないと悟ってしまうからです。しかし、易しくしてきたツケは小6になって払うことになる。大手の易しい問題では試験には通用するはずがないからです。小6になればレベルを上げるしかない。だからそれまでのお利口さんたちは必然落ちこぼれるしかない。その時になって才能のなかったこと、それよりも育てる、鍛える勉強をしてこなかったこと、易しい、わかることばかりやってきた、意味のない時間の浪費に気がつくことになるのです。
 大手塾に通っている子の親も流石に大手なら信用できるとノー判断に大手に入れて1年も経てば、自分の子の現状というものが、わかって来るでしょ。なにかできてるのかどうか、よくわからない。テストはそれなりの点を取ってくるのだが、なにか不安だ、これが親の心理です。
 大手の合格者が、決して大手のお陰で受かったわけではないこと、才能の有無が決定的であること、そういう認めたくないことを飽くまで拒否して、大手のカリキュラムに乗ることしかない現実に漠とした「このままでいいのだろうか」と不安が過ぎる、そういう親の心境が手に取るようにわかります。
 才能があるかないか、これが決定的なだけです。この才能ですが、学校の優等生にして微妙です。つまり、「よくできる」がたくさんあってもわからない。ましてや内申の良くない子の99%は才能なしと考えていい。99%と言ったのは、「もう少し」があっても、「できる」ばかりであっても、実は天才が隠れていることがある、からです。子どもの中には、内向性の極端に強い子がいます。いわゆるコミニュケ能力が欠けている子です。そういう子は学校の先生の受けが良くない。本当はできるのに学校のやり方では引き出せない、そういう子がいるのです。そういう子は大手でも潰される。
 学校の優等生の50%は、才能の原石を隠しているかもしれない。こういう子はその能力を引き出してやることで、ダイヤモンドにもサファイアにもできる。昔からは、集団就職の中学生を「金の卵」と呼んでいたが、小学生の中には、内向的ゆえに人との関わり合いができない子がいるもので、その中には、とてつもない金の卵がいるものです。こういう子は大手では絶対やっていけない。なにしろ学校の先生さえも受け入れないのだから。竹の会は、時期は違うが、かつて自閉症の子を2人受け入れたことがある。不思議なのは2人とも決して止めることはなかった。私は彼、彼女から一度も口を聞いてもらったことはない。いつも話しかけると首を動かすだけ。ただ彼が中3になって高校の推薦が決まって、竹の会最後の日、彼はいよいよ終わりというとき、立ち上がって絞り出すような声を出して、「せ、せ、世話になった」と言って竹の会を去った。彼女は竹の会に来るといつも壁に向かって座った。嬉しかったのは、二人ともわたしの冗談で、ククッ、と声を押し殺したように笑っていたことだ。少しずつ心を開いていってくれている、そんな気がした。その証拠に決して竹の会を休むことはなく、やめることもなく、いつも黙って俯き加減に教室に入ってきて、彼女は壁に向き、彼は何も喋らずわたしの「やりなさい」と言ったことを黙々とやった。注意してあげないと、わからなくても何か言ってくれるまでじっと待っていることだ。二人とも時期は違ったが中1から中3までいて、彼は私立の推薦、彼女は偏差値は低いが都立の一般で合格していった。
 竹の会の合格者には、実は二通りいて、最初から竹の会一筋という親子と、Z会などの大手から小5の終わる頃にやってきた親子とがいる。小5の終わりでは、明らかに遅いけど、合格を可能にしたのは、持ち前の真面目さ、礼儀正しさ、そして才能なのか、と思う。才能と言っても、算数が特に優れているということではなく、もちろん算数の理解力はそれなりに高いが、それよりも国語力が目立っていたように思う。特に、文章の読み取りにおいて抜きん出ていた。25年に小石川、白鷗に受かった二人の女子の国語力には舌を巻いた。わたしが、早稲田中学などの入試問題から作った「入試読解」というレジュメがあるが、これをテスト形式でやったところ、毎回満点を取った。驚いたのは、二人の答案が、ほぼ一字一句違わず、正解通りだったことだった。まさか、と言うほど、まるで正解を丸写しにしたかのように、解答と符合した。
 この経験からわかることは、文章を正確無比にしかも素直に読み取ることのできる子というのは、適性に強いということだ。
 ただに算数ができるという子の場合、受かる蓋然性は高いけれど、また落ちる事態もよく経験したことだ。
 小5にしても、小6にしても、適性の文章を正確に読み取れないために、できないということがほとんどであり、算数もさることながら、文章を丁寧に読み解く経験を重ねることの必要性を痛感している。その意味も踏まえて、本日は、会員ページで、読解についての詳細なアルゴリズムを紹介している。

 

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