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開成・筑駒・都立戸山・桜修館 確実に合格をもたらす竹の会の「手をかける」指導とは!! 

2023.08.29

🟡開成・筑駒・都立戸山・桜修館 確実に合格をもたらす竹の会の「手をかける」指導とは!! ❗️
 習い事、稽古事に時間を費やすのは、勉強時間の量が確実に足りなくなる。多くの親が、その見通しを見誤る。直前に、なにもかもやるにはあまりにも時間が足りないことを切実に悟る。一年前、二年前、まだ時間はあるとなぜか楽観し、家族旅行を楽しみ、実家帰省し、習い事、稽古事も変わらず続けた結果、直前になって慌てるのは、もはやよくある光景です。九段や白鷗、富士受検の子たちの中には、幼いときから続けてきた習い事、稽古事だけは続けたいと、子の主張か、親の希望かはわからないが、小5までは続けるとか、小6になったら回数を減らすとか、止めるとか、似たようなことを言う親子がいましたが、この人たちが合格することは決してありませんでした。いつも直前にやり残したこと、積み残したことが、余りにも多くて、不完全燃焼感が支配し、何をやっても虚しい手のように、空を切るような感覚が残りました。正直合格は絶望的とわたしの中では確定していました。人は本番一年前、ましてや二年前は、いくらでも時間があると楽観する性癖があるのですね。わたしから見れば、時間はいくらあっても足りない。時間に余裕がある時期にこそ寸暇を惜しんで勉強にあてなければと思うのですが、世の親、つまり庶民感覚の親には、その考えは通じないようです。
 毎年、ただ一つのことが、現実に招来しています。
 時間不足です。とにかく時間が足りないのです。それは、あまりにもやり残したことが多いからです。積み残しが大量にあるのです。なぜこんなにも積み残してきたのでしょうか。一年にはいくらでも時間があるかのように思えたのですが、これが誤解、錯覚だということがやがてわかるときが来ます。受験のことは、庶民である親は全くの素人ということです。試験直前にどうなるか、もうわたしにはわかりすぎるくらいにわかるのです。100%の親が直前に取る行動も同じです。もう合格の目はないのに、とにかくドタバタするのです。とにかく合格したいという気持ちだけは、人一倍強く、子にはなんでもしてやりたいという感情が募り、最期の悪あがきにしか見えなくても、もう夢中で周りが見えていないのです。

 受験情報ばかり集める親は苦手

 学校説明会、学園祭などとにかく出まくり、ママ友との情報交換も厭わない、そういう母親がいます。また大手塾の事情にも異常に通じていて、どこそこの講師はどうのこうのと、とにかく一家言がある。こういうのが一番合格に邪魔なわけです。なんやかんやと口出ししてくる。それで英語でも、数学でも問題も解いたこともないのに、いや解けもしないのに、どこかでだれかが言ったのか、わかったようなことばかり言う。わたしの指導にも表層だけ捉えて口出しし、クレームを入れてくる。こういう親の子はたいてい失敗する。素人が何もわかっていないくせに、指導に口出しをする。要は、庶民なのだ。庶民は権力を手にすると暴走する。情報収集に奔走するのは、カネとヒマのある人がやることです。カネ(権力)が庶民を歯止めの効かない、バカにする。
 我々は、基本庶民だということを忘れてはならない。権力を持った庶民ほど厄介、怖いものはない。今まで力を持ったことがないから、力の加減がわからないのだ。その意味で、予測可能性がないのだ。
 そもそも権力は、モラルの欠如と裏腹なものです。最初からモラルを期待しないのと、するのとでは、国民の覚悟も違う。 

 手をかけること

 天才は別としよう。多くの並才、特に、小学生は、時間をかけて指導することが、成功の鍵となることが明らかにわかっている。いや実証されている。かつて竹の会で周りの予想を裏切って、奇跡的に合格を果たしてきた子たち、そういう子たちのほとんどが、いわゆるSシステムの出身であったことは、当時、竹の会の内部にいた者しか知らないことではある。どんなに優秀でも、どんなに努力を惜しまない人でも、Sシステムでなければ、つまり、通常の、かつての週2回、1回2時間(後に3時間に変更)、では、良質の都立、難関私立の合格はないのだ。例外はいた。例えば、内申がいいから、都立富士に推薦で合格した女子は、通常のコースであった。もし一般入試なら落ちていた。同じ例がもう一人いた。オール5で都立北園に推薦合格した女子である。こちらも一般受験なら確実に落ちていた。受験にはおカネはかけたくない、そういう家庭が大半の時代の話しである。そういう中で、受験にはカネが必要という認識の少数の人たちが、むしろそういうコースのあることに感謝してSシステムに申し込んできた。もっとも、渋谷教室に移転してから、いわゆるSシステムというのはなくなった。Sシステムがあったのは、まだ竹の会が高校入試を中心として回していた時代の話しである。渋谷教室でも平成27年、28年と都立戸山に合格しているが、Sシステムはない。いずれも都立中受検に失敗した子たちで、向学心、向上心盛んな、勉強にスタンスを向けた子たちであった。家庭での勉強も実質充実したものであったと思われる。
 子どもは、手をかけてやらなければ、理解は進まないし、進捗もよろしくない。手をかければ力をつけていくし、成績も高い水準で維持できる。受験だって手をかけてやればその生徒相応のところに受からせることもできる。
 塾の用意する、通常の時間では合格はできない。家庭でやる勉強量がその成否を決める。もちろん中身あっての勉強でなければならない。主体的に勉強を進められる者でなければ、そもそもの合格はない。塾に行っているだけで、主体的な家庭学習もない、勉強のスタンスもない、塾を使いこなす能力、知能もない子には、塾に益はない。
 

 竹の会が、大手塾など巷の塾とは違うのは、合格するためには、個人ととことん付き合う、手をかける、ということだと思います。合格するために手をかける、時間と手間をかけて、合格のためのあらゆる手を尽くす、ということです。竹の会では、令和4年、5年と都立広尾高校に合格していますが、この2人はいずれも女子でした。合格は難しいかもしれないという状況での結果合格でした。竹の会が、とことん手をかけて合格に導いたというものでした。

 「見立て」と「処方」

 わたしは、「見立て」と「処方」が、塾の先生の仕事の重要な一つだと思います。「検査」、つまり過去問、レジュメで「できない」ところが、病変ですが、そこの症状を診て、治療を考える。それこそあれこれと考える。そこで、その改善のための「教材を探す」、あるいは「レジュメを創る」。それで処方して、様子を、見る。検査は実は毎日の指導が検査なのだ。特に、処方には、わたしは、八方手を尽くして、教材を探す。たとえ費用が嵩んでも親に請求することはしない。竹の会は会費以外は取らない建前だ。ただこのような指導を続けていたら、費用だけで月謝を上回る月も出てくる。令和3年の開成、筑駒受験のときは、毎月のように足が出たと思う。必要な、レアな教材を全国の予備校、大手塾から探した。また市販の本も必要なものはすべて購入して指導にかけた。合格にはカネがかかるのだ。このことを理解しない親も多い。受験はカネをかけなければ成功しないのは常識なのだ。だから季節講習に参加しない場合には、そういう指導はありえない。新型コロナの時期、小5なのに、いや小6になっても、季節講習は参加しない人が続出した。そういう人たちが、受検直前に伸び悩み、模試が冴えなかったことは、手をかけられなかった、からである。このとき、わかったのは、家庭でやる勉強というのが、全く意味がない、ということだ。多くのが子が季節講習を節約して家庭学習でやることにした。しかし、少なくとも指導なしの家庭学習はまったく合格に寄与することはなかった。天才ならその才能で有意的に勉強が進められたのかもしれない。しかし、いくら学校の成績がよくてもたかが小学生である。いや中学生でも同じことだが、そんな子たちが家庭で自己流の勉強進めてもなんの変化もないのはあたりまえのことだ。
 手をかけなければ、落ちる。手をとことんかけてやればなんとかなるかもしれない。偽りのない、塾の先生の本音なのかと思う。

 参加しなければ時間はゼロ。参加しても最小時間なら、手のかけようがない。手をかけるとは、時間をふんだんに使えることなのだから。常に、状態を把握し、いつも検査をし、そのたびに見立てと処方をする。受験直前だとほぼ1日単位でそのような手のかけ方をしなければ安心できない。こうして初めて合格を呼び込むことができるのである。親がその気なのに子どもが引き気味、勉強嫌いだと、いくら知能が高くても、やはり手をかけることができないから、落ちるほかない。

 🎶勉強に対するモチベーションが低いのは、知能のせい‼️
 モチベーション、向上心は、知能と大いに関係する。知能と上昇志向は、関係ない。知能はさほどでもないのに、異常とも思える上昇志向の強い子たちを多く見てきた。そういう子は、たいてい親の学歴に対する差別意識が顕著であったように思う。能力もないのに、子はもがき、親は期待するという図をため息をつきながらどれだけ見てきたことであろうか。

 知能は普通でも上昇志向の高い子、知能が異常に高く上昇志向も高い子、と子どもの有り様は様々である。前者のパターンだと、空回りすることもよくある。指導レベルに知能が追いつかないのだ。

 進捗が遅い子というのは、知能的な問題を抱えているのが普通である。理解に時間がかかるとか、理解そのものが困難という子の勉強に対するモチベーションが低いのはしかたないことである。そういう子の家庭学習が限りなくゼロに近いのもよく予測に難くない。

近刊予告!!

「地理ポイント集」(仮題)

 地理という言葉は、誰が考えたのか、考えてみれば、これほど地理とは何か、の答えを象徴した名称もないのではないか。
 「地」とは、土地の「地」、「理」は、「ことわり」と読むから、理由、論理のことだろう。「地」の「理」とは、「地」についての「論理」を綴った学問ということか。
 「地」には、それぞれ「論理」がある。地形、気候などは「地」の論理を語るものである。

 地理は大まかに捉える、鳥瞰的な一覧性が大事である。
 細かな数値、細かな知識を網羅的に追っていると地理の概観(要約)を犠牲にすることになる。そのことが地理を不得意にする、言い換えれば、諸悪の元凶なのではないか。
 とにかく「大まか」に捉えることではないか。瑣末な知識は捨てる。「大まか」こそが何かのヒントとなり、推理を可能にする。細かい知識は忘れていい。気候との関連で、地形との関連で、産業との関連で、それが「論理」なのであるが、「地」を語る、これこそが地理であろう。
 わたしたちは、特定の「地」に生活する、定住する人間である。だから「地」の「ことわり」について学ぶことは、すなわち、わたしたちを取り巻く環境について学ぶことにほかならない。だから、地理を様々な環境に関する学問だと定義するのは別にわたしの立場と矛盾することはない。
 わたしはすべての科目において専門家ではない。わたしは一介の塾の先生である。わたしの仕事は、専門の科目を噛み砕いて「要約する」ことである。ただ、「要約する」と言っても、それぞれの科目の精神が曖昧では、要約の方向が定められない。だから、要約者として、そこはやはり悩むわけである。
 そのために、もちろん要約をより正確にするために、数冊から数十冊もの本を読むことはあるわけです。
 その過程で、つまり「要約論」を考える過程で、膨大な知識、網羅的知識の大群に、わたしの要約論がたじろぐこと頻りである。よく書店を賑わす「要点」をまとめた要点物が多数出版されるのは、膨大な知識の羅列群に多くの受験生が呑み込まれ、方向を見失うことを前提の動きである。
 
 地理の出題は、かつてのように重要論点、知識を尋ねる形式の問題は姿を消し、明らかに、系統地理の視点からの作問であると思われる。系統地理とは、地の「ことわり」を問うものである。既存の参考書が、伝統的な、地域による整理、地域単位の知識の羅列であることは、そのような参考書で勉強すれば、現代のような、地理の問題には対応できない、ということであり、地理の入試にも、大学入試と同じ出題視点が取り入れられつつあるということではないか、と思う。
 要するに、地域別に整理する手法では、昨今の地理の問題には対応できないということである。
 
 
 わたしの仕事は、必ずしも専門の徒ではない学問について、様々な書物を読み、そこから要約をして、簡潔な知識を提供することである。わたしは、大学入試の英語を要約し、高校入試の英語を要約し、高校数学を要約し、高校入試の数学を要約してきました。今秋には、高校入試の社会の一分野の「地理」の要約を提供する、ことを企図して、今、様々な書物を読んでいるところであります。 

 この執筆の目的は、わたし自身が、地理の何たるかについて、悩み、正直「わからない」と思うからであり、そのためにさまざまな書籍を読み、書いているのことの意味が甚だ分かりにくい、曖昧なことに腹立たしい思いをしながら、そこからわたしなりに、地理という学問を捉えるために苦心しているということである。わたしは、もちろん地理の専門家ではない。わたしは一介の塾の指導者に過ぎない。わたしの仕事は、どんな科目であれ、噛み砕いて、その「要約」を子どもたちに提供することである、と心得ている。わたしは常に要約者としての使命を果たすことを考えてきた。
 「地理」という名称が、地理の勉強の仕方を教えていた。
 地理の過去問を見るとき、「地」の「理(ことわり)」が、どう問われているのか、に注意を配りながら、読むといい。その問い口、問い方が、そのままあなたたちに、地理の勉強の仕方を教えてくれるだろう。
 
 知識は大まかに、その方向性、輪郭、全体像を、つかむこと、それが未知の問題に対したとき、答えの方向性を与えてくれることになる。問題は、まず「読み」、次に注意深く「観察する」。読解とは、畢竟この「観察」こそが生命と思う。わたしはいつか「読解観察論」を展開したいと思う。

販売中!!

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竹の会の幻の名著と言われた「英語ポイント集」の復刻「新英語ポイント集」

全面書き換え新版

Amazonで発売!!

開成・筑駒トップ合格を可能にした,竹の会改心の高校入試英語の注釈&整理集!!

「英語ポイント集」はもともと早稲田実業志望のある男子のために執筆したものですが, その後の竹の会の入試指導ではなくてはならないものとなりました。多くの先輩たちを早稲田などの合格に導いた伝説のテキストとなりましたが, さらには多くの先輩たちがこのテキストで受験英語を克服してきたことでもその役割は実に大きなものでした。そのコンセプトは入試問題からひとつひとつ論点を拾い上げそのひとつひとつに的確なコメントを付すというものでしたが,受験の切り札として重宝される一方英語不得意の生徒の特効薬としてもその効果は驚異的でした。数々の成功エピソードで語られいつしか竹の会の伝説的名著と言われるようになりました。私自身もこれほどすごいものができるとは思ってもいませんでしたが, 私の予想をはるかに超えたスーパーテキストとなってしまったのです。今回の新訂版には、竹の会の知られざる名著「英語合格本」からその要点を取り込み、さらに、竹の会の伝説の指導書「新英語指導案」からも最重要部分を取り入れました。「英語合格本」は、慶應女子志望の女子のために特に執筆したものです。執筆の体裁を変えたこともあって英語ポイント集ほどは利用されませんでしたが,件の女子はこのテキストを使って青山学院に合格し、その後慶應大学に合格しました。

 今回アマゾンからの発刊を決意し,7月発刊に向けて,毎日原稿の執筆に取り組んできました。今回の改訂は開成などの難関校の受験にも通用することを主眼としています。特に,注釈形式で,英語の深奥に迫る解説を施し,かつ実践に通用する演習書としての機能も重視しました。短期間の執筆でしたが受験英語のための超スーパーテキストが完成したと自負しています。その母体となった名著「英語ポイント集」の精神をそのままに竹の会受験英語指導の粋を極めた実質的「新英語ポイント集」の完成です。竹の会の会員のみなさんがこのテキストを使って成功されることを祈ってやみません。

(新訂版 はしがき より)

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 英語ポイント集(絶版)

 

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