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高校入試に成功するには‼️

2022.12.31

高校入試成功の論理

1 高校入試に成功するには‼️

2 都立中高一貫校の弊害

3 低ランク校の規範

4 開成・筑駒の攻略からみた出題範囲の見切り

5 都立中高一貫校受検の迷路

6 区立中学で成功する子

7 小5までが勝負だ‼️ 

高校入試成功の論理

1 高校入試に成功するには‼️
 まず小学生の間に、学習の基礎を完璧にしておかなければなりません。具体的には、難関中学レベルの計算問題くらいは難なく解けるようにしておがなければなりません。さらに、割合を軸として算数の問題を解くことに修練しておく必要があります。この修練を通して、思考スタイルを確立させていくのです。また小学期の勉強を通して、勉強に向かい合うスタンスを完成させておかねばなりません。
 その上で、小6の2月から、高校入試の戦いのスタートです。竹の会の開成高校、筑駒高校合格者も、このようにして合格まで進められました。
 考えようによっては、私は高校入試の方がずっといい高校、大学に行けると思います。無理して、日東駒専以下が大半の都立中高一貫校を受けて、運良く合格しても、よくできる薄いトップ層とその他多数の落ちこぼれで構成される都立中高一貫校がなぜいいのか、わたしにはわかりません。6年という期間は、先取り教育ができて有利だなどと言われてきましたが、6年間という長き猶予が中弛みという、落ちこぼれを生み、何がいいのかわからなくなります。トップの薄い層が出した進学実績に惑わされて、大半が、Fラン、日東駒専以下という実態を看過してはなりません。
 おそらく親は、都立中高一貫校に行けば、高校入試もないし、学費もただみたいなもの、これほどいいことはないと思うのかもしれない。しかし、高校入試がないのは、裏目に出ることに気づくのは、後からです。6年間という長い、悠久たる期間は、必ず中弛みを生みます。勉強しなくなるのです。区立中に進んだ生徒の中には、地頭のいい子もいます。その中には惜しくも都立に落ちた子もふくまれています。そういう子たちは、区立に入学してから猛勉強を重ねてきた子も多くいます。3年後、中弛みの都立中の子たちよりは、格段に上の力をつけて、進学指導重点校に合格する子たちは、均一な学力を備えた子たちの中で、さらに飛躍していくのです。中弛みの都立生は、落ちこぼれてせいぜい日東駒専あたりに落ち着くのが関の山です。

2 都立中高一貫校の弊害
 トップ層と下位層の学力差は極めて大きい。下位層は、落ちこぼれ層である。
高校入試を経て、比較的均一の学力をもって入学してくる一般の都立高校の生徒と比較して、学力格差が深刻な問題となっている。
ただこの問題は、都立中高一貫校だけに特有なわけではない。日比谷だって、上位層と下位層との格差は問題になる。特に、日比谷のようなエリート校は、開成などの難関私立から流れる者、そこには合格して流れる、不合格の結果流れる、はあっても、こういう生徒が、上位層を形成することは予想に難くない。そして合格点ギリギリの合格者、内申で助けられて、学力点は低い合格者、さらに一般的に学力の低いとされる推薦合格者など、下位層を形成する生徒群がいることである。つまり、日比谷にしても二極化していく。あの開成にして、その半数は落ちこぼれと言われる。開成も二極化、つまり上位層と下位層の学力格差は必然なのである。
 こうして、ただ合格すればいい、という話しではないということが、おわかりであろうか。上位層合格をしなければ、落ちこぼれの運命が待っているということである。
 竹の会の卒業生が、トップ層合格している者が多いという事実は、早慶、国立大の合格者が多数出ていることが証明している。国立大学、早慶合格の報告が多いのも、竹の会ならではのことなのである。
 
3 低ランク校の規範

高校受験を経て、低ランク校に集められた生徒たちは勉強しないことを規範としている。熱心に勉強する同級生もあまりいない上に、先輩(卒業生)も大学など学力選抜が求められる進路を選んできていないわけで、勉強する強い動機を持ちにくいことは不思議ではない。日本の教育困難校・課題集中校は制度によって作られたものであり、それは国際的にも特異なことだ。

4 開成・筑駒の攻略からみた出題範囲の見切り

 合格範囲の知識だけを勉強する、砕いて言えば、そういうことだが、これが、なかなか難しいことである。高校受験に関しては、都立高校は、その範囲画定に近年は悩んだことはないが、私立難関中の難関開成高校、さらには日本最難関の筑駒高校については、大いに悩んだ。おそらくかなり踏み込んでしまったのかもしれない。どこまでやれば安心できるのかというラインが引けないのだ。わたしには初の経験だったこともある。だから絶対合格というラインを考えてしまう。それにたとえ難関であっても、上位層合格しなければ意味がないということは指導者なら当然に知っている。下位層合格した者が、ほとんど落ちこぼれ軍団を形成するであろうことは、科学的データで証明されている。現にわたしはそのデータを持っている。日比谷でも下位層で合格した者の成績は上位層ともはや取り返しのつかないレベルにまで広がることがわかっている。日比谷は開成などの滑り止め校である。開成などを落ちた連中が日比谷では上位層を形成する。下位層にはギリギリ合格、それも内申に助けられての合格者、さらには推薦による合格者が占める。どこの都立も推薦合格者は、お荷物となる可能性が高いのだ。内申だけ高くて中身は伽藍堂という生徒がほとんどである。もちろん例外も少ないがいるにはいる。どの議論も「ほとんど」というときは、例外を前提しての話しだ。
 下位層合格してもそれは落ちこぼれの集団の一員になるだけで意味がない。だからわたしが目したのは、トップ3合格である。わたしの指導の確度を確かめるために、わたしは、駿台模試を利用した。現在の日本で、真の実力を測る模試は駿台模試しかない。それは、サピックスや早稲アカ、Z会の模試のように塾内だけの志望者の順位では使えないからである。開成なら開成を志望するほぼ全員が受ける模試でなければ何もわからない。だからわたしは駿台模試を使った。そこで1番を、とれば、私の範囲画定は間違いでなかったと証明できるではないか。わたしはそう考えた。だから、「1番を取って来い‼️」「全国順位1番を取って来い‼️」と檄を飛ばした。そしてわたしの言葉通りに、1番を取ってきた。わたしは、自分の指導の確度を根拠付けできたし、それまでの指導が間違っていなかったこともわかった。

5 都立中高一貫校受検の迷路
 範囲画定は、難しくないのに、迷路に入ってきたのが、都立中高一貫校受検であった。これはどうも高校入試のようにはなかなかいかない。やり過ぎて小学生の小さな頭を混乱させてしまったという失敗を2、3度やってしまったようである。小学生は、容量が少ないということをつい忘れてしまう。もちろん容量の高い子もいる。容量の小さい子が、小6前後以降に竹の会に来ても、蓄積量がはるかに少ないため高度な指導は無理である。ましてやそれまで無塾の子の指導は不可能であり、大手から来た子も、蓄積量がないことはいまや常識だ。いったい大手の1年なり2年なりで、何を勉強してきたのだろう? 計算はまともにできないし、割合がらみの中堅私立の算数問題はまず解けない。こういう子を短期間で合格に導くことなどできるわけがないではないか。思考力を培うという勉強をして来なかったのは、公立中学でどうなるか、先が見えているだけに指導も虚しさがつきまとう。
 容量の少ない小学生の指導は、範囲をさらに狭く画定しなければならないのだ。その分、思考力でカバーするほかない。やり過ぎれば毒になる。想い出すのは、平成25年の合格者の指導に使ったレジュメは、「合格答案への道」と「算数をクリアーにする」だけだった。そして平成27年の合格者には、「算数をクリアーにする」のほか、その後に執筆した「推論シリーズ」だった。
後から考えるかなり少なかった。心配と不安からどうしてもより多くのレジュメを使ってしまいがちで、大量に使った年は必ず落ちている。レジュメの積み残しのため7回解き直しもできないで、消化不良は明らかであった。

6 区立中学で成功する子
 竹の会で惜しくも失敗しても、区立中学で成功する子が多いのは、思考力及び基本学力をしっかりと身につけているからだ。落ちるだろうことは、実は、わたしには、想定内のことであった。わたしが受かると思ったときははっきりそう本人に言う。わたしが何も言わないなら、それは受かる見通しはないということである。ただそういう子も竹の会で基本を徹底して鍛えてきたのは事実であり、区立中学に行けば、伸びることも想定内のことである。
 竹の会で基礎学力がつけられないなら、それは、能力の問題と考えてもらいたい。わたしにどうにもできない問題である。
 小6で伸びるかは、小6になるまでの学習蓄積量次第である。小5だからと手を抜いたら小6で伸び止めになることは近年の小6が証明してきたことである。なぜに小5の夏に夏季講習に参加しなかったのか、その時の親御さんの考えはわからない。小6になっていくら時間をかけてももう遅いのである。蓄積された学習量が、小6の学力に大きく影響する。その影響は、決定的である。しかし、多くの凡庸な親は、今しか見ていない。1年後、2年後のことなんか考えていない。その時はなんとかなるだろうとなぜか楽観的なのである。例年、小5までの学習量の不足による、小6になっての失速は目に余る。最初の早稲田模試で100点未満(300点満点)というのはこれまでの竹のでは見たことがなかった。いきなり名前を載せるのが竹の会の定番だったから正直驚いた。明らかに、才能の欠如と小5までの学習蓄積量の不十分が原因とわかる。なぜって、過去の合格者の小5までの勉強量、勉強姿勢と比べて明らかに劣るからである。劣化しているのは、勉強に対するスタンスである。さらに親のスタンスである。ただのノルマ、こなし仕事と考える傾向が顕著で、小5までの勉強の手の抜き方も目に余る。これで受かるのか、受かるはずがない。ある小5の親はコロナ時期には塾は休み、夏も参加せず、この時は本当にそれでいいのか、と危惧したけれど、小6の最初の模試は、やはり100点にはるかに及ばなかった。それが最後まで続き、流石に「どうしたらいいか」と相談されても、わたしにはなす術はなかった。わたしができるのは、高校入試でも全く同じことだが、早期に、つまり低学年のときにどれだけ勉強量を蓄積してきたか、そこから小6の指導を成功裏に構築することだけである。受験、受検に、それまでの勉強量の潰滅的な不足を置いておいて、成功させる策などあるはずがない。そんなものがあったら教えてもらいたい。大手は、それが可能なようなことを言う。まるでどこかの宗教の勧誘そっくりだ。わたしは、大手のやり方を知っている。大手に通わせる親は、小5までは大手の授業についていっていると大安心である。難し過ぎる授業内容には、子どものレベルを超えているのではないか、という批判をする親がいるから大手も考えている。大手の戦略は、小5までは子どもを引きつけておく、小6になったら講習とオプション講座で、これをすべて受けなければどうなるかわからないと脅す戦略なのだろう。小5まではカリキュラム内容が薄く難易度を低くして較差を可視化、表面化させない作戦だ。授業内容が平易であれば言語力に格差があっても認知されることはない。日々の授業でも自らの学力的な位置を把握できないしくみである。能力差は児童にも、親にも明示されない、潜伏したまま、まるで存在しないかのように振る舞われる。小6になって、いきなり受検レベルの授業になる。するとこれまで潜在化してた能力差が突如として噴出してくるのはわかりきっている。しかし、大手はここでも巧妙に振る舞う。すぐに、そのための特別講座、オプション講座を売り込む。大手の伽藍堂小学生の量産はこうして完成へと近づいていく。この時期大手に懐疑的になり、竹の会に来た子たちの学力の低さは、みな小5までの学習蓄積量のあまりにもの低さからくるものである。大手を信じてきた親たちの間抜けさがあからさまになる時期である。何かと消極的な竹の会の親も、小6になって失速はするが、大手との違いは、子どもに最低限の基礎学力をつけてもらったかどうかである。試験直前には冷静さを失って、それまでの消極性を棚に上げて竹の会を非難する親もいたが、基礎学力がしっかりしていることの恩恵を中学で受けることになる頃には少しは竹の会の誠実な対応に気がついてもらえたであろうか。

7 小5までが勝負だ‼️ 
 最後に、一言、小5までが勝負だ‼️ 受検は、既に小5で結論が出ている‼️ 多くの凡庸な親はこのことがわからない。受検は小6になったら真剣に取り組めばいいものだと考えている。しかし。それが間違いだということは、竹の会の実証データがすべて語っている。
 高校入試では、中2までにほぼ受験の範囲は終えていなければならないということは竹の会では常識、前提である。ひとり中学受検のみ小6からでいいなどという論理は成り立たない。
 小6の7月の早稲田模試で100点未満というのは、不合格の確実な徴表となる。7月の模試から好成績を残すには、それまでにそれなりの勉強量が前提となる。過去の合格者の勉強量はその意味では完璧なものであった。小6になって失速する子たちとの差は歴然としていた。小6になってできないで慌てる親たちは、自分の子が小4、小5の時期にどれだけ熱心に勉強に取り組み、学習量の蓄積をしてきたのか、振り返ってみるといい。それから過去の合格者で、習い事・稽古事、スポーツをやりながら受かった例はほとんどないことは知っておいてほしい。受検に本当に受かりたいなら受検だけに集中することです。

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