画像
䞭孊受隓 高校受隓 受隓盞談 枋谷で創立幎

🎶GIFT/🎶遞択問題の悪い癖/🎶竹の䌚ずいう名前ず母のこず/桜修通受怜・郜立戞山受隓・郜立小山台受隓・女子孊院受隓など

2023.07.25

🎶GIFT
 
 子どもの性栌も才胜も、千差䞇別。ずすれば、䞀埋に同じ指導なんおできるわけがない。そんなこずはわかりきったこずですが、自分の子が才胜がないなんお認めたくない、芪ずはそんなものです。だから「できない」のは、わかりやすく教えおあげないからだ、この子は呑み蟌みが悪いから時間をかけお教えおあげればできるようになる、そういうこずを本気で信じおいる芪がいたす。だからできないのは、この子が頭が悪いからではなく、塟が悪いからだ、ず断じお疑わないのです。
 そもそも呑み蟌みが悪いずいうのはどういうこずなのか。ただなかなか理解できない、ずいうこずですよね。時間をかけおもどこたで理解できたのか、もしかしたら、わかったこずにしたのかも知れない。いやそもそも子どもの「わかった」ずいう蚀葉には䜕の真実もない。本圓にわかったかどうかは、指導偎が怜査するしかない。蚀葉は䜕も真実を䌝えない。わかった぀もりになっお「わかった」ず蚀っただけかも知れない。「わかった」ず蚀ったのは、䜕の根拠のない、ただ蚀葉でそう蚀っただけずいうこずもある。子どもの蚀葉ずは、その皋床のものである。「わかった」のなら、いくらでも確かめる方法はある。それが孊問である。ただ胜力が及ばない。その事実を認めたくない芪の心情が哀れです。
 人は、生たれるず同時に芪(DNA)から持たされたgiftによっお、人生を芏定される。才胜は倚岐に、わたる。䞖の䞭は、勉匷の才胜を最も評䟡する前提でできおいる。もちろん運動の才胜、囲碁、将棋の才胜、料理の才胜ず才胜は倚岐にわたる。さらには、コツコツず努力するタむプか、熱し易く冷め易いタむプか、飜きっぜい性栌か、怠惰な性栌か、玠盎な性栌か、自尊心が異垞に高いか、芪の育お方、芪の䟡倀芳、芪の経枈力、芪の育った環境も関わり、事は耇雑な様盞を呈する。そう蚀ったもの党おを含めお、子の珟圚を芏定するgiftず考えるこずももちろん広い意味でgiftず捉えるこずができる。
 芪の経枈力、孊歎などは、最近、芪ガチャず呌ばれお、生たれおきた子にずっお、人生を決めるほどの倧きなこず、運䞍運ず捉えられおいる。 
 塟にやれるかどうかも子には芪ガチャの運䞍運ずなる。
 珟代は、質の高い孊歎を手に入れるためには、塟、予備校なしには、考えられない。塟代を払えない、節玄するしかない、そういう局が、孊歎を手に入れるには、本人がずば抜けお才胜に恵たれおいない限り、塟なしにはありえない。塟があるから子どもを䌞ばし、孊力を぀けるこずができるのである。䜙皋の䟋倖を陀けば、子どもが家庭でやる䞀人勉匷、母芪ないし父芪が教えるやり方では、塟、予備校に通う子たちにはずおも勝ち目はないだろう。江戞時代の昌平黌も䞊玚歊士の垫匟などが将来の゚リヌトずしお通ったものである。明治になるず旧制高校、垝倧は、もちろん金持ちしかいけなかった。倧正、昭和を経お、平成、什和ず元号は倉わっおも、孊歎はさらに先鋭化しおわたしたちの瀟䌚で遞別の機胜を果たす。孊歎を手にするたでにかかるコストは厳然ずしおある。カネのない者は、良質な孊歎は埗られない仕組みは倉わらない。塟に行けない者、塟に行っおも十分にカネを泚ぎ蟌めない者は、淘汰されお、脱萜しお行くしかない。これが瀟䌚の、䞖の䞭の仕組みである。芪ガチャずいう蚀葉は、珟代の瀟䌚の実盞は䜙すずころなく語り尜くす。底蟺の局に生たれた子は孊問に、教育にカネを䜿えない結果、やはり底蟺瀟䌚に環流しお行くしかない。
 信頌のおける曞物には、東倧生の80%の芪が、富裕局に属するずいう報告をしおいる。それはそうだろう。東倧に行くには、有名進孊校に入るのがほずんどであろう。たいおいは私立であろう。郜立なら日比谷ずしおも予備校䜵甚は普通これは私立の開成でもどこでも倉わらない。私立難関進孊校に入るたでには塟に通う。それも目䞀杯通う。䞭孊受隓なら小孊䜎孊幎から進孊塟に通う。こういうこずができるのは富裕局しかない。
 こうしお富裕局から富裕局が生たれる再生産システムが完成する。20%の䞊玚囜民ず80%の䞋玚囜民で瀟䌚が二極化しおいく。いや二局化しおいく。
 子どもは、生たれたずきから、giftで人生を芏定される。さらには、芪ガチャで人生が決たる。芪の職業、孊歎、家庭環境、収入などがすべおこれからの子の人生に関わる。

🎶察象を広げれば広げるほど点数は平均に近づく❗️
 最重芁点に絞っおやるず埗点は8〜割たで䞊がる❗️ しかし、重芁事項の反埩ではそれ以䞊はない。
 ここのずころは、倚くの指導者は経隓的に知っおいるはずである。が、このように法則化できおいる指導者はほずんどいないのではないか。いや、むしろ未だに網矅的、现郚に広げる勉匷をベストず考えおいる、頭の硬い指導者が倚いのではないか。

 郜立受隓生の倚くは䞭3になっお理科、瀟䌚の壁に突き圓たる。最初の暡詊から80点超を取れるずいうのは少数掟である。たいおいは40点から60点の範囲にあるはずである。䞍思議ず70点台ずいうのが芋圓たらない。こうした子たちが最終的に理科、瀟䌚90点前埌に達するのかず蚀うずたいおいは60点前埌で終わるこずになる。぀たり8月の暡詊で理科、瀟䌚60点の生埒が12月の暡詊ではやはり60点前埌ずいう䞍思議な掚移が実は普通のこずなのだ。その間それなりに勉匷しただろうにおかしなこずだず思いたすか。考えおも芋おください。10月䞭旬定期テストを口実に受隓勉匷はストップしたす。これは11月䞭旬の定期テストでも同じです。そしお受隓科目は理科、瀟䌚だけではない。英語、数孊、囜語もある。瀟䌚だけでも地理、歎史、公民ず範囲は膚倧である。実はろくすっぜ勉匷時間なんか取れないのだ。だから受隓勉匷は䞭2たでに終わらせおいなければならないのだ。ここを理解しないで脳倩気に孊校の進床に合わせお郚掻なんかも楜しみながらのんびりやっおいれば䞭3になっお第䞀志望の郜立䞭なんかに行けるはずもないのである。

 わたしもそういうこずを蚎えおきおそれでも結局理科、瀟䌚を60点前埌で䞭3の9月を迎える子たちがいたわけです。わたしの蚀うこずを真剣にずらえおこなかったわけです。その結果、理科・瀟䌚でぎりぎりたで苊しむこずになる。こういう生埒の指導経隓からわかっおきたこずがありたす。心配だず蚀うので知識を広げれば広げるほど暡詊の成瞟は限りなく50点に近づいおいくこずです。実際には60点ラむンでしたがなぜか決しお70点は超えない。わたしはこういう子たちには最重芁点に絞ったテキストを20回以䞊反埩回すこずを指導しおきたした。たあ、いろいろ现かい手は打っおきたず思うのですが本番1週間前に過去問チェックでようやく90点前埌ずいうこずもありたした。理科は䌞びたけど瀟䌚は結局50点止たりのたた本番を迎えたずいう子もいたした。このずきは重芁点に絞っおいたのですが、それでも点が䌞びない、それで知識を広げおいったこずがありたした。どうも知識を広げるのはたずいず実感したものです。

 䞭2たでの理科、瀟䌚の取り組み方が埌々の受隓に圱響するこずは明らかです。範囲の膚倧な瀟䌚ず原理的な理解を軞にする理科ずは圓然察策は異なる。か぀お旺文瀟から「理科蚈算問題の解き方」ずいう本が出おいたしたかあれは名著でした。竹の䌚ではよくそれを勧めおいたしたがたちたち理科が埗意なる、そういう教材でした。今は絶版ずなっお消えおしたいたしたが旺文瀟からそれを越える本は出おいない。もし埩刻版が出ればわたしならたずめ買いするでしょうね。

 瀟䌚の勉匷のしかたですが範囲が膚倧なので芁領よくやらないずずおも間に合わない。たず芁点をたずめたテキストは必須です。ただこれだけでは劂䜕にも挠ずしお歯あんなわけです。実は教科曞を読むのが䞀番なんですけども時間のない受隓生にはどうも終わりのない、ずりずめのない勉匷に終わっおしたいそうです。

 そこでわたしはたず瀟䌚に぀いお察策本を執筆するこずにしたした。䟋幎郜立受隓生が苊しんでいるのを芋おなんずかしなければず思っおきたしたがわたしなりに思うずころがあり、地理・歎史・公民を教科曞ず過去問を軞に敎理し盎そうず思い立ちたした。歎史は「時代背景」「事件の背景」ずいうものが、公民は培頭培尟「制床の趣旚」が敎理の基準ずなるず迷いがありたせんが地理がいちばんずっ぀きにくい。䞋手をするず知識の矅列になっおしたう。そうなるず垂販ず倉わらない。わたしは地理の教科曞を読みながら思ったのです。「これっお、リアルな人間の『生掻』の断面だよな」ず。厳しい自然・気候・環境の䞋での「生掻」、人間はどこでも生たれた土地がどんなずころであっおも「生掻」、぀たり生存しおいくしかない。地理ずいうのは、生存のための葛藀ではないか、ず。リアルな人間の生掻、生存のための掻動、行動を地理孊は叙述しおいるのではないか。実はわたしは新䜜「高校入詊 瀟䌚ポむント集」の執筆に向けお今は資料集めず執筆の構想をいろいろず思い描いおいるずころです。 
 

🎶遞択問題の悪い癖
 芋たこずもない肢を遞ぶな
 マむナヌな肢を遞ぶな
 未知の単語、難しそうな単語を含む肢を遞ぶな
 自分の知らない蚀葉は、魅力的か぀、秘密が隠されおいるような深みを感じる。
 特に、マむナヌ志向の高い人ほど匕っかかる。

 普通の人になれ、垞識的になれ、倚数掟になれ‼️
 私たちはたいおい「普通の人」である。
 詊隓ずいうのは、普通の人に解けない問題を軞に出すずはずおも思えない。普通の人は、特殊な問題そう芋えるだけが出されるず、慌おる。ただ普通の問題さえも解けないほどに慌おたら、どうにもならない。本圓に特殊な問題はできなくおも仕方ない。ただ特殊の問題を装った普通の問題ばかりだずいうこずも普通のこずだ。

 普通の人に特別を求める問題は明らかに悪問である。わたしたちは、普通の人になりきらなけれならない。決しお普通の人が特別の人になろうずは思っおはならない。飜くたでも普通の考え、解き方にこだわる。普通に、垞識的に考えたらどうなるか、である。普通の人がい぀も特別の考えがあるのではないか、ずいう姿勢を取っおいたら、本来の普通の人の取る考え方さえも消倱する。そしおい぀も問題を芋たら特別ばかりを远い求め、本来取るべき思考手順が消えおなくなる。これを本末転倒ずいう。
 い぀も特別ばかり考えおいおは、成瞟は降䞋するほかない。仮に特別ずしおも本来の普通思考の延長線䞊にあるず考えおいかなければならない。
 ドラマ「刑事コロンボ」。あれは面癜かった。最初から蚈画殺人のカラクリを芋せられる。犯行の様子を芋せられる。犯人はたいおい瀟䌚的地䜍の高い人、富裕局の人ず決たっおいる。いわゆる完党犯眪をどう暎くか、がテヌマである。面癜いのは、コロンボが、些现な「普通ず違うこず」を芋逃さないこずだ。ここを犯人に問い糺す。その問いが本質を぀くものだから、犯人は慌おる。焊る。それで取り繕う。質問は些现な矛盟、普通でないこずに関しお畳み掛けるようになされる。その床にその堎しのぎの説明をする。するずどうしおも矛盟が生じる。それが最埌にはどうにも説明のしようのない矛盟が突き぀けられる。ゲヌムオヌバヌだ‼️
 普通のこず、どこにもありふれた些现な玠朎な疑問、その積み重ねが、どうにもならない矛盟を蚌明する。たるで数孊の蚌明法の䞀぀背理法を珟実では「こう䜿うんだよ」ず教えおくれるような、䞍思議な気持ちにさせられた。
 わたしは遞択肢問題には匱かった。珟代囜語にはその分析の仕方ずいうものがあるずいうこずを知ったのは、埌幎のこずである。叞法詊隓の択䞀匏問題では、五肢択䞀匏であるが、い぀も二肢たで絞り、二択で必ずマむナヌな肢を遞んでしたう性癖に苊しめられた。これはおそらくこれたで自分の生きお来た、い぀も損をする、我慢する、自分にはいいこずなんかないんだ、ずいう芳念が骚の髄たで沁み぀いおわたしの人生の遞択においお、垞にマむナヌな遞択をするように働いおきたこず、そのこずず無関係ではないず確信しおいる。
 倧孊を出お、メヌカヌでも、銀行でも、普通に就職できおたのにしなかった。普通に生きるこずもできたはずだ。しかし、わたしは普通ではだめだ、ずいう匷い芳念が支配しおいた。わたしは人生の遞択においお垞にマむナヌな方を遞択しおきたのだず思う。塟の先生がどれほどマむナヌな遞択であったか。普通の人生を歩めなかった自分の業ごうに行く道を芏定されお、わたしはその䞭で必死に生きおきたのだず思う。
🎶竹の䌚ずいう名前のこず
 塟ずいう道を遞んだのも、偶然であり、その埌のわたしの遞択は垞に偶然の䞭に身を眮いた。
 塟を始めたのはたたたたであった。生埒をどうやっお集めるか、䜕もかも初めおだった。塟の名称を䜕にするか、これは考えた。いろいろ候補はあったがどれずしおしっくり来るものはなかった。今考えれば酷いものばかりだった。1週間ほど経ったであろうか。朝目芚めるず、突然「竹の䌚」ずいう名前が頭に閃いた。「これだ‼️」、わたしはもう迷わなかたった。竹の䌚の「竹」がわたしの名前の雄圊「タケヒコ」の「タケ」ずたたたた䞀臎しおいたしたが、別にわたしの名前から取ったわけではありたせん。それから「竹の䌚」は人々に銎染むたで十幎、二十幎の歳月を芁したした。時には、「タケノコ䌚ですか」などず電話をしおくる人もいたした。竹の䌚ずいう名前が䞀人歩きし出すには、二十幎はかかったのか、ず思いたす。ず蚀いたすか、竹の䌚がわたしずは別のずころにある、別人栌、別の存圚だず実感するようになったのは、二十幎ほど過ぎたあたりからなのかな、ず思いたす。
 竹の䌚が別人栌なのか、ず感じるのは、ここ䜕幎か、竹の䌚を買い取りたい、ずいう文曞が送られおくるようになったこずです。しかし、竹の䌚は、わたしず離れおは存圚し埗ない特殊な塟だず思いたす。巷の塟のように代替性はない。それは巷の塟のように、塟の普通の、圢態、システムは取らない、こずにありたす。テキスト、授業、耇数の講垫ずいった塟の䞉皮の神噚がない。匷いお蚀えば、指導、指導はわたしだけ、授業なし、ずいったずころです。
 倧手に䞀幎いお、1ミリも力を぀けおいない、そういう子が倧倚数だず思いたす。今たでに倧手に小4たで、小5たでず通っお竹の䌚に来た子たちは䞀人の䟋倖もなく、蚈算力なし、割合はほずんどわかっおいない、たしおや算数などずおも解ける状態にない、そういう子ばかりでした。なぜ䞀人の䟋倖もなく、できないたたに、倧手にいるのか、わたしにはさっぱり芪の気持ちがわかりたせん。はっきり蚀っお、倧手の䞀幎なり、二幎なりは、無駄以倖のなにものでもありたせん。
 普通の子(孊校の内申で「よくできる」が7、8割ある子)なら、竹の䌚に䞀幎いれば(入塟したずきの孊幎にもよりたすが)、スヌパヌな蚈算力を぀けお、割合を理解し、偏差倀55レベルの䞭孊入詊に出される割合の問題を解けるたでになっおいたす。
 これはり゜でも䜕でもありたせん。事実を述べおいるだけです。竹の䌚に実際に子どもさんを通わせおいる芪埡さんならわかっおいるこずです。
竹の䌚は決しおり゜停りを蚀っおいたせん。竹の䌚に入䌚した途端にわかる芪には「わかる」、「わかっおいる」はずです。
 それほど竹の䌚の指導はおきめんな結果、目に芋える結果を日々芋せおいくこずでしょう。
 竹の䌚に入䌚しおたず倉化を芋せるのは、子どもの衚情でしょう。「わかる」ずいう積み重ねが、子どもに自信を䞎える。それがいい効果ずなっお、子どもの衚情が明るくなる。玠盎になる。最初、戞惑いながら、「できる」ずいう小さな経隓を積み重ねおいく、これが指導の芁諊である。
 䞀幎経ち、竹の䌚の子ず倧手塟の子を比べればその差は歎然ずしおいる、であろう。倧手に䞀幎、二幎ず通い、䟋えば、芝䞭レベルの算数の問題が解けるのか、ずいうこずである。倧手の子たちがそれぞころではない、ずいうこずはあたりにもわかりきったこずであ。それは圓の芪が䞀番わかっおいるこずなのかず思うが、ずころが、倧手に通わせおいる芪の倚くは我が子の蚈算レベルも知らないこずが倚く、割合に至っおは「習ったでしょ」ず子に確認するレベルである。そうなのである。倧手に通わせる芪のほずんどはそのレベルなのである。倧手に通わせおいるだけで安心しおしたっおいる。その間に自分の子がもはや取り返しの぀かないレベルの孊力になっおしたっおいるこずなど思いも及ばない。圓然受怜など最初から受かるはずもなく、圓然なように公立に行くこずになろう。その時に小孊時代を無為に過ごしたツケが回っおくる。しかし、小孊時代たずもに蚈算も割合もできない子が䞭孊でいくらたたたた倧手塟に通ったからず蚀っおどうにかなるわけではない。それからの䞭孊は、郚掻に興じお、ただただ転萜しおいく、萜ちこがれの人生になるだけである。埅っおいるのはラン高校(䞭途退孊率異垞に高い)、瀟䌚の底蟺ぞず排出される工皋に乗っただけのこずである。
 塟の責任ずいうこずを勘違いしお、受怜に萜ちた責任をどうずるのか、などずいう戯蚀を蚀う人間がいるけれども、塟は100%合栌を保蚌するずころなどではない。受怜ずは遞抜詊隓であり、萜ちる者が、圧倒的に倚いのが前提である。たた詊隓は個人の胜力、努力、資金力、環境など様々な芁玠が合吊に関わるのであり、個人の責任、自己責任なのだ。
 わたしが塟の責任ず蚀っおいるのは、預かった子たちの基瀎孊力も぀けおあげないで、公立䞭ぞ攟り出すこずを指しおいる。受怜に萜ちたのは自己責任ずしおも、基瀎孊力もないのは、塟の責任だろ、ず蚀っおいるのだ。およそ教えられない、ずいう子なら、断ればいい。しかし、倧手は株匏䌚瀟だから営利目的を前面に出しおいるのだからそんなこずはしない。ただただ䞀幎、二幎ず止めるたでカネを払い蟌たせるだけのこずである。その倧手に我が子を預けおめでたく区立䞭に行くこずになっお倧手の責任はなどず隒がないのはどういう頭の構造をしおいるのか、ちょっずわかりたせん。

ペヌゞトップぞ