画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🔛算数はすべての基礎思考が網羅された最強思考育成システム 

2024.06.18

🔛算数はすべての基礎思考が網羅された最強思考育成システム
 東大受験もまず算数から❗️
 算数はすべての学問の基礎
 小学の低学年期間というのは、算数を通して、揺るがぬ思考力、へこたれぬ耐久性、一つの観念に固執しない柔軟性、豊かな想像力、そういった属性を自然と脳内に彷彿とさせる、脳を作り上げる期間です。
 天才でもない、普通よりやや上の子が、中学受験で、そうした算数に出会うことなく、強制的に、思考の余地なく、公式、解き方と問題をセットで記憶する、という算数本来の付き合い方をしないで、過ごした3年間の時間は大きな禍根を残すことになろう。
 また、世の中には、わたしには、理解できない人たちが、多数いる。まず、小学低学年というタイミングで、算数に出会うことない人たちの、ほぼ確定した未来は、教育困難校か、単願推薦の私立ということになろう。
 習い事、稽古事、サッカーやバスケ、野球に低学年から夢中の子も、また全くの無塾の子も、算数をやらないという点では、共通であり、教育困難校に行く確率は高い。そもそもそういう子たちは、學を軽視し、あるいは甘く見て、別にカネをかけるほどでもない、いや節約の本丸となっている節がある。こういう教育に投資しない家庭が、将来どうなっても知ったことではないのだが、小5、遅い家庭では、小6あたりから塾を探すというのは、どういうことであろうか。學で身を立てる意思のない人たちの一連の行動には驚かされてきた。あるいは中学で塾を探すというのも同じである。中には、知能に恵まれた子もいて、中2まで高い内申を取り、塾にも行かずに日比谷などを志望する子がいる、ということも驚かされる。中3になれば、無塾の意味を思い知らされらことになる。
 それはともかく、小学期は、知識をインプットするのではない。少なくともそれが主目的ではない。ほかでもない、脳を設定する期間である。脳を作りあげて、中学以降に備える。低学年と高学年は、質が違う。
西岡壱誠という人が、「東大算数」という著者の中で次のように述べている。
 できる人とできない人の差
 差がついたのは、算数の勉強から、生じたものだ。
 彼は高校のとき、塾の先生に「東大には行くにはどうすればいいですか」と訊いたそうだ。当時彼の偏差値は35だったそうだ。普通なら、「無理です」と言いそうなものだが、塾の先生は、「本気で、東大へ行きたいですか、それなら小学校の算数からやり直すことです」と言ったそうだ。「小学校の算数には、すべてが詰まっている。そこからやり直せば、中学高校の数学だけでなく、すべての科目に応用できる」ということを言ったそうだ。
 算数の威力について、そこまで考えたことはない。ただ、事実として、竹の会で算数を一応極めた子たちは、都立中学でも、区立中学でも、トップクラスにある。また大学についても、東大、京大、東工大、一橋大、東北大、北大、お茶の水女子、早慶などに進学した子たちのことをよく考える。これは彼ら、彼女らが、ただ優秀だったというだけではなく、算数を極めていたからではないか、と最近ふと思うことがある。そういうわたしも、実は、算数を研究するようになって、これまでよりより広い視野で物事を見ていることに気づくことがある。もしかしたら、わたしも算数的思考の虜になっていたのかもしれない。算数ができる子は、数学はもちろん他科目もできるようになるというのは、竹の会で算数を鍛えた子たちは、特に多くの子が苦手とする国語でも苦労していないのは確かである。中学から竹の会に来た子たちの中には国語を苦手とする子がよくいる。これなどはやはり算数による思考開発の欠落がもたらすものかもしれないと感じている。
 中学で国語の苦手だった子というのは、算数を竹の会で指導したことがない。
 算数がすべての科目の基礎になるということ、
 東大受験する子の60%弱は、中学受験で算数をやっている。算数をやっている子たちの、中学、高校での、数学の伸びは確かなものである。竹の会でも、桜修館などの都立に進学した子たちは、入学後も素晴らしい成績を残している。竹の会出身の子たちが、一般に、中学以降成績がいいと言われるのも、おそらく算数を鍛えていたせいではないか、と思われる。
 落ちたと非難されたことがあるが、確かな算数を身につけた子たちだから公立中学で躍進していることであろう。
 大手で算数をものにできるのは、一部の天才だけである。普通の子が、こういう天才と肩を並べて、同じカリキュラムで、同じ教材で、同じ授業を、受けても、脳をはたらかせる訓練にはならない。
 わたしが低学年からの算数の指導を訴えるのは、普通の子たちの中から、天才を育てることができるからである。算数は子どもの頭をよくする。だから東大に行きたいなら算数からやり直せという話しも出てくるのだろう。
 竹の会は、割合をまず徹底して子どもたちの脳内に概念化(抽象化)していく。この抽象化の訓練が、いかに子どもたちの知能を進化させるか、これは、実際に、わたしが、小2から指導した子どもたちの脳の進化から見て取れたことである。驚異的であり、小6からの伸びには驚くしかない。算数というのは特別な科目だということを思い知らされる。多くの親たちがこのことに思い至らず、算数を軽視して、習い事を優先させるのは、はっきり言って自分の子を教育困難校に行く選択をしていることに思い至らない。教育困難校がどんなところか、知らないから無敵である。子どもを地獄に落とすに等しい。いいですか。まずやるべきことは、きちんとした字を書けるようにしてやることです。これは親の義務です。それは小1前後が勝負です。小2では計算を徹底して訓練することです。小3では計算と割合に触れることです。小3の冬あたりから本格的な割合の訓練を始める。算数というのは奥深いものです。割合はその端緒に過ぎません。割合に親しみ、徐々に算数の問題を広げていく。これは考える過程の訓練であり、実に時間のかかることなのです。習い事で脳天気に体を動かして喜んでいるのとは違う、脳の喜びを誕生させていく過程なのです。
 わたしは、小学時代、無塾か、高学年になって塾に行ったという人たちが、中学をどう過ごすのか、99%想像できる。持って生まれた才能を持つ者は、中学でも成績優秀であろうことは当然である。しかし、そういう才能のない、ほとんどの人は、算数体験の欠落がもたらすであろう転落の道を歩むほかない。
 もし生まれながらの才能を持って生まれた子が、小2から算数を鍛えていくなら、これは恐ろしい天才を生むことになるに違いない。それほど算数を学ぶということ、凄いことなのだ。
 算数という科目は、ほんとうに千変万化の、思考の妙を脳に開眼させる科目である。わたしは、とにかく割合から、つまりは分数から、子どもたちの道案内することにした。かつて割合の深い意味をほとんどわかっていない、小学校の優等生たちの現状を知って、さらには多くの公立小に通う小学生が割合を理解できないことにショックを受けたのが研究の発端となった。割合の指導法を研究し、遂に、ミクロマクロ法という思考枠組みを発明した。割合概念を枠組み化して子どもたちを考えるという世界にすんなりと導いていく。割合概念の深化していく頃合いに、様々な算数の問題との出会いを経験させる。流水、鉄橋、旅人、などなど算数の有名問題も思考の力で、いや工夫という思考の働かせ方で乗り越えていく。速さの問題は、「比」という思考の節約を教えてくれる。思考の節約という、新しい思考を手にする。比は大活躍で、面積図、天秤、ダイヤグラムに相似、つまり比という節約思考が見事に読み取れることを知る。
 算数は、思考を育てる、ありとあらゆる事態に知恵で乗り切ろうとする科目である。だから算数をものにした子は中学では揺るがないのだ。よく大手にいた子たちかせ計算力のないことにあきれるが、大手では計算は自己責任の放置である。竹の会の子たちは指導開始前に計算4題(難関中学並)を溶くことが義務である。だから計算は一年中やっている。竹の会の子たちは計算だけはだれにも負けないという自信に満ちている。実は計算は工夫すること、つまりは節約することがコツであり、馬鹿正直に黙々とやっているわけではない。なんとか節約して計算できないか、分数の約分、逆算の約分、共通項をくくり出す、数を分解して計算するなど日頃から計算道の達人になる修行もしているのが竹の会の算数なのである。
 だから竹の会の出身者は中学で、高校で伸びるのだ。

 

ページトップへ