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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

ご心配をおかけして…

2022.11.16

◎いつもこれが最後になるのかな、と思って精一杯やってきた‼️
 新型コロナが流行り出して余程注意してきた。もし感染したら、どれだけ迷惑をかけることになるか、そう思うと身が打ち震えた。わたしの年齢なら命が消えるのかな、と思った。しかし、それでもいい、と覚悟はしていた。竹の会と歩んできてもうすぐ40年になる、もうそろそろいいのかな、と思うこともある。竹の会を信じて、わたしをたよりにして、竹の会に通って頑張っている子どもたちのことを思うといつも胸が締め付けられる思いだった。この子たちのために、頑張れるだけ頑張ろう、自分を叱咤激励して、全力をかけてきた。最後に、筑駒と開成を獲ったのは、わたしには望外の幸せだった。開成、筑駒合格に向けてわたしの全生活を捧げてきた。その日の指導が終わると、いつも「次の一手」を考えていた。布団に入ってもなかなか眠れない。あれこれ考える。国語の記述対策を考えて眠れない。なかなか名案が浮かばない。考えていたら夜が白んできたこともよくあった。いつのころからか、睡眠薬のお世話になるようになった。それでも効くのは寝て4時間まで、いつも朝4時、5時に目が覚めて、そのまま起きて、開成、筑駒の「手」を考えた。手の限りを尽くして、最良の教材を買った。開成合格、筑駒合格は、私の、竹の会の、一つの答えのような気がした。永い塾の仕事の最後の仕事のように思えた。だから購入した教材の費用が毎月十万円前後になっても気にしなかった。わたしには合格、しかなかった。必ず合格させられる。わたしは強い意志で揺らぐことはなかった。この時期の小6には、失望していたことは否定しない。しかし、手を抜いたことはない。わたしのレジュメについてこれない、その現実に愕然としたのは間違いない。打つ手無し‼️ 打つ手がないではないか。
 私には、開成、筑駒合格が、竹の会の最後の大仕事のように思えた。塾という仕事を始めて塾生を日本一の高校に合格させること、これは塾冥利に尽きることであった。最後にこれだけは成功させなければならない。あの時、わたしは、合格のためにのみ生きていたに違いない。そのことばかりを一途に思うばかり、不眠になってしまい、睡眠薬の助けを借りなければ眠れないまでに、私の身体を追い詰めていた。いつも思うのだが、倒れ死ぬことも考えなかったことはない、それでもわたしは敢えてそれでも構わないといつも思ってきた。父と母の最後を看取ってやれなかった。それも塾という仕事のせいだった。しかし、この道に入ったなら、それは覚悟しなければならない、ことであった。
 今はこの合格を伝えて一緒に喜んでもらえる父と母はいない。「父さん、母さん、今は新型コロナで大変です。その前にこの世からいなくなって…」、信仰に厚かった父と母には神仏のご加護があったに違いない、そう思います。 
 ご心配をおかけして…
 13日帰りの電車で、これまでとは違った喉の妙な違和感が気になって不安でした。結局深夜には、37°から39°までに。明け方になって、38°と不安定でした。14日午前9時半抗原検査陽性、川崎市から発熱外来をやっているところのリストをあげてもらって、電話することにした。かかりつけのクリニックは、発熱を断るところでした。というかほとんど断っているクリニックしか知らない。発熱外来は高齢に限るからか、最初にかけたクリニックで見てもらえることになり、保健所への届出もしてもらえた。老医師はコロナを恐る風もなく、私が「年齢には見えない、元気だ」「この歳でガタイがいい」とかしきりに感心していた。私が「若いのは、私の仕事のせいです」、「何してるの」、「塾の先生です。いつも子どもたちの相手してますから」。咳止めと喉の痛みを抑えるクスリだけもらって自宅療養する。15日は一日中38°弱、夜になって腹痛でうなされる、もらったクスリのせいかと思ったが、どうもそうではないのではと思う至り、調べたらオミクロンになって腹痛を訴える人が増えたというのを見つけた。熱と腹痛、咳で頭は朦朧としていた。なぜか、他界した父と母の姿が夢に出てきた。あのいつも優しかった母にまたお願いした。どうか助けてください、と。受検の子たちに申し訳ない、指導できないなんて、それだけで胸が締め付けられる。16日深夜も熱は高止まり、このまま熱は下がらないのではないか、次第に不安が募る。重症化という言葉が頭を過ぎる。このまま長期入院とか、考えられなかった。川崎市のなんとかというところから「抗体カクテル療法の勧め」が来た。65歳以上は高齢で特別なんだな、と行政の配慮に神妙だった。16日は朝になって腹痛が和らぎ、熱も平熱になったので、申し込むこともなかったが。ただ安心はできないけど、わたしは、夕方には熱は上がる傾向があるから。川崎市からは毎日容態を尋ねる電話がある、なんかすごいなと感心した。
 皆さまから、温かい、励ましのメールを戴いて、胸が熱くなります。コロナでお休みしてしまい、指導を休むことが身を切るように心を痛めました。もう歳なのだからと無理はすまいと思ってはきたのだが、受検の子たちの無心に頑張る姿を見ていると、無理を承知で頑張る、これは性分か、塾の仕事を妥協を許さないもの、報酬をもらってやるなら完全な仕事をする、それが塾をやる者に課せられた責務ではないか。それを指してプロと呼ぶならわたしはプロだと思う。プロとして完全な仕事ができなくなったときは、この仕事から消えるのみだ。そう心に決めてきた。プロと素人の差、それは、報酬もさることながら、「完全に責務を果たす」ことにあるのではないか。
 家人ももうそれ相応の歳なのだから自分の身体を考えて無理をしないでほしいと言ってきた。だからかつてのような朝8時から夜8時までのような日程は体力的に無理なことは自覚している。なぜそんなハードな日程にこだわってきたのか。それは私には自明であった。子どもは、「時間をかければかけるほど伸びる」ことはわかっていたからだ。これを「手をかける」とわたしはよく言う。「手をかける」とは、子どもの指導の基本である。だから「まだ小3だから」みたいな論理を言う親は、この論理を便宜多用するから、結局「手をかける」ことのないままに終わる。これは真理と思う。「まだ……だから」の思考を取る型の親は、いずれ手をかけるチャンスを逸する。間違いなく逸する。親は本気なら「手をかけて」あげなければならない。
 「手をかければ受かる」こらが受験の真理である。もちろん小学生を念頭においているが、高校受験までは、当てはまる。大学入試は、独立した主体の孤独な戦いであり、もはや誰かが手をかけるという話しではなくなる。
 もうすぐ21時です。平熱です。いつもこの時間に計る体温は絶望しかなかったけど、なにかほっとして、久しぶりに心が安らぎました。今日はたくさん仕事ができました。数百枚の英語、理科、社会のテキストをパソコンに取り込みました。次回指導からのレジュメ準備もかなりこなしました。疲れたら、すぐベッドで横になります。まだ持久力がなくすぐ疲れます。
 明日が無事迎えられますように、亡き父と母にお願いして横になります。
 皆さまと会えるのを楽しみに身体の療養を心がけていきたいと思います。
 皆さま、本当にご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
 

 

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