2020.04.27
本日から「竹の会の正体」というシリーズを書くことにしました。新型コロナに翻弄されながら、とにかく今起きている事実を冷静に直視することばかりを考えてまいりました。今は竹の会を休まれている方たちとはこのままお別れになるかもしれないなと思うこともあります。竹の会を廃業することも覚悟しなければならないのか、いずれいつか来ると思っていたことでしたが、なんとも不本意な話ではあります。朝起きて体調がよくないともうだめかと思います。思えばもう竹の会は今年の10月で35年になります。早いものですね。
竹の会の正体について、書き残しておかなければ、と思いました。わたしが倒れたらもう竹の会について語れる人はいない。竹の会とはいったいなんだったのか、思いつくままに書き留めておきたい。
⭕️竹の会の正体(1)
竹の会は、算数専門塾である。
わたしは、入試問題解答研究家であり、算数指導術の研究家、かつプロフェッショナルである。
入試問題解答研究家とは、どう意味か。
算数の問題を解くときは、必ず守らなくてはいけない条件がある。
① 算数を使って解くこと
これは算数の問題を解くのだから、算数を使うのは、当たり前なのであるから、敢えて挙げることではないのかもしれない。
しかし、算数に不慣れな大人が自分の子に算数の問題を解いてやるとき、そのほとんどが、方程式を使っているのを見ていると、算数を知らない大人がいかに多いのかがわかる。Xを使わないだけで、○とかを使っているが。
わたしは、算数で解くことにこだわる。ただ、そうはいっても出題そのものが、これはどう見ても数学だろ、というのがある。整数論の問題は、もともと高校数学で解かれてきたものである。開成は中学も高校もよく高校数学から題材を求めたと思われる問題が出されるが、こういう問題は数学、つまり文字を使うのが一番しっくりくるのであり、無理に算数的な処理をしようとすると、かえって難しくなる。本来、算数で解くべき筋合いのものではなかったのである。算数の書籍には、平気で方程式を使っているものも散見されるが、子どもたちを混乱させる害は大きい。いつか数学者のピーター・フランクルの解説した算数の本があったので喜んで買ったが、難問をどう算数的に処理しているのかなとワクワクして見たみたら、なんと方程式で解いているではないか。x使ってるじゃないか。えっ、いいの! これは反則でしょ。
わたしの楽しみは、難問と言われる算数のセンスのいい解答を発見することである。実は、わたしは解き方が解く度に変わる。困り果てて数学の色が少し入る。しかし、確かに解けたとしても、わたしには甚だ不本意なわけである。だから改めて解く。とにかく算数で解けないか、苦心する。いいアイデアを発見したときの喜びは一入である。
閑話休題
なぜ理解できないのか、なぜ読解できないのか
それははっきりとしている。
理解のモデルがないからである。人は理解しようとするとき、自分の中の何某かのモデルを持っていて、それに照らし合わせて理解するということを無意識のうちにやっている。子どもたちにはそもそもの経験値というものがないに等しいので、未知の知識に対する免疫というものがないのである。
わたしは、子どもたちに「どうしたら割合という概念を理解させられるのか」という問題意識を現場にぶっつけて理解のためのモデル作りに没頭してきた。目が覚めると考えていた。アイデアを思いつくとすぐにメモして、そこから具体的にあれこれ考え、まとまってくると、パソコンに向かい、創作してきた。それはそれは長いトンネルであった。苦悩という言葉があるが、その頃のわたしには見えない未来にもがいていたのである。ようやくわたしは割合の理解モデルを描くことができた今、わたしのやってきたことが、決して無駄ではなかったことを子どもたちの脳内に理解のモデルが形成されるのを見る度に痛感する。よかったと思う。
話しを転じて、国語の読解の話しをしてみよう。
よく国語ができない、文章を読み取れない、という子がいる。当たり前である。そもそも読解モデルがないに等しいのだから、読解などできるわけがないのである。子どもは読解モデル云々の前に、まず言葉が絶対的に足りない。とにかく語彙を増やすことが先決問題である。漢検もその文脈で考えたらいい。とにかく幅広く学ぶことである。竹の会の教養シリーズ、教養のための理科、教養の社会、読解の素、読解の素の素、日本の歴史、理科クリア、社会クリア、作文、みんなそういう問題意識から生まれたシリーズである。
わたしは、読解モデルを子どもたちの中になんとか作りあげたい。いやそのためにはどうすればいいのか、いいアイデアはないか、読解モデルを子どもたちの中に作るにはどうしたらいいのか、いつも考えてきた。算数とは違う、また違う何かがある。
私ごとではあるが、わたしは読解の壁を高校の時、突破したように思う。何を思ったか、わたしは毎日欠かさず高校現代国語の教科書を1単元、一日音読した。まずゆっくり読む。小林秀雄や丸山眞男といった文章の達人の書いた文である。意味はなかなか頭に入ってこない。いちいち辞書は引かない。漢籍を読む気分である。意味もわからないのに読む。2回目、少しわかるところも出てくる。3回目、少し読むのが速くなる。4回目、かなり流暢に読める。5回目さらにスピードを上げて読む。もう般若心経を読むほどの速さだ。6回目、奇跡が起きた! 読むのと同時に意味が頭に入ってくる。これは同時通訳だ。7回目、超速である。読む速さと意味理解の速さがほぼ同じ。8回目、もう嬉しくなる。丸山眞男の文章が吸い取り紙なように頭に吸い込まれていく。9回目、さらにスピードをあげる。十回目、読み終えて、そのままダウン。精魂疲れ果てた。
わたしはこれを毎日続けた。高3の全県模試、担任が結果を返すとき、わたしの顔を見直した。なに、現国が全県3位、嘘だろ、と顔に書いてある。わたしは、大学受験で国語はろくに勉強してないのに、なぜか点が良かった。なぜ国語ができるの? わからない。ただわたしが心当たりのあるのがあの音読しかない。
わたしは、自分の方法を勧める気はない。いやもっと何か方法はないのかと日々考えている。
でも必ずその方法は見つかるとわたしは信じている。
(2) 算数の指導体系を作り上げたこと
かつてのわたしは首都圏の過去問をひたすら解くことだけに燃えていた。もともとが数学が得意であったため、どうしてもその解法に数学の色が見え隠れした。平成元年の頃、わたしは小学生に算数を解くのに数学を教えたことがある。しかし、数学をわかる子は元々の知能の高い子に限られた。大半の子は、正負の概念、文字の概念に、絶望的な拒絶反応を示した。脳が夷狄として受けつけなかった。わたしが本格的に算数の研究に取り組み始めたのは、平成15年に遡る。当時の公立の小学生が何人かきた。それで計算やら割合やらを教えてみたが、ほとんどが拒絶反応を示した。通分さえもわからない子ばかりであった。それでわたしはいろいろと教材を創作しては試していた。ただその頃はまだそんなに本気ではなかった。わたしを本気にさせたのは、公立中高一貫校制度がスタートして一年、平成18 年の4月、一人の小6が父親に連れられてやってきたことだった。区立九段中学受検の子であった。その頃は、まだレジュメと言ってもいろいろと試作したものばかりで未完成品ばかりであった。まだ制度開始から1年で、過去問も少なくそれはそれはのんびりとしたものであった。ところが11倍の難関を突破した。19年に九段に合格すると、たちまち小6が集まった。驚いたのは、通分もまともにできない小6が多数いたこと、ましてや割合となるともうまともに理解できる子はほとんどいなかった。わたしはこれは大変だと思った。公立小というのはいったい何を教えているのか、いや中学受験をめざす子たちでも大手進学塾に通いできるはずなのにまるでだめな子ばかりではないか。
わたしは初めて真剣に算数指導について向き合うこととなった。計算マスター法、特に逆算の指導法、そして本題の割合指導法の研究に没頭した。子どもたちにどうしたら理解させられるか、理解モデルの研究にそれこそ不眠不休で勤しんだ。鞄にはいつも開成中などの過去問を持ち歩き、隙間時間さえあれば解いた。算数の解にこだわってあれこれといい解法はないかと頭を巡らせた。深夜に及びなかなかいい解決法が思いつかないままに布団に入る。朝目覚めるとたいてい解けていた。頭に浮かんだアイデアをすかさず枕元のメモ帳に書き留める。それからまた安心したのか眠りに落ちる。起きるとすぐパソコンに向かいレジュメにまとめた。これを今度は指導で試してみる。子どもたちの反応を見る。こういうことをわたしは平成19年から23年ごろまでやっていた。その五年間で作りあげたレジュメは膨大な量に達した。今みなさんの使っているレジュメの原型はみなその当時にわたしが苦心して作っていったものです。23年指導の比較的算数の得意な子たちが、ある時、感動して言った。「先生、あのミクロマクロのレジュメは良かったですね。あれで割合がわかりました」「あれはすごい!僕もあれでわかった」と口々に言うのです。わたしは、「どれ、どのレジュメ」と聞き返す。様々なレジュメの中の一つとして、それはあった。わたしのアイデアの一つであった。「あれか」。「よし」。わたしはその日帰るとすぐパソコンを開き、目当てのファイルを開くと、わたしは、すぐに、ミクロマクロによる新作を夢中で書き始めた。もうとにかくミクロマクロを一冊書き上げた。「やっと辿りついた」「やっとできた。これで公立小の子どもたちを救うことができる」。わたしはようやくとにかく一里塚に達した。この年、算数に開眼したという子は残念ながら両国を落ちた。懇願されて高校受験の指導をした。都立戸山に合格。そして今年、彼は、一橋大学社会学部に合格した。
竹の会算数の前夜の出来事でした。
それから、わたしの算数研究は驚異的な進化を成し遂げた。わたしは様々な算数のアイデアを具体化していった。また解法の研究も進み、わたしは算数の様々な解法を発見し、作り、工夫を重ねて、さらに磨きをかけ、子どもたちに指導を重ねて、解法を単純化していくことに喜びを覚えるようになった。
わたしは算数をわかりかけている。算数の正体をそろそろわかってきた。難問と言われる問題を解くたびに、算数の何たるかがわかってきた。
子どもたちにわたしは算数の面白さをわかってもらいたい。算数はすごい。思考力がこれほど深められる科目って、ほかにあるだろうか。
わたしは竹の会を通して、算数の面白さを伝えたい。
竹の会の正体、少しわかっていただけたでしょうか。