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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷高校、開成、筑駒受験 の研究  

2021.12.14

 

都立日比谷高校、開成、筑駒受験 の研究

 2003年度まで、渋谷区は、21グループ、22グループに属し、格上の21グループのトップが、都立戸山であった。21グループの序列は戸山、青山、駒場、新宿、都立大附属、広尾、目黒の順であった。今は、目黒と広尾が逆転したけど、昔は目黒が上だった。22グループのトップは、松原、千歳と続いた。

 ※渋谷区は第2学区に属し、ほかに新宿区、目黒区、世田谷区が含まれていた。1993年度までは、自分が住んでいる学区内の都立高校しか受験できなかった。1994年度からは、20%の枠で隣接学区から受験することも認められた。
 つまり、日比谷、西は受けられなかった。その後、1994年隣接区の特例ができて、隣接するグループの都立は一定の条件を満たせば受けられるようになったが、さらに平成15(2003)年学区制が全廃となり、都内に在住すればどの都立で受けられるようになった。
 平成15年頃、公立中学の学力低下は少子化と相俟って竹の会にも落ちこぼればかりがきた。都立高校の凋落も甚だしくもはや高校受験を指導することに情熱を失った、わたしは、平成17年公立中高一貫校への転換を余儀なくされていた。なぜかこの頃小学生ばかりが集まり、それで小学生指導に対してさまざまなレジュメを試験的に作成しては使ってみた。
 高校受験については、そのほとんどが小学から見てきた子の延長として見ることになった。
 平成17年には、20年都立西豊島岡女子に受かることになる中1の指導が始まった、この子は小6の4月に入会した子であった。この年には、もう一人東大に合格することになる中1男子の指導もした。平成17年はこの生徒たちのために、これまでの竹の会の資料をすべてレジュメ化する仕事に着手した年でもあった。
 落ちこぼれ、学習不振児の指導に疲れたわたしは潔く高校入試のための生徒を募集することをやめた。その後はそのほとんどが、小学からの継続指導であったと思う。辛うじて高校受験の指導を細々と続けていた。
 平成18年4月渋谷区の幡代小の6年生がやってきた。昔の草枕を読みこんだ父親の強い入会申込であった。翌年初めての公立中高一貫校受検を成功させた。なんと11倍の難関であった。

 竹の会には昔から難関校を受けようと入会してくる生徒はいない。最初は普通の子ばかりである。難関校を受けようとする子は竹の会などに最初からこないだろう。知名度なしの個人塾に来る、天才などいない。みんな迷わず大手進学塾に行くだろう。竹の会では、昔からたまに学校の優等生、まあ学年で1〜3番かな、最初からできた子、次第に学力をつけてそうなった子、といますが、そういう子の中に、竹の会では、日比谷とか、早慶とか、開成とかには合格できないと親子で判断して竹の会を中2の1月あたりにやめていく子が昔からいました。大手に行くわけです。
 竹の会がわかってないですね。竹の会で成功するのは、竹の会を信頼した人だけです。昔は大手塾に通いながら竹の会にも来るという子たちもよくいました。これとて竹の会を信頼してないわけです。竹の会に全面的に預けることができないわけですから。
 平成10年早稲田実業高校に合格した鈴木君は、小学時代3年間日能研に在籍しました。日能研止めて小6の11月から竹の会にきたのかな。志望の慶應はダメで、竹の会で高校入試をやることになった。竹の会とともに中学3年間を過ごし、早稲田実業に合格後も早稲田大学に入るまで竹の会に通いました。
平成14年慶應大学に合格したTさんは、中1から竹の会にいました。彼女は、同時にサピックスに通っていました。中1の頃はサピでトップクラスでした。しかし、中3の10月サピで落ちこぼれ、11月から竹の会で引き受けました。実は彼女は中1からサピの補充で竹の会に通っていたのです。もともと素地があったので、わたしの指導で、とにかく青山学院高等部に合格させました。これで終わりと思っていたのですが、母親から高校でも見てくれと懇請されて、あまりにも熱心さに断れずに、引き受けることになったのでした。英語と数学を見た。英語は3科目、数学は2、3科目あったかな。彼女は、そのすべてを3年間10段階評価の10でした。
 大学入試は、お茶の水志望でした。しかし、附属高校(青学)は受験勉強にはとにかく妨害ばかりです。センターが取りきれず、慶應受験に切り替えた。最初日本史を選択したが、浪人生の強い日本史を避けて数学で受験するように指導しました。結果、慶應大学総合政策と上智大学経済学部になんとか現役合格しました。青学では、慶應や早稲田を目指して河合塾など大手に通う生徒が複数いましたが、結局受かったのは、彼女一人だけでした。彼女は竹の会に通っていたことを学校には隠していたので、彼女は塾、予備校に行かないで、受かったということで青学でも評判になったそうです。彼女のお母さんは、余程恩義に感じたのか、彼女が大学の4年間毎冬クリスマスの頃、私にと彼女にワインを届けさせました。彼女は、大手新聞社に入り、記者として活躍しています。
 竹の会をダメだと見限って大手に行った人たちと竹の会を信頼して竹の会にかけた人たちがいた。
 竹の会を浅い見識でダメだと見限る親と子をわたしは、去る者は追わずの態度で処しました。いくら竹の会の本当の凄さを説いても意味のないことです。信じない者に用はありません。
 よく大手に行く親子をわたしは何もわかっていないな、とは思いました。
 大手がすごい? わかっていないですね。大手に集まった天才と言われる人たち、大手の用意した同じテキストを使って、同じ授業を受けて、差が出ますか。出る差は能力差でしかないでしょ。そもそも大手のテキストはネタが割れている。わたしは早稲アカ、河合塾、サピ、その他の大手と言われる塾、予備校のテキスト類を少しカネを使って集めてみました。そして仔細に中身を調べたのです。アホらしい。全て過去問から作られていた。過去問のアレンジと焼き直しでした。オリジナル性はない。ただし、高校受験に限っての話しです。過去問なら竹の会には、昭和の頃から首都圏のほとんどの中学、高校のものが揃っている。
 それにしても、天才諸君が、大手塾で、同じ過去問ネタのテキストで授業を受けて、その天才諸君の差別化、序列化はどうなるのか、考えて見ればわかる、能力差しかない。
 わたしなら、竹の会なら、この天才諸君の序列を簡単に破壊できるであろう。まず過去問ネタの教材なんかやってればろくなことはない。高校受験というのは、大学受験の縮図のようなものです。わたしなら大手クラスの天才なら駿台模試全国1位を取らせることなんか造作もない。これまで「やっぱり大手」と竹の会を見限って去って行った親子は竹の会をわかっていない。月並みな、その辺にごろごろいる、ただの人たちでした。
 難関校受験は、大手のやり方では、どんぐりの背比べを演出するに過ぎない。もともとの天才の能力差を浮き彫りにするだけである。なにしろ同じ過去問ネタの教材を同じ授業、同じ講師でやるわけですから。
 さてそれなら竹の会はどうやるのか、そんなことを話すわけがない。

難関開成、筑駒のための英語決定版!!
 「英語徹底解析」
  平成4年発刊「英文法徹底解析」大学入試のための英語を基に作成します。手書きテキストとして発行され、ほとんど使われることなく、眠っていた教材を新たに、難関高校を視野に、ワードで、換骨奪胎、新視点から、書き改めることにした。
 有名大学入試に必須の英語文法を網羅していた旧版から、核となるものを抽出し、高校受験用に仕上げることとした。もともと原仙作の「英文法標準問題精講」を基本に、さまざまな参考書から書き足し、完全網羅したものでしたが、なにせ手書きかつ筆記体で、大学ノートに書いたものをそのままテキストにしたため、筆記体を読めない者もいて、筆記体特有の一覧性のなさもあり、ほとんどつかわれることもなかった。
 この度、難関高校用として、ワード版を執筆することにしたのは、これは使えると判断したからである。
 高校入試用として、削ぎ落とした知識の核を整理し切りたい。
 既にある平成12年発刊の高校英語概論と並んで竹の会難関高校受験の切り札となることであろう。

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「英文法徹底解析」    「はしがき」

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筆記体で書かれた内容

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「高校英語概論」

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