2022.01.01
釣りは鮒に始まり鮒に終わる‼️
中学3年生の頃、どこだったか忘れたが、大分県のどこかの山奥の池だった。級友のHと鮒釣りに行ったことがある。中々釣れないので、裸になって池で泳ぎバシャバシャやってたら、いないと思ってた人がいて、すごく叱られた。確か、その人は、自分はどこそこかの校長だとか言っていた。シュンとなってそれからはひっそりと釣りをしていたら、その校長先生が、帰りに、ビクにいっぱい釣っていた鮒を全部くれた。Hは体も大きくクラスのボスみたいな奴だったが、「あべ、おまえが持って帰れ」と言って全部くれた。Hは鶴高に野球で入り、卒業するとヤクルトに入団した。新聞に契約金500万円と、写真入りで載ったかな。
この時かな、その校長先生が、釣りは鮒に始まり鮒に終わる、と言ったような気がする。鮒というのは、釣るのが難しい。グイと引いたとき、それに合わせて引くと必ずと言って釣れてない。合わせが難しいのだ。あと物音に敏感に反応するので、木にでもなったつもりで無心でいなければならない。かつて「釣りキチ三平」という漫画でいろいろ学んだが、そこに鮒釣りの蘊蓄としても語られていた。
いやこれから釣りの奥義を話すわけではない。そもそもわたしは釣りは素人だ。
私が、言いたかったのは、竹の会の終わりは、高校入試で締めくくりたい、ということである。しかも、駿台模試で全国一位を取る子を育てたい。それが最後の私の、竹の会での仕事のような気がする。それは、今の私ならそういう子を育てられる、そう思うからである。
私は、部活を口実に勉強しない子をみることにはもううんざりしている。そういう子が独自校に受かることはないからである。口実を言う子は相手にしたくない。そういう子は腐るほど見てきた。皆都立には行けなかった。常に勉強最優先の姿勢を崩さず、わたしの指示に素直にしたがう子を、そういう子だけを、独自校の合格まで道案内したい。
竹の会を終わるときは、高校入試を思うように指導してわたしの最後としたい。
高校入試は、難しい。それは思春期にある子たちが、勉強に、専念することが難しいからである。ある者は、部活で汗を流し、1日を終わる。勉強はと言えば、何もしないで、ただ疲れて寝るだけである。時間があっても今更勉強してもとテレビ、ゲームに興じる。親の手前、塾に行って、勉強してる体裁だけ整えて、毎日を無為に消費する。そのつけは近い未来に必ず払うときが来る。しかし、その時は、既に遅い。あなたたちが、下級国民社会に属してから、社会の底辺を徘徊するようになってから、現実を知るとき、あなたはようやく悟る。未来のあなたが、過去を思い返すとき、部活に青春を燃やしたこと、家族行事を口実に勉強を回避してきたこと、そういうことが、今のあなたにいい結果をもたらすほどに、いい経験となっていたでしょうか。
わたしは、昭和60年の10月に竹の会を開設しました。その時、中2の子たちがきたのは、たまたまでした。たまたま代々木中2年の名簿をもらった、それでガリ版刷りの手書きハガキを出しました。そしたら3名の女子のお母さんたちが来てくれた。
わたしは、教材も何もないところから、授業を回して行きました。その子たちが、都立駒場、都立目黒、國學院久我山に合格し、他にいた一期生たちも、青山学院高等部、都立大附属、日大櫻丘などに合格したのです。東京で初めての高校入試は思いのほかの成功でした。わたしは高校入試から始めて、中学入試、大学入試にも携わってきました。公立中高一貫校に携わったのは平成18年のこと。翌年2月には、3人いた小6が全員合格してしまったのです。一人は九段に、二人は東大附属でした。竹の会は、公立中高一貫校にシフトを変え、高校入試は、小学生からいた子が、一人二人いる程度でした。少子化で、昔のように、大手嫌いな秀才が竹の会を訪ねて来ることはもうなくなった。学習不振児をみるのは、もういいかな、それより勉強熱心な小学生をみたい。そういう子が都立中に失敗したとき、独自校に行けそうな子がたまにいる。27年28年戸山に合格した子たちがまさにそうでした。26年に駒場に合格した女子だって、受験はしなかったが、小4から竹の会にいた子でした。もう中学から秀才が来てくれることはない。だから竹の会の高校入試は、都立中に失敗した子たちがそのまま竹の会に残る、そういうケースがほとんどでした。ほとんどというのは、もちろんそうでない子たちもいたということですが、実は、中学から初めて竹の会に来た子たちが高校入試で成功した例は平成20年以降は記憶にあるのは、23年都立高専、24年都立富士、25年都立北園があるだけです。もっとも25年の北園合格の女子は、小6まで竹の会にいて郁文館中学に進学した子でした。郁文館では3年間オール5で常に学年1番だった。20年以降都立に失敗したのは3名です。それぞれに理由があります。1名は部活優先で勝機を潰した、1名は秘密主義で指導ができなかった、そして1名は不合格の理由が論理的に説明できませんでした。いずれも内申はそれなりにあったのです。いずれも原因はわたしのコントロールできないところにいたように思います。
平成10年に早実高校に合格した鈴木君が、渋谷教室を訪問してくれた。彼は、高校入試の竹の会しか知らない。彼のいた頃の竹の会はほとんどが中学生で占められていた時代です。小学生なんかいても数人。だから今のように小学生が軸の竹の会が信じられない光景に見えたのだと思います。「先生、もったいないですね」と彼は竹の会の高校入試のノウハウを惜しがった。私の心に一抹の寂しさがあったのは、確かでした。
細々と、一人、二人いる中学生をなんとか受からせる。区立中学というのは、区立小から受験しない組、受験落ち組が、流れこむ。8割がものにならない。残りの2割の子らが良質な都立を目指して勉強する。日比谷クラスだと学年1番でもわからない。区立中学の較差が大きいからだ。学年で5番以内にあることが、そうした都立に行ける最低条件ということになろうか。竹の会でもほとんどの中学生は、部活で潰れてたいてい中1の終わる頃にはいなくなる。だから竹の会には、中3受験生は、多くて2人、普通は1人、時には0ということもある。中学生が潰れるのは十中八九「怠惰」です。モチベーションが急低下するのです。
私が高校入試をやりたくないのはそういうモチベーションの低い中学生が区立には溢れているからです。
竹の会の終わりは、高校入試で締めくくりたい。しかし、怠惰な区立中学生とは関わりたくないですね。
わたしのやり残した最後の仕事、それは、開成高校、筑駒高校、駿台模試全国一位の輩出です。日比谷は後から付いてくるものです。そもそも日比谷を第一志望にする子は、限界があります。日比谷に入ってから伸びない。日比谷には落ちこぼれが多数いると見ていいでしょう。あの開成高校にしても大量の落ちこぼれがいると開成高校出身者の声を読んだことがあります。
戸山に入ったから大喜びというわけにはいかないのです。竹の会では、高校で伸びる指導をしてきたつもりです。竹の会の桜修館合格者には学年トップクラスが多いのです。
私は合格後、入学後を見据えています。日比谷に入っても学年1番を取れるような指導をしています。難関校合格の指導法については、わたしもよく考えて参りました。竹の会のような、個人塾には、なかなか大手に集まるような天才は来てくれません。だからわたしが天才に私の方法を試す機会はほとんどありません。唯一あるのは、都立中に実力はありながら何かの理由で落ちた、そういう子が、高校入試をする場合です。
私は大手のやり方、特に、首都圏では、早稲アカとか、サピ、Z会のような有名進学塾のやり方には些か疑問を感じてました。
簡単なことです。例えば、天才が10人いたとする。その10人が、同じ大手で、同じ過去問由来のテキストを使い、同じ講師の授業を受けたとする。それで差がつくとしたら、もともとの才能の差でしょ。10番の人が、1番に追いつくことは99%ない。これが大手の限界なんです。かつて早稲田実業高校に合格した鈴木君は、渋谷の日能研に小4から小6の11月頃まで通っていました。3クラスあったのですが、彼は入塾のとき2番目のクラスの席順は真ん中あたりでした。因みに、ご存知のように、大手は、クラスも席順も成績順に決められます。彼は小6になってもほぼ同じ席で、周りの塾生もほとんど同じメンバーだったそうです。クラスを上がるという人もいたにはいたようですが、それは全体から見ればほとんどないに等しいいうことでした。春の講習、通常授業、夏の講習、冬の講習といつも同じメンバーです。いいですか。これで順位が移動するとしたら、怠けた者が、下がるという移動しかない。この事実は、大手の限界を如実に示していたのです。大手のやっていることは、もともとの能力、生の、生来持ち合わせた能力の差を確定的に示すことです。だからもともとの天才がいいところに受かるしかないのです。頑張ってどうかなることではないのです。あなたたちが死に物狂いで頑張ったとしても、天才も、もしかしたら全集中で頑張っているはずです。そして天才の集中は、凡人の頑張るとは、質も伸びも違うということです。
多くの親たちは、家庭でも親がつきっきりで教えて、家庭教師をつけて、補習のための塾にも入れてと、カネとエネルギーをかけますが、これはすべて中レベルの人たちのやってることです。天才じゃない。しかし、秀才ではある。このレベルでは、こういう頑張りをしたら数%はなんとか入れるというゾーンがある。しかし、仮に入っても落ちこぼれになる可能性を秘めている。こういう層のほとんどは、第二志望、第三志望に入る。90%は第二志望以下に吸い込まれる。こういう層こそ大手にはお客さんなんです。塾の用意したあらゆる特別講座には申し込んでくれるし、とにかくおカネをかけてくれる。これが大手のカラクリです。
私は私立中学受験は、立教池袋、國學院久我山、吉祥女子、東洋英和、慶應藤沢などに合格させていますが、とにかく生徒が来ないから、生徒がいないから仕方ない。だからそれほど研究というものはしてこなかった。しかし、私の開発した方法で、例えば、平成31年に桜修館に合格した男子は、巣鴨、攻玉社に算数選抜で、3名の枠を突破している。彼は桜修館入学後の成績もトップ層にいると聞いている。竹の会の、私の、算数指導体系が、この合格で、高度の水準にあったことを証明したかたちになっているが、このような高度な算数力を持った子たちが、入学後、トップ層にあるのは、必然のことであったかもしれない。
竹の会は、地元密着型の個人塾であったから、地元の中学、主として、代々木中学と上原中学の生徒が、集まった。そうなると、できる子たちばかりを相手にしているわけにはいかない。だから様々な子どもを見てきた。自ずと選ばれる都立も決まってくる。都立青山、都立新宿、都立駒場が、竹の会のできる子どもたちの進学先として落ち着くところだった。なぜか、戸山は人気がなかった。昔の戸山もそうであったが、今の日比谷や西は、明らかに難関私立、国立の併願校化している。
都立にも推薦合格はある。これは、新宿高校の説明会で聞いた話しであるが、推薦合格者の入学後の成績は、総じて芳しくない。落ちこぼれが多いと聞いている。この事情は、日比谷、西でも変わらないであろう。推薦合格者は、内申点と偏差値の乖離があり過ぎる。つまり、推薦合格者の大半は、一般入試では受からない生徒ばかりである。これらの生徒が落ちこぼれるのは当たり前の話しである。
わたしが、天才と言われる子を指導する機会はほとんどない。日比谷に行きたい、とやってくる子は、たいていはものにならない。
例外なく部活を始め部活に流され勉強を忘れてしまう。日比谷に入りたいというモチベーションもいつしか霧散霧消してしまう。中にはモチベーションだけはあるかに見えて、行動は、部活最優先で、7日の5日は部活、2日だけ特に塾のために部活を犠牲にしていると言われて、志望校は日比谷と言われても、はい、そうですか、と言うしかない。これで本気で日比谷に入れると思っているのかしら、と疑うが親はかなり真剣であった。
いいですか。日比谷というのは、日比谷第一志望でくる人は少数派です。みな筑駒とかの国立、開成、その他の難関私立を第一志望にする実力者ばかりなんです。
日比谷を第一志望にしてやっても、そういうライバルたちに本当に勝てると思っているのだろうか。
ましてや、学校のカリキュラムに合わせて勉強するなんてありえない。そんなことしてたら、成績が取れるのは、中2まで、中3になったら、途端に、数学が解けない、英語ができない、理科、社会も点にならない、ということになるのは、目に見えている。
これで「塾が悪かった」と言われるのが、自分都合人間のお決まりの思考回路である。
中学に入ると、中3の12月には、最終内申が決まる。中3の7月からV模擬が、毎月1回実施される。出題範囲は、中学のほぼ全範囲である。都立共通問題と独自問題のレベル差は天と地の差がある。さらに難関私立の難度は、都立の比ではない。
V模擬の開始時期の7月の前月6月には、入試レベルに達していなければならない、というのはわかるであろう。しかし、日比谷クラスになると、遅くとも中2の夏休みまでには、日比谷レベルに達していないと厳しい。
多くの親子の誤解
中2までは、学校の授業について行ってれば、内申も高評価が取れる。だから学校の授業の進度に合わせて勉強していれば、内申も5を揃えるのはそれほど困難なことではない。だから、成績がいいと親も子も安心して、日比谷に行きたいなどと能天気なことを平気で言う。
しかし、中3の4月から6月の3か月で、日比谷レベルの学力をつけることなど不可能である。第一、中3で習う数学は、かつては高校で履修していた事項がかなりある。中2までのように教科書と授業をこなしていれば内申をもらえるという構造にはなっていない。6月に英語長文を読解して問いに答えられるか。それはない。日比谷の英文、慶應の英文を読んで見ればいい。センター試験並の英文である。
トップ都立の入試というのは、とにかく早く、しかも前倒しで進めて行かなければならない。私の経験では、小6の2月開始が、ギリギリのところかと思う。
家庭学習時間は、一日5時間は譲れない。3時間では、緩やかに落ちていくというか、3時間では私の考えているメニューはこなせないであろう。
センター試験レベルの英語の長文を短時間で読み解く力である。
開成高校レベルの数学を100点取れる力である。
大学入試で扱われる現代文を読み解く力である。
開成高校レベルの理科を80点以上を常に取る力である。
開成高校レベルの社会を常に75点以上取る力である。
開成も筑駒も社会がなかなか難しい。
日比谷なんぞは、開成クラスを想定して勉強していれば、独自問題でも、平均90点以上取ることができるようになる。つまり、日比谷を受けるからと日比谷レベルの練習をしても日比谷に受かるかわからないということだ。
だから、「日比谷にいきた」という人が、内申重視の勉強して、つまり学校のテストで90点以上取るために、授業を重視して、学校の課題、宿題を優先させて、学校の教科書に即して、勉強するのは、確実に、破滅する道を進んでいる、ということだ。
昔からよくある例は、中2まで学年1番、内申はほとんど5、これは特に、女子に多かったが、当然のように「日比谷に行きたい」と推薦を受ける。これで合格すれば問題ないが、そういう生徒の8割が、内申はいいけれど、偏差値は相当低いということである。一般で受ければ、都立目黒くらいにまで下げなければならない子がほとんどではなかったでしょうか。実際、推薦落ちて、かなり格下の都立に行った生徒がたくさんいた。
仮に推薦合格しても、偏差値の低い、この生徒群は、確実に、落ちこぼれ予備軍である。独自校では、推薦合格者が、落ちこぼれ要員であることはこの事情による。
竹の会でも、平成27年都立戸山に合格した男子は、中野の学年数160名くらいの中学であったが、彼は学年4、5番にまで上がっていた。都立戸山を受けた生徒は彼を含めて4人いたが、そうして3人はエナや早稲アカに中1から通っていたのだが、結局全員落ちた。他にも日比谷を受けた子もいたようだが落ちた。戸山命で早稲アカに通っていた子はその落ち込みようは悲惨であったと聞く。
エナの生徒たちはよくエナの特別テキストとやらをこれ見よがしに見せながら、もう合格確実なような顔をして笑いながら談笑していたと聞く。
竹の会には、そんな特別と見せかけたテキストなんかはないが、わたしの選別眼が選び抜いた、地味な教材をわたしの指導を交えて提供しただけである。もちろん無償である。合格に必要な教材なら無償でも提供して、塾の責を果たすのが優先されるべきだと考える。
実は、平成27年、28年戸山合格者の指導は、中々前倒しというわけにはいかなかった。中2の夏あたりからようやく中3履修事項の指導に入れたのではなかったか。内申を心配しながらやるから、定期試験のたびに、指導は中断した、中3後半、英語が時間内に解ききれないとか、国語の得点が伸びないとか、その度に、心を砕いて、解決してきた。あの時に心から思ったことは、中2の夏からでは間に合わない、ということであった。かつて早実高校に合格させたときは、私の得意とする過去問合格法によったが、中2の12月開始で間に合った。しかし、わたしは、日比谷の数学を時間内に解き、日比谷の英語を余裕をもって解くには、スタートは、せめて中2前半、理想を言えば、中1の冬期前にしたい、と切実に思っている。あの英語、数学を50分という制限で8割以上解くには、そうなる。
とすれば、中1の12月をめどに中3の少なくとも数学と英語は終わらせていなければなるまい。
これには、都合2つの前提となる条件がある。
① 才能が必要であること
② 中3までの履修事項を効率よく体系化した教材を使うこと
才能とは、知能を含めて、精神年齢、意志力、自立した精神などを含めて用いている。
教材は、特に、大手進学塾の売りである。かつて大手はテキストで商売しているほどに自らのテキストを価値あるものとして喧伝していたが、近年の私はその底を見た、見切ったと思う。
受験対策というものが、過去問に始まり過去問に終わる、ということは、すべての受験対策の共通の鉄則である。
高校入試
開成、筑駒の対策に見る大手進学塾のやりかた
過去問をデータベース化して、難易度、テーマ別に問題を、組み替えて編集し、教材化したものを季節講習の特別教材として使うことで、特別化を図った。これには、かなりの投資が必要である。もちろん高い教材費として回収は怠らない。
一見、素晴らしい対策に見える。かつてはわたしも「これは敵わない」と思ったものである。しかし、長い間、高校入試に携わって、私なりに過去問を軸に指導してきて、過去問に内在する壁、限界を経験してきて、長年、もしかしたらという方法を試してみて、この壁を突き破る方法を研究してきた。特に、開成クラスを受ける天才になら使えるが、都立青山クラスの受験生では咀嚼してもらえないことを確かめた。能力的には遜色ない場合でも、後者では、部活による時間の浪費が激しく、また内申のためのテスト勉強、学校の手伝いなどによる時間の無駄もあり、最初から戦いにならないのだ。必ず私の与えた指示は、流されて、無為に終わる。こうなると都立戸山や青山程度の英語でも点を取るのに苦労する始末であった。
私が壁の存在を意識したきっかけは、大学入試の指導に携わったことで、高校入試の対策と何かにつけて比較できたことが大きい。高校入試の数学は、大学入試の数学に比べて、限られた空間の中で特殊化している。このことは比較的対策が容易であることを教えている。例えば、開成の数学で100点取ることも可能である。高校入試は大学入試から見れば、縮図である。比喩的に言えば、1万分の1の縮図と2.5万分の1の縮図では、見える部分に大きな差がある。大学入試の英語は高校入試の英語と連続的である。ここに高校入試の難関英語の攻略のヒントがある。
大手の過去問を使った教材は、この連続を分断するものであり、天才たちは、大手そのものが持つ内在的制約により、その芽を矯められる。つまり、同じ教材、同じレベルの講師、同じ授業を受ければその差別化は、もともとの個人のもって生まれた天分しかない。
大手では、天才の中には、挫折する者も多数出てくる、はずである。
竹の会は、中学3年分の英語、数学を1年で終わらせる教材を完成させていた‼️
それには、竹の会のレジュメ制作が大きく寄与していた。効率よく学べるシステムがいつの間にかできていた。特に、英語については、開設当初からテキストの制作に取り組んできたが、その集大成としての「新英語指導案」「入試英語指導案」が、6か月〜1年で、英語を受験水準にすることを可能にした。「新英語指導案」は、90ページほどのテキストであるが、英語の必須事項をほぼ網羅している。これには、200ページほどのレジュメ形式による、詳細な解説解答集が用意されており、これを活用すれば、平均3か月で、中学英語をまずは受験レベルに引き上げることが可能である。かつての共通問題時代の都立英語では、これだけで上位都立に合格した者が続出していた。「入試英語指導案」は、國學院久我山の入試では、90%取れたと27年戸山合格者は言っていた。つまり、これを理解できる者が、受験して、その中からほとんど同様の問題が80%出た。ただし、開成クラスでは、不足ははっきりしていた。
開成クラスの英語で、9割取るには、どうしたらいいか。
詳細は語るまい。ただわたしには、大学入試の英語を指導した経験があり、大学入試は、英語の宝庫であることは知っておいた方がいい。
高校入試で成功するには‼️
難解な英語読解文をこなせるようになるには、効率よく中学英語を短期間に終わらせることがまず第一歩となる。難解な国語読解文をこなせるようになるにはセンター試験レベルの読解文を読みこなせるほどに国語を磨くことである。高校入試という狭い世界でしか存在し得ない数学を極めるには、大学入試なような大仰な勉強はいらない。要は、手順である。効率よく学ぶ手順である。高校入試の塾というと、教室、講師、テキスト、授業を観念する、古い頭の親がほとんどだろう。子もその古いシステムに甘んじて、中には嬉々として通うバカも多い。
そんなことやってるから、大手の用意した枠の中から抜けられないのだ。大手の作ったシステムによる序列化に取り込まれて、落ちこぼれ成績停滞前線を形成し、お客様として、よくて第三志望、もしくは単願推薦が落ちとなるのだ。
竹の会は、都立中学受験にしても、高校受験にしても、独自の手順で、序列化の悪魔から無縁の世界で、都立中なら早稲田進学会模試の成績優秀者に名前を載せ、高校受験ならV模擬S判定を取り、駿台模試で…。かつて平成10年に早稲田実業高校に合格した鈴木君は当時竹の会が団体受験参加していた代々木ゼミナールの模試で、全国順位200番内を取り、代ゼミの冊子に名前が掲載されて、全国配布されたものであった。そういえば竹の会は昔からそういうエピソードには事欠かない。
竹の会独自の手順指導が昔からなされていたことを改めて知ることになった。
こう見てくると、指導とは、手順にしたがった、効率のいい、ゴールまで導く、技術にほかならない。学科の指導は、手順指導の一部でしかない。
高校入試に回帰する日は近い。