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顕著な、最近の小学生の傾向

2024.06.02

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顕著な、最近の小学生の傾向
 精神年齢が幼い小学生が目立つようになった。いや保育園児なのかもと思うことがある。特に、竹の会の入会試験で、最近、奇異なことが目立つようになった。入会試験に全くかほとんど通用しない子が多くなってきたのだ。特に、これは解けなければ指導は無理という問題ができない子の指導は前途多難なものとなる。とにかく手がかかる。境界知能児の可能性を捨てきれないままに工夫を繰り返してはなんとか理解にまで持っていくのだが、その手のかかることは、その注ぎ込むエネルギーは半端ではない。
 さて、入会試験に一応は合格したという子ならどうなのか。しかし、これもあまりにも精神的に幼すぎて指導できないというケースが出てきた。つまり一応は知能はあると思われるものの、あまりの幼い言動、行動に指導そのものが頓挫したまま推移してしまうのだ。またまた保育園児の指導を彷彿させてしまう。
 そういえばかつて入会試験にほぼ満点で合格した小4が、その後の指導が困難なものであったケースがあった。入会試験で看破できなかった唯一のケースであった。
 これからは入会試験は厳正に評価し基準点に達しない子の指導はできないとしなければなるまい。合格した子についても、たまにどうしようもない子が紛れ込む。入会試験が指導可否の選別の機能を果たさない種類の子がいる。一般に指導ができない主たる原因は幼すぎることである。幼すぎるというのは、裏から言えば自立性を欠く、他人への依存性が強いからできないのを他人のせいにする、責任の他人転嫁をするのはもともと責任というものを持ち得ないからなのだが、それは勉強に集中できないという今後の勉強生活には致命的な欠陥である。
 入会試験に普通に合格し、内申も悪くないという子について、なぜ合格できないのか。
 これは原因がわかっている。要は親子で試験を舐めているということなのだが、総体としての勉強量がまったく足りないのだ。その原因は、勉強を第一にシフトした生活をしていないからだ。まず、習い事、稽古事である。ピアノ、バトン、バレー、珠算、日本舞踊、・・・とにかく小5まではみっちり、小6になっても夏の、中には秋の発表会まではなどと言って続けるわけである。そういう子たちには大量の積み残しレジュメが特徴的であり、季節講習も節約型、それも実家帰省、法事帰省、発表会など、そもそも受検などする前提が欠落していた。親の認識もあまりにも受検というものを舐めていた。甘く見ていた。
 駄目な子というのはすぐわかります。指導の際に前の続きからやる子ですね。これは前回の指導日から全く勉強していないことを示しています。前回できなかった、それで悩んでわかろうともがいてきた形跡が一切ないわけです。前回の指導も部活で遅れてやってきて細切れ時間で結局1枚のレジュメを出せたのか、終わらないままにそのままにしり、なくしたという子も出てきます。こういう子はもう駄目です。退塾を言い出すのを待つだけです。経験から退塾にこちらかにすると恨みを買いますので、待ちの姿勢です。
 いいですか。合格するのは、実は、わたしの言うとおり、私の描いたイメージ通りにやってもらえばいいだけのことです。しかし、ほとんどの親子は、決して私の意に沿ったとおりにやってくれることはありません。受験は舐めてはいけません。毎年、楽をして受かったことなどありません。わたしの言う通りにやってくれる子はほとんどいませんね。仮にわたしの指示通りにやってくれたとしても、わたしはいつも不安でした。その不安を打ち消すように次から次に手を打っていったのです。今年の結果だって、合格するかどうか、わからなかった。わたしを信頼してくれる子どもたちのために、わたしは、正直必死でした。落としてはならない。それだけを思い詰めていました。いつも頭から失敗した子どもたちの悲しい顔が離れませんでした。だからいつもどうすれば合格するか、そのことばかりを考えていました。最初から合格確実なんて思ったことは一度もありません。
 とにかく必死に身を尽くして、子どもたちを送り出してきた。それだけでした。落ちた子の顔を見るのは辛くて胸が締めつけられるようでした。26年でしたか。全員落ちたことがありました。確か3人受検して3人落ちました。あのときは、塾の帰りの、暗い夜道を歩きながら、涙が溢れてどうにもならなかったことを思い出します。あんな辛い思いはしたくない。だからわたしは必死でした。できれば私の全時間をすべて指導に使いたい。老骨に鞭打ってわたしは子どもたちのために尽くしたい。ここ二、三年倒れるかもしれない、もし死んだら、子どもたちに申し訳ない。そんな思いでした。
 指導時間さえ十分にあれば、わたしは、子どもたちに悲しい思いはさせない。令和4年と3年の都立広尾は、私には絶対に落とせない受験でした。いずれも小学時代から竹の会に来てくれた子たち、都立中を失敗した子たちでした。わたしは、この子たちの合格のために、寝食を忘れて、指導したのでした。たかが広尾と言う人もいるでしょう。しかし、あの子たちにはそうではなかった。わたしが手をかけなければ落ちていた。わたしは、都立が最後の砦の家庭の事情をよく知っている人間です。都立に行けなければ、無理をして、私立に行くことになる。そういう家庭ばかりであった時代に戦ってきた人間です。都立に落ちると言うことが、どんなに悲劇なのかをよく知っています。姉が都立を落ちたので弟は塾にも行けないと文句を言われたこともありました。
 今のわたしは指導時間さえ十分であるならば、落とさない、必ず第一志望に合格させられる、そういう自信があります。ただこれもわたしの思い通りにやらせてもらえればという条件つきです。たいてい家庭の事情というのがありまして思うような指導をさせてもらえないために落ちたということはほんとうによくあります。もし本当に合格したいのなら、中1から前倒しで勉強してこなければ特にトップ都立、難関私立は取れません。よく受験を舐めているのか、と思わせるような家庭も多々ありますが、そういう選択の結果はその時が来て選択した本人が受けることにはなります。実際、志望の都立に失敗した人たちの悲嘆にくれたであろうことは想像に難くない。サッカー命、部活を断り切れずに中3の夏の練習・合宿まで嫌々出たなどありましたが、不思議な生徒もいました。内申も、模試も、一切報告せず、特に、何を勉強するのか相談もなく、勝手に進めている、よく机に市販の参考書なんか見かけましたが、いったいどういうつもりだったのか、未だにわかりません。確か青山を受けるというようなことを言っておりましたが、どこの都立をうけたのかはわかりません。過去に都立目黒に落ちて初めて受験校を知った生徒がいましたが、その親子が途方にくれて相談してきましたが、わたしには内申も定期試験の結果も模試の結果も受験校もすべて徹底して隠していたという不思議な親子でした。
 わたしは受験の指導家です。すべてを把握し、指導方針を決め具体的な指導を通して変更・修正しながら実力の機微を検査で読み取り、あれこれと解決策を思案し、合格するためり戦略を選択し指示と実践と変更の繰り返しでした。検査と指導を繰り返し、とにかく手を尽くすのがわたしの仕事です。   どう子どもたちを導くべきか、うまくいってないときは悩み現状を分析し、状況を正確に読み取り、あれこれと手を打ち、導いていくのがわたしの仕事です。わたしに指導する時間を十分にとらせてくれなければ指導は確実に失敗します。特に、最悪な循環なのが細切れ指導です。ここでも不思議な中学生がいまして、わからないことをわからないままに、放置したまま、解決したのを見たことがない。部活をはさんで細切れに出る、いつも前回のレジュメの続き、そのレジュメは殴り書きとくしゃくしゃになるのがいつもの見る光景、その場限りの指導、つまりは、継続性を壊した、細切れの指導のままに、済ませてしまう中学生がいました。どうなったかは説明もいらないですよね。
 
 

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