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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🔛結局算数を制する者が最後は伸びて行く❗️

2024.05.28

🔛結局算数を制する者が最後は伸びて行く❗️

 能力的に普通か、普通よりやや劣る、そういう子は、家庭で主体的に勉強を進めることができない。つまり、家庭で勉強してもほとんど効果がない。
 そういう子に指導時間を増やしてやるのが、一番いい方法なのかとは思う。
  中1でも、もう中3の英語に入り、数学も中3に入るまであと少し、という子がいる。もともと算数を小2からやってきたということもあるが、他の子とは明らかに進度が違う。
 中3にも伸び悩んでいる生徒がいるのは知っていたが、これも指導時間の問題であると思う。現状で伸びない、むしろ下がり傾向というのであれば指導時間の不足からくる失速状態にあることはあきらかである。しかし、これまでもそういうことは明らかなのにだからといってこれまでどおり規定の時間だけ指導を受けてそのまま受験に突入という親子がいかに普通にいたか。わたしはさすがにこの3年の都立ではこのままでは落ちるという危機感から直前には指導時間をとって指導してきた。これは、夏のコースの取り方でも差が、格差という言葉が当たるほどに、出る。

 能力が普通よりかなり下にある子は指導時間を増やしてもほとんど意味はない。こういう子はもともと受験はできない。わたしは、神ではない。持って生まれたIQからの制約には抗えない。そんなことができる塾などない、ありえない。わかるまで教える塾というのがあるそうだが、これは嘘である。教えてわかったというのは、次から主体的に「解ける」ということを意味しない。だからその「わかる」は本来の「わかる」ではない。 
 学問とは、一定のIQを備えた者にのみ為せる技である。それが社会の、人生のリアルである。いわゆる境界知能の子を持った親は素養としての基本学力をつけてやる、ことしか実はできない。
 慶應義塾の創始者福沢諭吉には、持論があった。
 貧乏人は、大学には行くべきではない、という主張ですが、その論理は、それなりに一貫しています。当時の官学絶対の時代を背景にして、私学は、学費も安くレベルも高い官学に、勝てるわけがない。官学が優れているので、私学は学費を高くできないではないか。貧乏な学生は官学で学んでも貧乏という状況は変わらないから、共産主義なんかに走る、そう福沢はいう。
 引っかかるのは、帝大出たらそれなりの職に就けるのではないか、なら貧乏から抜けられるのではないか、と思うのだが、福沢先生はそうは考えなかったようだ。
 今日、福沢諭吉の貧乏論は、実は、本質を突いていた、真理を言い当てていた、と思うところがある。最近、慶應大学の塾長が、国立大学の授業料を、150万円にしろ、と気炎をあげていたが、わけのわからない人は、福沢諭吉の本を読んでみるといい。諭吉は、貧乏人は大学など行かない方がいい、とはっきり言っている。諭吉は国立大学を敵視していたが、貧乏人が帝大などいくとろくなことはないと考えていた。
 現代は諭吉の時代とは違うが、貧乏だと大学には行けないのであって、諭吉の時代のように、行けても行くべきではないというのと違う。今の日本は、明治からかわらず学歴社会である。それも旧帝大、難関国立大、国立医学部、早慶、明治、上智、中央、青学、立教までか。こういう大学に入れるか否かがそのまま人生を振り分ける。飽くまで原則論である。

 
 教育は、カネがかけられない人は、成功できない仕組みになっている。それは確かである。

 高校入試でどこに入れるか、日比谷、西、戸山、青山、新宿などに入れば道は拓ける。早慶でもいい。開成、筑駒でもいい。ただ苦労して中学受験で開成に入っても、上位25%に入れなければ落ちこぼれである。つまり、中高一貫校に合格したと喜ぶのは実は早い。多くの落ちこぼれは、そもそも上記の大学に行けないだろう。そうなるとなぜ苦労して中学受験をやったのか、という話しにもなる。
 中学受験というのは、合格したら終わりなのではない。合格してから、卒業まで上位25%以内に入れるか、である。竹の会の卒業生は、桜修館などに合格して、5位以内にいる確率が非常に高い。区立中に行った生徒もトップクラスにいるというケースが多い。これが、竹の会が単なる受験合格塾ではなく、将来に通用する思考力、勉強スタイルを培う指導をしてきた証拠である。大手の知識詰め込み指導は、合格後の無気力、合格で力尽きてその先がない。これは中学受験を誤解した親の誤判断である。中学受験は特に難関と言われる中学は、上位25%に属するかが成否の分かれ目となる。ただ合格しさえすればすべて成功なんてことはないのだ。地獄が待っている可能性の方が強いのだ。よくトップ都立に推薦で合格して有頂天になる親子がいるが、新宿高校の先生が嘆いていた。「推薦の生徒の成績不振を」。竹の会には都立西に推薦合格した生徒がいたが、この生徒は、Vもぎで、都立全受験生中20番台を取っていた生徒でもあったのだ。当時学区制のため隣接区の特例で西を受けられたが、学区制全廃の今なら余裕で日比谷に受かっただろう。その彼は都立西の3年間を竹の会に通ったが、320人中、常に50番内にいた。ちなみに三大模試すべてで全国順位20番台を取り、名前を載せたことも今は語り草となっている。
 わたしは、高校受験には、中1の段階で、2回の分岐点があると考えている。小6の2月から指導開始できるか、夏に一日10時間30日以上の勉強ができたか、これで決まる。
 竹の会では、並の指導時間では、成績を下げてしまう中1が多い。4人いた中1が、中3までに0〜2までになるのは竹の会ではよくあることである。部活で潰れる、習い事で潰れる、いろいろあるが、突き詰めれば、小学低学年から算数を鍛えてこなかったことが最後まで尾を引くことになる。
 算数ほど思考力をつけるのに最適の方法はない。早くから算数的知恵に馴染んできた者には、未来は努力で拓けるのだ。
🎼算数こそ眠れる能力を切り拓きあなたの未来を上級国民の道へと導いてくれる最強の道先案内人となること⁉️
 算数的思考、つまり事実を自由に、関係性から構成し、その手段としての、単位あたり量の考え方、割合に典型のミクロマクロ思考、「比」という精妙な、さまざまな場面で、鳥瞰的解決を図ることのできる魔法の杖を手にすることができる。
 算数的思考は、思考、いや脳の訓練というか、深みを増す、深い思考の層を重ねることを可能にするまさに魔法の科目なんですよね。
 算数では、事実の読み取りというのが、一つの仕事なんですよね。よく国語ができる子は、算数ができるのではないか、というようなことを言う人がいます。確かに、事実の読み取りは、読解ですから、そうも言えそうなのですが、実際は、メチャクチャ算数ができるのに、国語はまるでダメという子がいるのですよね。
 国語が不得意な子は多い実感があります。逆に国語がよくできる子が、算数はまったくと言っていいほどできない、そういう例もよくあります。
 読解とは、そんなに難しいのかな。一つは、国語の文章を文字として読めるということは読解の問題ではないということです。読解というのは、真意を読み取るということなんですよね。文を読み比べて、対照して、そこから真意を推測する。文と文の相互の論理的な必然から、浮かび上がる、筆者の言いたいことを読み取る、そのことを読解といいます。
 ある人が、読解とは、鳥瞰的に、文全体から判断すること、と主張していました。この人の主張によると、語彙力は、もちろん読解の助けにはなるが、だからと言って最初にやることではない、まず文全体を鳥瞰すること、そこから筆者の言いたいことを読み取ること、これを読解という、と高らかに述べていました。
 なるほど、そういうものか、考えてみる価値ある主張なのかもしれない。今はこの人の本を読んでいるところです。
 竹の会では、伝統的に国語を、苦手とする子が多い。それで、私もいろいろと国語対策の研究を重ねてきた。
 さまざまな国語関連の書籍を読んできた。これ、というのにはなかなか出会わない。ただ今読んでいる本は、なかなか面白い。もしかしたら、何かヒントを得られるかもしれない。
 今年の夏は、国語は「汗をかけ」、つまり、夏にノート5冊を作れ、手でかけ、徹底して手を使え、それで、次を考えよう。これももちろん指導である。小学生にも同じことをやらせよう、とも考えている。
 国語という科目、長年取り組んできたが、読解とはそもそも何なのか、文全体から何がいいたいか、を読み取る、として、一つ気がついたことがある、算数との共通点である、算数はまず事実の分析から始まる。この点、国語にも事実がある。国語の場合も、事実の整理が必要なことは変わらない。どうも国語も実は事実の整理にポイントがあるのではないか。

これからの入塾
 入会試験の厳正な実施、合格基準を超えた者のみ入会許可
 入会試験0点、1問正解のみ、指定問題不正解、以上は不合格です。今後不合格者の入会は一切認めないこととしましした。
 こうした者でも、時間をかければ計算マスターし、割合の基本も理解していくものですが、こうした子の中には、集中して勉強できない子たちが多く、手がかかるという難点があります。わたしが本来の受験指導に専念、没頭できないことが大きな負担になります。できない子は往々にして教室で騒ぐ傾向があります。
 また合格判定が出た者の中には、指導が始まってみると、恐ろしく理解能力が低い子がいることがあります。勉強への関心度、情熱というものがない、低調な反応というのが特徴的です。
 こうしたことを踏まえると、入会試験不合格者は仮に入会をした後も指導不能として、いつでも竹の会から退塾を言い渡せるということにしなければ、竹の会の指導が成り立たないのに徒に引き留めることになりそれは不本意です。
 総じて入会試験に不合格の者、合格しても勉強意欲の極端に低い者、勉強意欲を感じられない者、思いのほか理解度が低い者、そういう子の指導は無理です。いったん入塾を認めると、自ら退塾を言い出さない限り、退塾は難しく、そのままずるずると行くことがむしろ普通でした。そういう子が受検に成功することはおそらくありません。これまでなかなか理解できないためにあれこれと工夫を重ねてなんとか計算、割合初級まではなんとか習得させたというのが実際でした。それでも親から感謝されることもない。ただ受検失敗という事実で親の不快な感情はわかる。もちろん本人には最初から受検は無理、基礎をつけるだけ、と言い渡しています。
 今後は、入会試験で不合格なら入会できないということを厳守します。また、入会試験合格者の成績不振者も退塾にできることとします。。
 今後竹の会への入会は、渋谷教室開設時と同じように、困難になると思います。ただ、小2、小3は、事実上入会試験フリーで入会を認めています。これは、この年齢では、入会試験でその後の能力開花まで見越しての判断はできないからです。入会試験が機能するのは、小4の4月前後2か月と思われます。小5前後の入会は無理です。小6だとある程度基礎ができている、言い換えればIQがそれなりに高くなければ無理です。
 わたしとしては、小2からの訓練を強くお勧めします。
 優秀な人材だけ来ればいい、という発想です。

 

 竹の会の想定する指導時間は、IQ110前後を想定下ものです。例えば、IQ100前後な子が指導を受けるとして、当然指導時間量は足らない。だから成績は徐々に下がる、勉強の進捗も鈍い、それで成績が下がると文句を言ってくる親がいたわけです。「塾に行っているのに成績が下がるのはおかしい」とか、「入塾して、3か月して成績が上がらないならその塾はダメだ」とか、自分の子の能力は一切関係ない前提で、塾とはそういうものだと決めてかかって疑わない。なんとも頭の硬いことか、それなら子どもの頭も硬いのは仕方ない。塾をまるで魔法の力を備えたところと考えている、そうあるべきものとあるべき論である。世の中には、そんな塾などないし、そもそも世の中は偽物の集合体だということを知らないのが、あまりにも幼い大人ではなかろうか。
 偽物ばかりが跋扈する世の中だからこそ、本物でありたいと思ってきました。嘘偽りのない指導をしてきました。
 竹の会では、入会試験に合格すれば、その後の伸びは驚異的とさえ言える進化を見せるでしょう。
 都立中学合格率 3人中2名合格 ※適性レジュメ適用者のみ
 ○桜修館合格
  ※法政第二、立教池袋補欠
 ○大泉合格
  ※富士見、宝仙理数インター

 私立第一志望 実践女子合格
 高校入試合格率 2名中2名合格 第一志望校合格
明治大学明治高校 
都立青山高校
 ※東京農大第一、専修大松戸、桐蔭プログレス、朋優国公立1回2回合格

 

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