2024.10.28
🟣参考書研究家
🟣参考書執筆家
わたしの執筆スタンスは、評論家故立花隆がモデルにある。彼は1冊の本を書くのに、書架1、2q台分の本を読んだそうです。彼はあるテーマについて、専門書などを読んで、知識を理解し、自己の体系のなかで、読者に伝えた、最初の人です。読者は、専門書書架二台分の本を新たに体系化したものを一冊の本で手にすることができた。
わたしは、一冊書くとき、書架二台分などということはないが、それでも少なくとも10冊前後読む。
今、わたしは、得意の数学については、わたしなりの体系を持っており、それなりに自由に書くことができるが、それよりも、むしろ、名著と言われる参考書を読み解き、換骨奪胎、わたしの「わかりやすく書く」という塾の先生の特質を生かして、参考書を執筆したい、と思い描いている。
わたしの参考書観
参考書にも良質のものと、駄本・悪書がもちろんある。わたしは職業柄良質な参考書を見分ける鑑識眼が異常に発達している。
いい参考書には、一冊に漂う哲学がある。そしてこの参考書を読み解きさえすれば、とにかく完結するという責任感に満ちている。
そうなのだ。いい参考書は、それで一つ体系を成しているという世界観がある。
わたしは、一冊の参考書の伝え手になりたい。この参考書なら、わたしがその世界観を、哲学を、語れる、その哲学を背景に、問題を語りたい。
大学受験のいいところは、一冊の参考書が、一つの体系を成しており、その一冊の参考書を完璧にすることで、合格水準に仕上がることである。ただし、すべての参考書が良書というわけではない。だから参考書の選択にはかなり慎重にならざるを得ない。高校生諸君は、場数を踏むしかない。学校の先生の情報、友人の情報は、一番信頼できるものであろうか。ネットのレビューも参考になる。ただし、ネットは、悪意の書き込みがあるのが、通常であり、信頼性はそれなりに低い、つまりリスクがある。
わたしは、受験時代学校の教材が参考書のことがあり、しかも学年で採用参考書が違うということがよくあった。原仙作の「英文標準問題精講」は学校採用だったが、その他の科目は、すべて自己判断であった。特に、数学は、チャート式が人気であったが、わたしには難しくて、本屋でたまたま見つけた「技法」シリーズをパラパラめくってみて、たちまち虜になった。チャートと違って噛み砕いた表現が不思議にわたしには頭の中に吸い込まれるように入っていった。数学IIBを読んだだけであったが、かなり理解できた。このように秀才しか理解できないチャート式のような参考書を使って不完全燃焼するのはよろしくない。完全燃焼する参考書を選ばなければならない。わたしは、「技法 数学IIB」で数学の理屈が本当によくわかったと思う。自分の能力で理解できるレベルの参考書を選ぶことは大切なことである。チャートはわたしには難しい。数学の基本がわかってからは蛍雪時代の広告のZ会の「数学I・IIB」という200ページほどの、一問ずつ問題&解答のついた問題集を取り寄せてそれをひたすら「読んだ」。そう、解くのではなく、読んで理解し、さらに、何回も読み込んだ。お陰で本番では95点(100点満点)を取った。これが如何にすごい点であるかは、入学後級友たちに聞いた点数がほとんど50点ほどだったことからわかった。わたしは、内申はD判定だった。旧帝大の合格者はわたしの知る限りすべてAに丸がついた、いわゆるマルAであった。わたしはサボりで3か月近くの欠席があり、まともに授業を受けていなかったからDとされたのだろう。ただ定期テストは、数学も英語も8割以上は取っていた。わたしは進学校のことが全くわかっていなかったのだと思う。何も知らないままにいきなり進学校にいた。その自覚がなかった。だからなぜそんなに学校や周りが勉強勉強と気が狂ったように、当然のように狂奔しているのかわからなかった。家族に学歴のある者がいなかったことがすべてだったのかもしれない。高校卒業後独学で数学、英語をマスターし、もともと得意だった現代国語は何もしなくても点が取れたこともあり、理科(生物)・社会(日本史・世界史)に各1冊の参考書だけで6ヶ月の勉強で合格できた。戦略的には、参考書のお陰で合格することができたと思っている。
予備校はカネばかりかかり、基礎もわからない受験生には無益である。予備校というのは、基礎学力、さらには合格レベルにある受験生が行くところだ。
大学受験というのは、信頼できる参考書に出会うことが、如何に大切であるか。
わたしは、予備校の価値を知らない。だから資格試験において、カネのかかる資格試験予備校には引かれながらも結局参考書独学の道を選んでしまった。今なら予備校を躊躇なく選ぶと思う。教育は投資、自己投資だということを心底からわかっていたならば、選択で迷うことはなかったのにとよく思う。若いときの未来はカネを惜しまないで先行投資すべきなのだ。
いい参考書に出会うことが幸運をもたらす。わたしは参考書の良否を識別するこにかけては専門家である。やりようによっては、参考書だけで受かるのが受験である。予備校ものは、投資ということか、2つの予備校に申し込んで教材だけ手に入れるという人たちのことを知っている。そうなのである。教材を手に入れるために、予備校にカネを使う人は、資格試験でもかなりいた。参考書の中に、予備校ものが大きな比重を占めることとなった。
わたしは、職業柄参考書にカネを注ぎ込んできたため、下らない参考書も腐るほど見てきた。その中で光る参考書に出会ったときの、感動は例えようもなかった。
そのわたしが、参考書執筆に取り組むようになって、一冊の本を書くということの大変さを知った。次から次に湧き起こる疑問のために、一冊、一冊と書物を読む。一冊の参考書を書くのに、十冊以上の書物を読む結果となる。
わたしは、参考書執筆家としての道を切り開きつつあるのだろうか。