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🟥気を消す❗️ 対象に同化する❗️

2024.12.17

🟥気を消す❗️ 対象に同化する❗️

 動物は、気に敏感である。殺気だった人間の傍を通らない。危険を空気で感じとる。動物は警戒を本質とする。動物というのは、本来野生である。野生動物は、気に敏感である。それが自分の生死を左右するからである。昆虫採取の専門家によると、森、ジャングルの中では、「探そう」「見つけてやろう」とギラギラしているとさっぱり昆虫が出て来ないのだそうな。森に溶け込むというか、無心、自然体でいると、蝶が飛び、虫が蠢いてくる。
 養老孟司の本には、阿闍梨ほどの僧が、坐禅を始めると、いつも猫が遠巻きに通り過ぎる、2か月ほど経つと、坐禅をしている膝の上を普通に通り過ぎて行くという。
 さて、何を言いたいかと言うと、私たちが「集中しよう」と意気込んでいるときは、雑念ばかり浮かんで一向に集中できない、ということがある。
 気がギラギラし過ぎなのだ。気を殺す、気を消すことが、肝要とされる。自然の呼吸の中に溶け込むことと言ってもいい。
 さて、わたしは、ここで集中ということについて述べてみたい。
 集中しようと考えてもその意識、気が邪魔をする。
 一つは、集中は、自分で、キィーを作ることである。例えば、本を開くとスイッチが入る。家に帰ると、スッとまっすぐ机に向かう。集中しない人というのは、そういうのがない。
 集中というのは、ギラギラした気がなく、自然体、気負わない、スッと内容に入っていける、すぐ没頭する、ということですよね。
 つまり、森に同化する、参考書、書物に同化する、空気感を合わせる、自然体で臨む、深呼吸するほどのゆっくりさというかスローテンポな空気感ですね。
 気が勝つといろいろと雑念が湧きますよ。なにしろ気というのは、すぐ「その気になる」、「気もそぞろ」に浮き上がる、何かが「気になる」、上気する、浮気する、気まぐれ、気が移る、正気か狂気か、つまり気が違う、覇気がない、やる気が失せる、こうなると気の毒としか言いようがない。
 さて、集中するには、気を沈めることが、肝要ということである。気を昂らせては、スッと内容に入れないではないか。
 試験で実力を発揮できないのは、気が動転するからである。気をコントロールするには、気を深呼吸によって鎮めるのがいい。
 気が欲に向くと甚だよろしくない。欲は冷静な判断を奪う。受かりたいというのも欲である。受かったらこんないいことがあるというのも欲である。脳が欲で満たされると、もはや思考は短絡的にしか反応しないのだ。反応的な対応しかできないのだ。「早く終わりたいな」「面倒くさいな」は、みな欲である。普段からわがまま放題をやってるとこういう欲によって自滅することになる。
 「解きたいな」というのも、欲である。とにかく欲を消すことである。無心に問題文を読み無心に考える。これがつまり集中である。雑念は欲の裏返しである。欲を消し去れば雑念も消える。雑念を消そうとしても欲がある限り雑念は永遠に沸き起こる。

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