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🟥無駄をしないの徹底

2024.12.23

🟥無為に時を過ごすな!! 無駄をしないの徹底
 
 学年で1番を取る奴
 司法試験を十代で突破する奴
 会計士試験に大学2年で合格する奴
 皆んな「無駄な時間」を一切して過ごしていない。皆んな「時間を無為にしていない」❗️
 普通の奴、並の人間とは、確かに、何かが違う。
 幼い頃から習い事、稽古事、サッカーなどやって、時間を無駄にしてきた奴らとは違う。もちろん野球に集中した後、医学の道を志し、医学部に(たいてい私立)に合格する奴もいる。そういう稀有の人もいる。しかし、それはそれで、その時から時間、きっと無駄は一切しなかったであろう。問題は、習い事など無駄にすることに慣れてきたことから抜けられないのが、普通の人だというところにある。普通の人は、無駄をしないということ、そのスキルを小学時代にこそ鍛えてこなければならなかったのだ。
 何が有益で何が無駄か。無為な時間とは、どんな時間か。
 二つの基準は、同じものを違う側面から見たに過ぎない。
 トップに立つ者、とにかく早くに合格する少数の者は、「無為に時を過ごさない」という一点で、共通している。
 「無為に時を過ごす」❗️
 この言葉は、様々な場面で、これからやろうとする行動の指針となる。
 勉強以外のことを、何かをやろうとするとき、自分にこの言葉を問いかけて見ればいい。試験に合格するという目的を掲げていながら、習い事などに時間を割くこと、それはやはり無駄な時間ということになる。
 「まだ中1だから」「まだ小4だから」、盆正月の実家帰省、春休み・ゴールデンウィークの家族旅行、こういうことをやっている人たちが、受検・受験に成功するわけがないのです。
 受験というものが、わかっていない。自分たちの頭の中では「わかっている」と思っているのですが、受験の現実、実際を全く知らない、机上の空論でしかない。
 養老孟司は、頭の中だけで、わかったと済ます、昨今の現代人を「唯脳論」の中で見事に解き明かしている。私たちは、現実を直視しないで、いや無視して、頭の中だけでわかった気になる。卑近の例で言えば、ペーパードライバーである。一応教習所の中では運転できるが、一般道路ではとても危なかしくて見てられない。私は大型免許を18歳のときに取ったが、19歳のとき、東京-横浜間を6トン車で毎日往復した。山の上にある宿舎まで細い坂道(崖道)を恐ろしい思いをして往復した。特に、夜は怖かった。また倉庫街を巡るのは、さまざまな技術を要した。特に、大型は、一発でバックで倉庫に入れるのが高等技術とされた。また走行中のバックミラーの確認は1、2秒間隔でなされなければならない。常に、自己の車の状況を確認しながら、刻々と変化する状況に対応できないからである。頭の中で「わかった」というのは、実際には何もわかっていない。
 新型コロナで、私たちは、マスコミ、特に、テレビで、唯脳の意識を洗脳された。国のワクチン強制、それに唯唯諾諾と従う国民は、マスク警察、ワクチン警察となって、正義を押し付ける。
 養老孟司によると、脳はすなわち意識である。意識は言葉によって脳に整理される。だからわたしたちは、言葉によって騙される。洗脳される。
 世の中が、不確定、曖昧であってみれば、わたしたちは、将来について、確定的な見通しなど持たないのが普通である。だから断言する人、宗教のように信仰を根拠に未来を断定すると、コロリと騙される。詐欺師は、とにかく断言する。何事も断言する人間は、信用ならない。わからない、曖昧に答える人の方が実は信用できる。
 
 これから将来において、成功しているかどうか、すべて「時を無為に過ごしたかどうか」にかかる。机についていても勉強していなければ「時を無為に過ごして」いる。暗記ばかりやって「思考しない」ならやはり「時を無為に過ごしている」かもしれない。「時を無為に過ごす」とは、相対的なものであり、主観的なものである。勉強時間が貴重なら友達とおしゃべりをすることも無為に過ごすと言える。判断者はあなたたちである。あなたがゲームをし、映画を見る、テレビを見る、そういうことが、勉強の価値と比べて、無為になことではないか、ということである。
 もっと思考したい、あることを考えてみたい、そういうことに時間を費やす。そう、時間は費やすものであり、浪費する、無駄にするものではない。

 「無為に時を過ごす」ことの禁忌はあなたの行動の指針である。
 

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