2024.11.30
🟧兆候があるのに手を打たないから失敗する❗️
「遅い」のは、悪い兆候❗️
何かと、何につけて、「遅い」というのは、結局、不合格の前兆であった。かつて25年のことだったか、適性問題レジュメ1題(通常は1枚か2枚)に3、4時間かかる小6がいた。あまりにも出せないので、強制終了させてみてみると、本当に解けてない。断っておくが、この小6はかなり優秀な子であって3年後には戸山に合格もしているし、算数の進捗はよかったのである。
どんなに優秀としても、「時間のかかる子」、「遅い子」は、本番では、やはり解けない。それが事実であった。
またどんなに優秀であっても模試で点が取れない、つまり解けない子が受かるのもない。もっとも近年、模試が悪い子が複数受かっているので、これには別の考察が必要である。ただし、これは小6の話し。中3は、V模擬という、かなり正確な模試があるので、これで点が取れなければ不安は現実となる。ただし、主要3科は取れるが、つまり90点超は取れるが、理社が60点前後というケースでは、合格を取れることもある。ただし、以上は、800点以上クラスの都立を前提としている。
親が成績が振るわないと相談してくることがある。成績が振るわないのは、「遅い」子である。原因の一つは、受験という自覚が希薄なことがある。だから公立小の子たちは習い事、稽古事をしても平気である。それで受かると本気で思っている。能力が標準以下だと「遅い」。いわゆる境界児童のゾーンである。だから「遅い」のは能力の反映でもある。能力的にはやや劣っても、指導時間量を増やしてやると伸びることがある。しかし、相談されたとき、私が暗に指導時間の足りないことを指摘しても、経済的に無理な家庭もあるから、結局、現状のままということの方がほとんどである。つまり、何もしないで、有効な手を打たないままにズルズルといく。この不作為はやがて悪い結果として表れることになる。手を打たなかったのだからしかたない。かなりの蓋然性で失敗が予見されるのに何もしないというのが都立第1志望の家庭である。これまでの多くの都立に失敗した家庭のありのままの姿である。都立第一志望の家庭のカネをかけられないゆえの末路である。受験はリアルであり、シヴィアである。情の入り込む余地はない。「頑張る」などという情では受からない。
「遅い」のは、とにかくよろしくない。「遅い」というだけで受験・受検は暗雲が立ち込める。これに対する効果的な措置として、わたしは、指導時間数を増やすこと以外効果のある方法を知らない。本人の努力、やる気に期待するなど、聞こえはいいが、結局何もしないのと等しい。よく塾の先生が「もっと頑張れば必ず受かる」などというセリフは、本当は「頑張ってもダメだけど」、それしか言いようがないから、言っているのだ。頑張ればという仮定は、不合格を前提した言葉に他ならない。
子どもが「遅い」ときは、大手なら親は心配して、個別指導塾に入れたり、家庭教師をつけたりと、とにかく指導時間を増やす。小学生なら親が独学して「教える」こともする。しかし、何もしないのが、都立志望家庭である。中学では親はたいてい教えられないから本人任せである。カネを使うこともない。すると確実に成績は下降していく。指導時間さえ増やせば伸びたのに、手を拱いて、結局志望校には届かない、そういうケースを腐るほど見てきた。