2024.12.03
🟧都立中高一貫校に受かりたいなら、それなりの覚悟をしろ❗️
本番までの全時間を受験勉強に捧げる覚悟がないのなら、落ちるのが当たり前❗️
指導時間が短いなら落ちて当たり前❗️
習い事やってるなら落ちても悲しむことはない❗️
何か勘違いしているところが、あるのかも知れない。今のような、スローペースでは、合格することはない。考えても見てほしい。大手進学塾の子たちが、普通は、小4から、親の熱烈な支援のもとに、週4回前後塾に通い、並行して家庭学習をみっちりやらされる生活を送り、季節講習も目一杯出る。もちろん習い事、稽古事、運動などほぼない。そういう子たちが私立の他に都立中高一貫校を併願するわけである。これに対して、公立中高一貫校型の大手塾に通う子たちはどうだろう。塾には、のんびりと週2ペース、家庭学習はおそらくほとんどやらない。家庭でやる勉強と言えば、学校の宿題、それで勉強したと思っている。もちろんそれぞれに様々な習い事、稽古事に精を出している。竹の会も例外ではない。たいてい習い事をやっている。竹の会で聞いたものを挙げると、ピアノ、バトン、ダンス、日本舞踊、吹奏楽、バレエ、珠算、英語、バレーボール、サッカー、野球、柔道、空手など。これらに週1から中には週4という子もいた。発表会、試合などそれに伴う行事も多い。これに学校の行事、家族旅行、実家帰省など。これで本気で受かると思っているらしい。大手進学塾の子たちに本気で勝てると親も思っているのだろうか。いったいどういう頭の構造をしているのか、わたしにはさっぱりわからない。
まして勉強というのは、真剣に取り組めば取り組むほど奥が深くてとても何か他のことを「ながら」でやる余裕などないことがわかる。いくら時間があっても足りない。まともにやらないから、そんな中途半端な対応で「受かる」などとあまりにも浅い考えを持つのだ。
公立小の子たちには、勉強の覚悟というものがない。これに対して、私立を受ける子というのは、最初から親子で覚悟がある。そうなのだ。覚悟して万難を排して受験をするのだ。公立小の子のように、ちょっと受検してみよう、受かったらラッキー❗️ではないのだ。家庭学習適当、習い事、稽古事、スポーツ熱心、家族旅行・実家帰省とにかくなんでもあり、そういう親子が受かるはずがないのだ。そういう人が軽々に受検などと言っても相手にしてくれるのは、もちろん商売繁盛第一の塾だけでしょう。騒いでカネを無駄に使う家庭は、商売塾には、大切なお客様、鴨ネギです。竹の会のように良心の呵責から断ることもない。かえってそれで恨まれてきた。商売本位の塾は、熱心さを演出すればそれだけで好感を持たれて、成果が出なくても、感謝さえもされる。実に、SNSで毒された親世代の脳はその程度なのである。子も思考しないなら親も同じだ。親世代の行動基準は、他ならないSNSである。根拠のない情報に動かされる昨今の親世代、子世代は、政府の命令にはもっと従順で、真偽を見極めることもしない。コロナワクチン禍が去って、ワクチン禍を考えることもしない。未だに増える一方の超過死亡、特に、このところ流産の数が異常値を記録している。国民の、なんと80%が政府の音頭でワクチンを何回も打ったというのは、世界で類例を見ない。スパイクタンパクの顕著な悪行は、心筋炎と脳梗塞と言われている。そう言えば、最近の芸能人の度重なる死亡原因が、心筋梗塞なのは、いったい何かの偶然なのか。ワクチン死は、ワクチンで死んだとはわからない。心臓が悪くなった、脳が悪くなった、子宮がおかしくなったということで亡くなる。政府も御用学者も御用医師もSNSのインフルエンサーも「ワクチンを打て」、「自分は打った。打たないやつはバカだ」と毎日テレビ、新聞、ネットで囃し立てた。その結果、自ら判断能力を持たない、SNSに動かされる、国民の80%の所謂B層に属する人たちが競って、寧ろ他人を押し退けてワクチンを打ちまくった。第一巻の終わりである。今度ばかりは被害は自らに及ぶ。私たちは、政府を信じてはいけなかったのだ。福島の原発事故のとき、東北地方の人たちを一旦は見捨てようとしたのが政府である。その政府の太鼓持ちたる、学者、医者、弁護士、裁判官などを信じるのもあり得ない。
私たちは危機管理を自らの判断限りで、自らの命を、家族の命を守っていかなければならない。わたしがコロナ時期に読んだコロナ関連の書物は優に100冊を超えている。その後多くの論文が出て書籍化もされている。現代は「うそ」をつく権威の時代である。
安倍、管のやってきた政治が今の困窮化をもたらしているとはだれも言わない。自分の周りをイエスマンで固める政治家は安倍、管でもうこりごりだが、どうもトランプも同列のようで正直うんざりしている。
試験というのは、夢中で勉強してきた者だけが戦える場である。夢中にやれないのならやらないことだ。習い事などに時間を費やすことが勉強に「うそ」をつくことだと気がつく人こそ幸いである。