2024.09.13
◎過大な要求が脳を破壊する❗️
車のハンドルには、遊びと言われる工夫が施されている。ガチガチにハンドルを固定すると、小石を踏んだだけでハンドルがブレるからである。
世間の親、いや中学受験の親に限るのかもしれない。都立中受検の親は基本カネをかけないで受かろうとする傾向で共通しているから。
有名校に合格させるため子どもにはと、子どもの能力も考えないで、「べきだ」論で知識を詰め込む。これで脳が壊れないはずがない。
子どもが「理解できない」とき、それは、知能の質の問題かもしれないし、容量を無視して咀嚼しないままにインプットを急ぎ過ぎたからかもしれない。
脳に注ぐとき、脳の口は小さい。一気に大量は無理であり、また、複雑なものほど入りにくい。複雑なものは、シンプルに組み換えなければ脳は通過できない。
特に、都立志望の小学生の家庭というのは、一般的にカネを出来るだけかけないで合格したいと思っている。しかし、今はそれは無理である。都立は私立受験生の併願先として位置付けられているからである。小4前後から高学歴の比較的裕福な家庭では大手進学塾に通わせ、難関中学をめざす。そういう家庭は合格するためにはとカネを惜しまない。そういう鍛えられた子たちが都立中を侵食し始めたのである。塾も小5の中盤あたりからそろそろと考える、しかもあまりカネのかからない都立型の大手に通う、受検勉強はなんとか家庭でまかなう、そういう家庭の子たちが、熾烈な戦いの中で鎬を削ってきた子たちにどうして勝てるのか。問題を解けばすぐわかることだが、適性問題は難関私立中の問題に酷似している。
中学生も小学生も、今の私は、基本家庭でやる勉強というものを全く信用していません。夏に塾にあまり出ていない生徒の、特に、英語がめちゃくちゃになっていました。9月になって検査指導を何度もやっておりますが、基本がめちゃくちゃです。1学期にせっかくマスターしたと思った文法はゼロになっていました。わたしには最初からわかっていました。家庭では全くやらないに等しい、真剣にやることもない。だからわたしが全日程全時間を指導しなければならないのです。この夏が如何に大切か、もう二度とない夏でした。
人生というのは、とにかく「いること」、「居続けること」、これがすべてだと思うのです。いつもいること、これが成功なんです。家庭ではいつも机に「いる」ことです。いつも塾に「いる」ことです。いつ見てもいるな、これが勉強のコツです。いや人生のコツです。夏に英語を捨てたに等しい、もしかしたら数学もすてたのかもしれない。長い勉強しないという空白は決定的なダメージとなる。塾に来ない日はいったい何をしていたのですか。レジャーですか、実家帰省ですか。実際高校入試というのは親の覚悟の問題です。腹をくくって高校入試を終えるまでは勉強に専念させる、勉強を最優先させる、そういう覚悟の問題です。徒然草は人生の教訓書ですが、1つのことをやると決めたらそれに専念すること、その意味が説かれています。習い事、稽古事、スポーツ、娯楽、旅行、さまざまな大義名分、それらを優先させていれば、必ず勉強にしわ寄せが出てきます。
勉強のこつは、いつもいることです。いつもいた者は絶対に手に入らない力を手にしました。これはこの夏にしか手に入らないものでした。
わたしは家庭でやる勉強というものをおよそ信じていません。いや竹の会を始めた頃は、それでも優等生は家庭で責任感から真面目に勉強していると思っていました。
しかし、家庭でやる勉強もわたしがコントロールしないとダメだと気がつくまでに時間がかかりました。
結局、わたしの手から離れたらもうダメです。
塾に行っているのに成績が下がるのはおかしいという親がいました。塾に入って3ヶ月で効果がなければなどという親も昔はいました。自分の子どもの能力は棚に置いています。また塾とひとくくりにしていますが、そういう親は最低の費用で通える時間を想定しています。塾をいったいどのように考えているでしょうか。
受験目的なら時間をかけなければだめです。家庭では絶対にやらないでしょ。家庭での勉強に任せていると確実に成績は下がります。少なくとも中学までは子どもに「任せる」ことは失敗の選択ということです。また勉強時間を削ぐような親の計画を通したならば成績が落ちても塾に文句は言えないでしょ。