2021.05.07
お花をありがとうございます!
竹の会渋谷教室は2012年5月6日に初の指導日を迎えました。あのときは、元代々木教室の子が数人移ってきて、新たに渋谷教室に入会した子2,3人も加わってのスタートでした。元代々木教室に残った子たちは、そのまま元代々木教室に通うことになりました。今の渋谷Aだけです。渋谷Bは元代々木教室でした。それから元代々木教室は渋谷Aに吸収しました。つまり、渋谷Bはなかったのです。
というか、2011年3月11日の地震は竹の会の存続をも危うくしました。あのときは生徒が何人か止めて、公立中学も学習不振の子たちが溢れていまして、竹の会にやって来るのはそういう子ばかりでした。ほかにも塾のある建物の住人からの様々な苦情も限界に達していて、それでわたしはそろそろ潮時かと塾を廃業する決意をしました。これで竹の会は終わりか、と思っていましたが、たまたま新聞のチラシを見ていて今の場所にマンションが建つ、それで入居者を募集しているということを見つけたのです。渋谷駅の周辺に塾を構えることは、実は長年の私の夢でした。しかし、それにはとてつもない資金が必要です。それでも現地に行って見た。そしたらまだ基礎工事の最中で、建物はない。しかし、入居者は安いところから決まっている状況で、今決断するしかない、とわかりました。代理店の不動産会社の担当者とお話ししたのが2011年の初夏でした。それから融資の許可が下りるまで1年かかりました。何度も諦めかけました。都市銀行は全く相手にしてくれず、絶望的でした。2012年の1月にはもう諦め半分でした。ところが急転直下道が拓けたのです。身内の支援に助けられました。なんとか本契約まで持ち込めたのです。スタートは、5月の連休の最終日と決まりました。
それから塾仕様に内装し直して、机などの発注して、元代々木教室からの引っ越しと大変な作業でした。元代々木教室の本は半分は処分しました。それから机の配置とか、指導室の形態などいい形を求めて改善していきました。
渋谷教室は、おまけの人生です。私の夢が現実となったのです。おまけですから、できるだけ頑張ってだめなら止めよう、そう思って頑張ってきました。新しい地での開業は苦労の連続でした。だれも知らない、竹の会なんて知らない。それで生徒はパラパラとしか集まらない。受検の子は、いつも2、3人だけでした。あちこちの学校説明会でチラシを配ることもやりました。しかし、だれも来ませんでした。渋谷Aはひっそりとしてました。渋谷Bができたのはずっと後のことで、その渋谷Bも最初は1人だけでした。
渋谷教室をいつまで続けられるのか、いつも考えてきました。体力勝負ですね。1年1年が勝負です。1年全集中でやって、また考える、いつ止めることになっていもいい覚悟はしています。
そうして渋谷教室も9年経ちました。いよいよ10年目に突入です。竹の会を必要とするみなさんに支えられてなんとかここまできました。
本当にありがとうございます。
※自分の苦悩の末の思想か
小林秀雄は、「自由」第九巻の中で、「言論の自由を与へよと、といふプラカードの下に、いくら沢山な人が行進しようと、苦心創作になる言論を誰も持ってゐなければ自由の死骸を求めて、歩いてゐる様なものだらう。」
ということを述べている。
誠に然り。
昨日、テレビのニュースを見ていたら、橋下元大阪市長が、「ロックアウトは効果がない」と言い切ったら、島根大の先生(医師)から、「ロックアウトは効果はある」と切って捨てられていた。確かに、ロックアウトは効果なしする論がネットに飛び交っているのは、知っているけど、実証データなんてない。論理で根拠づけることでもない。島根大の先生は、エビデンスとなる論文などが出ていると言ったら、橋下は、「論文なんて」となんとも大雑把な返しをして、この人の底を見た気がした。
橋下は、科学の領域をも、「一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事」で、強引にねじ伏せようとした。科学、事実は、討論という果てしない論戦には使えない。科学は真理がどうなのか、であり、事実なら有るかないか、でかたがつくからである。橋下は、ロックアウトの効果までをも論戦でねじ伏せようとした。
小林秀雄がこの場にいたら、苦虫を噛み潰していたに違いない。
表現の自由と言い、世の多くの人たちは、好き勝手なことを「断言する」、「切って捨てる」。苦心創作の意見などないのに。
近頃、テレビを賑わすもの、誠に根拠のない風説ばかり。誰もがどこで誰かが言ったことをまるで今自分が考えたかのように披露する。模倣意見ばかりだ。誰かの模倣。その模倣された人も実は誰かの模倣であったりする。すなわち一億総模倣の時代である。学者にしても自分のオリジナルの意見などなく、だれかのパクリが横行する。
エビデンスの検証なしに、迂闊に人の論は信じてはならない。
誰かかが言った、たとえそれが有名な学者であっても、頭から信じる根拠にはならない。福島の第一原発事故のとき、東大大学院教授というのが、なんとも頼りなかったことか、政府、官僚は嘘をつきまくった。
そうなのである。模倣とかそんなレベルではない。嘘をつくのである。政府は嘘をつく。平気で国民の命を犠牲にする。
そもそも新型コロナが中国で猛威を奮っていた去年の2月から一年以上経ったというのに、なんで病院が逼迫しているのだ。それは政府がお得意の不作為を決め込んできたということではないか。何もしないで、GO TOなんとかはやめない。何もしないで感染が広がってきたらまた緊急事態とか、何をしているのか。
病院に入院できないで、自宅待機中に急変して死ぬ人があちこちで出てきた。この一事を見ても、政府が国民を平気で見殺しにする、つまり国民の生命など少しも大切に思っていないことがわかる。
ワクチンを確保できないで、嘘の予定ばかりを並べたてる。
新聞は何をしているのだ。政府から配られるお仕着せの情報ばかりを垂れ流す。首相がファイザーの会長と直接、電話したら、もうワクチンを確保してみたいな嘘を流す。これほどテレビ、新聞が信用できない時代はない。政府のご機嫌を伺いながら記事を書く、そんな新聞、テレビなんかいらない。
新聞もテレビもいずれ消滅する。
新聞、テレビは駆逐される、いずれは淘汰される。
新型コロナは、見事に、政府の無能を炙り出し、知事、官僚のあまりにもの凡庸さを曝け出して見せた。
これはだれしもできない神の仕業にしか見えない。