2018.02.15
おはようございます。都立高校入試2月23日が終わるまでは心から解放されることはない。ただ高校入試は中学受検とは違う、都立中学受検は「落ちる」のがあたりまえの試験であるが、都立高入試は平均1.5倍、共通問題は「解ける」問題で構成されている、つまりきちんと勉強してきた者なら得点が想定できるようになっている、だから合否の予測が安定的に「あたる」ことになっている。もちろん内申点が高ければ、優等生どうしの争いであるから、ずっと有利になる。
今日は、高校受験に勝利するには、どうすればよいのか、ということにも触れるとして、主テーマは、竹の会における合否を分けたものが何であったのか、ということを、これから受検指導に入る竹の会の小5のために、述べておきたい。
実際受検に失敗した子たちは、模試の成績も恒常的ではないにしても「よかった」子たちであり、俗にいう「頭のよい」子たちだったわけである。ただ早稲田進学会の模試では、どうしても名前を載せられなかった子、1回だけ載せた子、2回載せた子、大原の模試では、70%とか、80%という判定をとっていた子などいて、そういう子たちがなぜに落ちたのか、その原因分析は当然にしておかなければならない。特に、九段については、女子なら40人枠の中に入らなければならない。この40人枠の中に入るために、都下の優等生が競うのである。普通に考えても、稽古事や習い事、その他の家庭行事でなにかと勉強を中断する子たちが、この枠に入るのは、至難のことである。もし勉強を再々に先送りしながらそれでも合格できると考えているとしたら、それはあまりにも図々しい無知な考えとしか思えない。要するに、受検をなめているとしか思えないのである。
竹の会で合否を分けたものが何であったのか、これは実は明瞭にわかっていることである。今日は、それが何であったのか、をやや具体的に、述べておきたい。
竹の会には、指導レジュメというものがあり、小5だと、割合を極めるために、5つのステップテキストが課されています。「算数の魁」「思考の鍵」「小学思考の素~割合問題編」「新小学思考の素」「小学思考の素~その他の問題編」です。まず都立中に受かるには、この5つの過程をクリアしておくことが必要です。ところが、今回落ちた子たちの中には、「第3ステップ」の途中挫折、「第5ステップ」の途中挫折、という子たちがいました。この点は、例えば、富士合格者の中には、「第5ステップ」途中挫折の子もいたわけで、少なくとも富士クラスでは決定的にはならない。桜修館、小石川クラスだと、さらに「推理の素」「思考の源」「1%下巻」「2010年算数」などをやっておく必要があります。これは、「合格はんこ」を取りながら進める、そうでなければ合格する思考力はつきません。
さらに、指導レジュメシリーズの「推論算数」、「推論を鍛える」、「算数をクリアにする」をやっていた者が受かっています。落ちた子たちは、これをやれなかった。いや放棄していた。富士に受かった子たちは、実はやるにはやったけれど「不合格はんこ」ばかりだった。それでもやった子が受かった。落ちた子たちは、その日の指導レジュメがほとんど出せないままに月日が流れて、やり残し、手をつけてない指導レジュメは膨大な枚数となり、結局やらないままに本番に突入してしまった。
さらに課題レジュメがあります。落ちた子たちは、この課題レジュメを小6の2学期以降ほとんど出していなかった。課題レジュメには、「教養のための理科」「社会をクリアにする」「理科をクリアにする」「資料から考える」「読解の素」「新国語読解」「四字熟語」「教養」「基本作文」「新作文問題」など重要レジュメがかなりあります。こうしたレジュメは課された日から1週間以内に提出し、不合格作文については、何度でも書き直して提出しなければなりません。今回合格した3人のうち2人はほぼ完璧にこの課題のノルマをやりきった子たちです。さらに残りの1名も完全ではないけれどレジュメは出していた。落ちた子たちの中には、ほとんど全くといって出してこない子たちもいたわけで、こういう子たちが模試で突発的にいい成績をとったとしても、合格などありえないのではないか、と思ってしまいます。
さて、こうして本番で確実に合格するには何をすればよいのか、実は、明瞭です。
指導レジュメシリーズは、「その他編」(第5ステップ)までは完全に終わらせておく。完全とは、7回解き直しをする、ということです。桜修館、小石川だとこれでは足りませんが、九段なら「その他編」までの7回解き直しでも受かると思います。レジュメは「合格はんこ」をとりながら進められるのが理想です。不合格はんこの多い子は、桜修館は無理です。
思考を培う「推論算数」「算数をクリアにする」などの指導レジュメシリーズを合格はんこ主導で進められなければ正直合格は難しい。
適性レジュメシリーズの「撰」シリーズについても、合格した子たちのみ終わらせていた。ただし桜修館合格者はほとんど合格はんこをとり、富士合格者は終わらせたけれど不合格はんこばかりであったという違いはあった。不合格になった子たちは、「撰」シリーズも途中で挫折している。放棄していたというのが正確であった。
さてこうして合格した者と不合格に終わった者との差というのが、歴然となったと思う。さらに附言するならば、不合格となった者の中には、家庭学習時間が全く不足していた子たちがいたということである。もちろん家庭学習をがんばった子たちもいたけれど、前述の前提条件が欠けている中での努力は中々実を結ばない。
わたしがレジュメを積み残すなという意味をよく弁えてほしい。いつまでも出さなければそれは積み残されてゆき、数か月も経てばもはや天文学的な差となって追いつくことなど不可能、そういう状態で受検本番まで持ち越し、どういう気持ちの整理をつけて合格しようというのか。これで受かれば世話はない。落ちたのには落ちた理由があった。もし稽古事、習い事でそうした課題をやらないままにやり過ごしたのなら、それは不合格を選択したことにほかならない。落ちたと言って泣くにはあたらない。家庭行事、家庭の事情を優先させて、積み残し、先送り、不作為を続けてきたのなら、落ちて当然であり、嘆くにあたらない。
小5のみなさんはこうした先人の教えをつまり反面教師としての教えを学ばなければならない。九段なら40人の中に入るために、富士なら60人、白鷗なら60人、桜修館なら80人、小石川なら80人、この枠の中に入るためには、これから本番まで、竹の会を後回しにしてはならない。本番で番号をのせるということがどれほど大変なことなのか、よくよく覚悟してこれからの指導に臨んでほしい。
最後にひとつ、その日のうちに出さなければ決して受かることはない。それが指導レジュメの指導の意味である。出さなければ指導はないのだから。
落ちたのは、レジュメをやらなかったからです。伸びなかったのは、5ステップを完全にクリアしなかったからです。
◎高校受験で失敗しないために
竹の会で高校受験をめざす新中1のみなさんは、まずある覚悟が必要です。勉強しなくなったら早々に自主退塾してほしい、わたしにそうした労を煩わせないほしい。中学生というのは、その大半が勉強しなくなります。中2がその鬼門です。中学に慣れてきて、頭のいい者は適当に手抜きしても成績がとれる要領を得て怠ける、頭のよくない者は勉強しない、部活、生徒会活動という大義名分は親公認でますます勉強に距離を置くことに拍車をかける、こうして勉強しない中学生がたどるお決まりのコースを一直線に進むことになる。多くの中学生が選ぶ、この道は竹の会にはない。そういう道を選んだのなら早々に退塾するべきである。
中学でも竹の会の指導レジュメを「出さない」、「先送り」していれば、中学は定期試験があるから、すぐ馬脚を顕すことになる。定期試験の結果は、その都度報告しなければならない。通知表も報告義務がある。そもそもそれが目的で塾に来ているのであろう。なのに成績表を一度も提出しないというのはありえない。竹の会はそういうところではない。成績が悪ければ、退塾は当然である。指導ができていないからである。いちいちわたしに状況を報告しないで済ましていると後々大変なことになる。要するに、隠す子はいらない。
高校受験に成功するには、前倒しの勉強が当然である。中3の7月には、VもぎやW合格もぎが始まる。としたら中3の1学期までには、少なくとも高校受験の基本的なことは終えていなければならない。もし早慶や日比谷、西を受けるとしたら、それでは足りない。できればそういう課程は中2までに終わらせていなければとても受からない。としたら、例えば、中2の夏からもう準備を始めなければとても間に合わない。竹の会には数学や英語の効率的なシステムが完成しており、これをとにかく前倒しで進めて行けばいいことになっている。ところが。現実には、なかなか進められない、定期試験が近づけばそのための勉強に時間をとられるし、部活もある、生徒会もある。そのすき間時間でいったい何がどれだけやれるというのか。必然日比谷、西をめざすといっても、多くの秀才は空中楼閣を描くだけで終わるのがオチである。
いいですか。高校受験に成功するには、もう中学に入る前から、準備に入らなければならないのです。のんびり過ごして、入学式を終えて、部活を選んで、部活で日を潰す、そういうことをしている人はすでにちがう道を進んでいるだけです。高校受験で成功する、つまり小山台、駒場、新宿、青山、戸山、西、日比谷のどれかに入りたいとしたら、すでに中学受検でやってきた勉強以上の勉強の道を進むしかないのです。だからどの道を進むかは、すでにもう選択されている。中学は中学受検以上に勉強した人が、名のある都立高校に進み、大学という名に値する大学に進み、自分の「生きる」道を進むことを実現させていく過程にほかならず、中学を楽しむなどということを言う親や子が、将来とにかく高校に行き、なかにはとにかく大学に行き、待ち受けている職業がどんなものかは知らないが、そういう親には、つまり中学は勉強だけではない、部活に汗流しいろいろ経験することも人生であり、糧になると考えて止まない親たちには、どのような将来の姿を子に想定しているのか、訊いてみたいものであるが、訊く価値もなかろう。