2022.11.18
なぜ小6で伸びないのか
これは、わたしが高校受験専門でやっていた頃、特に、女子について言われていたことである。女子は中3になって成績が落ちる、という偏見と軌を一にしていた。これは女子だけでなく男子も変わらないと修正すれば当たらなくもない。いずれもその原因は、能力の問題を考えなければ、同じであるからである。
失敗する親の思考パターンは、教育になるべくカネはかけたくないという本音とそうもいかないという現実への不安との葛藤の結果なのだろう。たいてい「まだ‥‥だから」という形をとる。特に、公立小では、女子にはカネをかけない親が多く、これは端的に「女子だから」となる。都立中高一貫校が圧倒的に女子に人気なのは、それまでどんなに優秀でも経済的理由で私立受験とは無縁だった女子に経済的な箍(たが)が外れたからである。『‥…』には、「まだ『入塾したばかり』だから」、「まだ『小5』だから」、「まだ『小4』だから」というように勉強に消極的な根拠が入る。新型コロナの感染が広がった年の小5を新型コロナ第一世代と呼ぶと、第二世代までは、過度に強調された感染の恐怖からか、休塾に積極的な親、夏の集中指導にも積極的ではない親、したがって何かにつけて消極的な親の存在が印象的だった。第一世代でもコロナを恐れない親はいて、いや正確にはコロナは恐れていたがそれよりも学力の低下を恐れていたのであることは間違いなく、リスクの中通い切った子たちの中から合格者が出ている。第二世代、つまりコロナ2年目の小5になると、感染の広がりが衰えなかったことの影響が大きく、何かにつけて消極志向の親が、「まだ…だから」の論理を使わないでも須く消極的なことが顕著であった。その結果は歴然としていて、小6になって「伸びない」という、定型的な結末を迎える、ことになる。小6になって、「もう小6だから」の論理をとっても最早「遅し」なのだけれど、それでもまだ、「まだ…だから」の論理をとる親もいる。
小6になって伸びるかどうか
これはあげて小5のときにどれだけ手をかけてあげたか、にかかる。小6になっていくら手をかけても小5で手抜きしていたら意味はない。まず小6になれば、例外はあるが、誰でも手をかけるものだ。つまり、みんな一斉に手をかける、そうなれば、普通は、能力順にしか、色は出てこない。
高校入試でも同じだが、能力があることを前提に、前倒しの勉強をした者が受かるのだ。
小学生も同じだ。受検は前倒しが鉄則である。「手をかけるほど伸びる」を規準に「手をかけて」やることである。理想は、小5の4月には、割合上級、夏には適性レジュメに入れるほどの仕上がりだ。
失敗するのは、早期から「手をかけなかった」親なのは、実は私には自明のことである。
どんなに優秀な子であってもまだ子どもだということを忘れてはならない。優秀だから放っておいてもできるようになる、そんな話しはない。逆だ、優秀なほど手をかければ伸びるという話しだ。手をかけるのは、まだ子どもだからだ。まだ自分で勉強の方法を選択できないほどの子どもだからだ。これは高校受験でも同じだ。
小5で適性問題は可能なのか
適性問題の適性とは、何に対する適性なのか。
それは常識的な大人社会への適性能力である。常識的なとは、大人規準の「あたりまえ」のことであるが、お上(かみ)の発想は、江戸時代から変わらない。儒教思想、孔子の論理、つまりは、道徳的かどうか、である。砕いて言えば、水戸黄門の勧善懲悪、つまり善を勧め、悪を懲(こ)らしめる、である。お上の述べていることを「一字一句」逃さず、従順に、遵守(じゅんしゅ)しなさい、ということである。不適性とは、言い付けに不従順ということである。あるいは、道徳を否定した、建前論、主観的正義を貫くことである。お上の出題なのだから、その頭は飽くまでも旧い道徳なのだ。理科なんか、道徳的な色はないと思うかもしれないが、そういう場合でも、常識的な見解、つまりは、定義、通説にしたがった、つまり、お上の教科書に書いてあることを書けばいいのである。
小4には、割合中級まで、終わらせておくのが、理想です。これを逆算すると、小3には、割合初級、小2までに、計算マスターが理想ということになります。竹の会で計算マスターというのは、難関中学の計算問題4問を5分で正解させる力です。これは、知能の遅速を計るメーターの意味もあります。4問を1時間かけて、1問正解という子もいます。断っておきますが、計算4問に挑戦できるということは、余りのある小数の割り算、概数、四捨五入、通分、分数の四則混合、約分、逆算など計算の基本概念を全て実践を通してマスターしたことを前提に、ある程度の訓練を重ねている、ということである。これを小3が本当にやっているのか。いる。竹の会ならいる。そうなるには、小2からスタートという話しになる。竹の会が早ければ小2がいいと言っているのは、そういう伏線がある。だから竹の会では遅く来れば来るほどこの手順が狂うことになる。小6直前に来て、小5直前の子の方がはるかにできるということもよくあることである。
かつて小4の女子の母親が、世田谷区から通わせるのを危険と判断して地元の塾を選んだことがあったが、そういう親も多い。
竹の会を「遠い」と思うのはわかるが、竹の会には低学年から通っている、しかも女子の親も多いが、遠くてもそれがマイナスにはならないという強い意思を感じる。
わたしは竹の会の親御さんは自分の子が塾でどういう指導を受けているのか、しっかりと把握されている、自分の子がどういう状態(能力も含めて)なのか、わかっていて、そういうことも含めて、塾が対応していることをきちんとわかっているのではないか。とにかくそれぞれの能力に規定されつつも、確実に前に進んでいる、少なくともそこのところはわかっているのではないか、だから、信頼して、まかせている、そこに揺るぎがないからなのではないか。