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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

わたしはこの子らのために泣くのだらう‼️  

2021.12.04

 

わたしはこの子らのために泣くのだらう‼️
 平成26年2月都立中高一貫校を受検した3人全員が落ちた。高校受験は都立駒場に合格させることができたが、わたしにはかなりのショックな出来事であった。うち2人は早稲田進学会模試の上位の常連であったのに。女子の1人は白鷗を受検して補欠10番で繰り上がりなしで、宝仙理数インターに進んだ。もう一人の女子は小石川を受けた。そして実力者の男子は桜修館を落ちた。三人の子らと心を通わせて頑張ってきた。そのショックは大きくわたしの落胆もそうだが、あれだけ素直にわたしの言うことを守ってくれた子たちが不憫でならなかった。わたしの指導ミスであった。レジュメを絞りきれず、23年に使ったレジュメを、しかも大量に課してしまった。合格発表の日から1週間辛かった。心が重かった。毎日夜道を教室からとぼとぼと歩いて帰った。三人の哀しそうな顔が頭を過った。一人一人思い浮かべてたら、涙が溢れてきて止まらなかった。わたしにできることは、君たちのために泣くことしかできない。わたしの思いはあの子たちに伝わっていたことが後年わかった。去年のことだった。まず桜修館を落ちた男子のお母さんから年賀状をいただいた。そこには日比谷慶應志木に合格し慶應に進んだと書いてあった。春になって宝仙に進んだ女子から連絡が来て教室で会った。東北大学合格したという報告だった。それから間もなく教室に電話があった。小石川を落ちた女子からだった。あれから日比谷に進み、杏林大学医学部に合格した、という報告だった。
 あの子たちも竹の会のことを、わたしのことをずっと気にかけていたのだな、とわかった。
 そうだよね。三人で頑張ってきたのに、あのまま別れ別れになって、わたしにはかける言葉もなかった。宝仙に進んだ女子は教室にやってきて、「宝仙で頑張る」と健気に小さな声で言ったけ。あの子はわたしにどうしても直接会って合格を報告したかったのだ、と思った。なにしろ小2の4月にトコトコと本当にちいっちゃな子が見学と言ってやったきて、試しに計算のドリルをやらせたところ、1時間、2時間と解き続けたのだ、「もうそろそろ」と言ってもやめない。お母さんが「もっとやらせてほしい」と言う。それで4時間ほどやらせたかな。その頃竹の会は小2はやってなかったので、「来年の2月に来てね」と見送った。一年経って本当にやってきた。とにかく集中力はすごかった。漢検は2級まで取った。小6になって算数がなかなか解けない、それでいつも泣きながら出してきた。余程悔しかったのだろう。白鷗は終了直前に計算間違いに気づいたそうで、結局補欠10番だった。小2のときの勉強好きの女の子は、小6になって悩める少女に変わっていた。
 かける言葉もなく、わたしはこんな熱心な子にこのような結果が齎されたことを深く悲しんだ。私はいつも最後に別れた、悲しそうな顔が無理に笑顔を作った、あの時の顔を胸苦しく思い出した。
 その子がこんなに成長してわたしの前に現れた。「東北大学に合格しました」と今度は本当に心からの笑顔を見せてくれた。
 もう一人の女の子は、小石川をめざした。とても素直で熱心でわたしも心にかけてきた。遅くきたので小石川には足りなかった。彼女は志し高く、都立日比谷に進み、杏林大学医学部に合格して、医者になりたい、という夢に突き進んでいた。大学に合格して部屋の整理をしていたら、竹の会のレジュメが大量に出てきて、竹の会のことを思い出して、電話してきたのだという。彼女からもらった箱根土産のしおりは今も大切にしています。
 桜修館を落ちた男子は、頭のいい子でした。確か小4の時にきたと思います。3人の中では、この子と白鷗に落ちた子の二人が元代々木教室からきた子たちでした。
 彼は早稲田進学会の上位の常連でした。白鷗を落ちた子も上位常連でした。だからわたしはこの二人は受かると踏んでいました。
 彼はわたしを神様のように崇め、信頼してくれていました。
 だからこの年の結果は一入わたしには衝撃でした。これほど悲しんだことはありませんでした。みなわたしの愛情を一身に受けて育ててきた子たちでした。
 その彼が日比谷高校慶應志木に合格したと聞いてわたしはようやく安堵したのでした。
 竹の会の子たちは飛躍するのですね。わたしの指導を受けた子たちは志も高く未来に才能を発揮して伸びていく。わたしはそう確信しています。だって、卒業生の皆さんから、日比谷、戸山、小山台、早稲田大学などに合格したと竹の会のことを、私のことを忘れないで、次ぎ次に報告してきます。たかが、こんなちいちゃな塾にわざわざ忘れないで報告してくるなんて、竹の会はあの子たちには忘れられない存在だったのでしょうか。そして本当は報告しているのが、お母さんの気持ちだということをわたしは知っております。もちろん当の子も強い気持ちがあったのだとは思いますけど、お母様たちが竹の会を特別の感情を持ってくれていたこと、竹の会の先生には是非報告しなければという思いをわたしは知っております。ありがたいことです。
 竹の会の子どもたちには、わたしの思いを一心に注いできたつもりです。わたしはどんな子もわたしのすべての気持ちを込めて指導してきたつもりです。
 素直な子が一番ですね。子に問題があれば親の問題です。親次第です。子が素直なら親も素直なものです。27年桜修館に合格した女子は礼儀正しく素直な子でした。彼女がインフルエンザに罹って竹の会を休むしかなかったとき、彼女は涙をボロボロ流して泣いたそうです。それを見たお母さんも一緒に泣いたそうです。お母さんは、竹の会をとても信頼していました。入会試験に落ちたら受検もやめると約束して竹の会に来たのだそうです。とても素直というか、純粋な心を持ったお母さんだと思いました。
 いろいろと言ってくる親御さんもいますけど、不思議とそういう親の子は受からなかったですね。
 子ができないと親もどうしても塾に不満を持つ。だからいろいろ言いたくなるのだと思います。竹の会は、ある一定の水準にない子は来てもだめです。最初から来ないことです。竹の会は才能のある子の才能を抽き出し伸ばしてやる、そういうことしかできないと思います。才能のない子にはなにもできない。だから塾に文句を言ってもどうにもならない。才能のない子の不運を塾の不手際とすり替えないでほしいと思います。
 親ガチャという言葉が、流行っていますが、端的に、子ガチャもある、子ガチャの問題だということなのです。才能のある子もいればない子もいる。それが現実です。自分の子は別だと考えたい、それで塾を探す、塾がなんとかしてくれる、と考える。しかし、うまくいくことはない。問題の本質はそこにはもともとないからです。
 

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