2020.05.29
トップ都立高校合格の方程式
合格方程式の未知数、つまりXを求めることが、塾の仕事であることは当然である。
Xを変数とすれば、Yも変数である。Xは様々な方法、戦略であり、Yは合格、不合格という、本番の結果と考えれば、もし、Xが一つに定まればYも決まる関係にあれば、YはXの関数となる。
関数には、変域がある。
Xの変域は定義域と言われる。因みにYの変域は値域という。
定義域については、一様ではない。一定の能力がなければならないというのは定義域の問題である。それなりの努力をしなければならないというのも定義域の問題である。それに加えて竹の会独自の定義域というのがあります。素直さというのは、定義域です。親の口出しは定義域外になります。自分で考えないというのは、もちろん定義域の外です。カンニングというのは、論外です。誰かに聞く、誰かの答えを見る、解答を見るなどの行為は、広義にはカンニングです。こういう行為をXは想定していません。
塾というのは、定義域を満たす子を指導して、関数的処理して合格という値を出すのが仕事です。
定義域については、さらなる詳論をしなければならないが、ここでは、まず関数的処理について内容を敷衍しておきたい。
関数的というからには、一定の規則的、定型的処理が想定されている。
実は、塾というのは、この規則的、定型的合格法というものを探究してきたし、その真偽はともかくとして提示して喧伝してきたわけである。
竹の会は、思考こそ最強の手段であると考え、思考を鍛えることに力を注いできた。暗黙のうちに、規則的なものを、実は漠然と思考力と見抜いていた、と思う。竹の会の受験対策は、最初から、迷わず過去問を使って思考の力をつけることにあった。竹の会が開設当初から合格者を出し続けてこれたのは、この規則的なものを早くから見抜いて正面からその対策に取り組んできたことにあったと思う。わたしのこの過去問を使った指導法は後に「過去問合格法」として確立された、定番の方法になった。
過去問に精通し、わたしの頭の中は100以上の高校の過去20年から30年分の入試問題がインプットされていた。子どもの偏差値、弱点からその子にもっとも適切なる過去問を用意して解かせる、これを瞬時にやったので、当時神業と言われた。子どもたちには徹底して考えさせた。それでも解けないとき、わたしは、藁半紙に手書きの解説を書いて描いて示した。図を描き、色彩をつけて示した。時には過去問のコピーに直接解説をかいた。
これが子どもたちの考える力を伸ばしてきたのだと思う。わたしの指導法は今もその基本においては当時と少しも変わらないと思う。
当時と今の変わったところ、それは藁半紙解答がレジュメ解答に変わったところだ。
平成10年、まだインターネットの普及率は低くかった。あの頃、最初に買ったパソコンはMacのクラッシック、結局使いこなせず、次に、NECのデスクトップ、これは家庭用であったから、これを参考に、NECのノートを買った。この頃と思う、私が、竹の会の歴史を変えることになるパソコンソフトに出会うのは。新宿の量販店、パソコンソフトのコーナーを見ていて、気になったソフト、半信半疑で買った。かなり高価なものだった。買って一年は放ったらかしにしてた。ある時、思い立って、いや意を決して使った。まず数学の教材を試作してみた。1日一枚かな、毎日やってたら、結構使えるようになってきた。いろいろな教材を試作した。次第に自信をつけていった。平成17年3月、転機が来た。都立西志望の小6女子が中1になるのを機に、竹の会の中学教材の全面的レジュメ化に踏み切ることにしたのだ。毎回の指導のたびに、執筆、製作したばかりのレジュメを配り、指導した。この作業は2年かかった。2年で竹の会の高校入試のための教材のレジュメ化はほぼ完成した。わたしはさらに書き溜めていた高校入試の過去問の解説をレジュメ化していった。この女子が、平成20年2月、豊島岡女子学園、都立西に合格したことで、竹の会のレジュメ指導は、実質完成した。
わたしの教材製作に使ったソフト、仮に、Cソフトと呼ぼう。このソフトの熟達度をさらに精緻化することになったのが、平成24年2月スタートの竹の会入会テストシリーズレジュメの執筆、製作であった。わたしはこの製作に全知全能をかけたといっても過言ではなかった。簡潔な解答、シンプルなる解答解説を旨として、特に、図、表、グラフには、創意工夫を凝らして、ソフトの持てる最大限の能力を使い、微細な表現、描写を心がけた。わたしは、時に芸術家にもなったような錯覚に囚われた。形を描き、色彩をつけ、それはそれは繊細な図を描いた。わたしは嬉しくてしかたなかった。
まだパソコンがなかった時代、私は、教材の限界に指導の閉塞感を否定できない時代を耐えてきた。自分の思うように図をかいて教材を作れたならといつも思い、大手のテキストに羨ましさを持っていたことは否定しない。
自分の教えたいことを自由に作れて図を自由自在に入れられる、わたしにはまさに夢のようなことであった。それが本当にできるようになったのである。これほど嬉しいことがあるであろうか。
わたしはパソコンという、降って湧いたような機械によって、もはや大手に負けない、どころか大手を遥かに凌ぐ、上をいく教材を作ることができるようになったのだ。わたしの想像を思うとおり文書化も図化できる、これは奇跡的な転換であった。竹の会の未来を一気に変える、一夜にしてはるかに大手を凌ぐ教材が時宜に応じて自由自在に作れるようになったのである。
もう大手は恐くない。敵ではない、と確信した。
こうして、竹の会は、規則性、合格の規則について、思考力をつける、という、揺るぎない信念をもって指導を重ねてきた。
竹の会は、思考力を如何にしてつけるか、というテーマをライフワークとして、研究と実践を重ねてきた。だから竹の会には、実は、実績に裏打ちされた合格に導く家伝ともいうべき方法がある。
さて、どうであろうか。
竹の会の合格方程式の未知数はあきらかになったでしょうか。