2023.05.13
🟡レジュメだけで合格できる〜桜修館編
令和5年桜修館合格がもたらした、合格の正体‼️
竹の会が、都立中高一貫校のための適性対策レジュメを本格的に制作し始めたのは、平成24年2月前後かと思う。もっとも算数レジュメについては、平成19年には制作開始していた。当時は、割合に悩む公立小学生のための割合指導法の開発に没頭していた時期であり、適性問題にまで手が回らなかったというのが正直なところかもしれない。適性対策は、過去問合格法によった。平成23年頃wordで主に国語系の適性対策レジュメを執筆した。「適性虎の巻」シリーズなど。公立小の子どもたちが、適性問題過去問に全く歯が立たないことを知ったのもこの時期であった。当時の小6のレベルの低さは、学校の優等生でも、適性にはほとんど点にならない、という学力を見て、かなり衝撃を受けたものである。
通分も理解できない小6、割合はほとんどわからないという小6、割合のベタな問題なら解ける小6、こういう子たちが適性問題を解けるはずもなかった。
わたしは、適性問題を詳細に解説したレジュメの必要性を痛感していた。平成23年末竹の会でも入会試験を取り入れて生徒を選抜しようという気運が昂まり、平成24年から、渋谷教室の移転に合わせて実施の運びとなった。
ここからわたしは本格的に適性問題解説レジュメの執筆に取り組むことになる。パソコン用ソフトは、wordではなく、マイナーな数式ソフトを使った。wordのように日本語入力は優れていないが、それよりも、グラフ、図版が自由に作れて、わたしは思い通りのレジュメを制作することができた。かつて大手塾のテキストを自由に作れて羨ましく思ったことが、あるが、今はどんな複雑な図でも、思い通りの図を描き、グラフを差し込み、図の好きなところに文字を振り、図もカラーで色彩豊かに制作できる。読む者の理解を図版を駆使することによって格段に容易にしたのではないか。
わたしのレジュメを読んだだけで、たちまち深い理解にら達する、これが理想のレジュメだ。だからもしわたしのレジュメ読んでも全く理解できないとすると、もはや通常の理解能力もない、と判断して間違いはない。
こうして、わたしは、桜修館攻略法を完成させた。桜修館合格法はわたしの手の内にある。何をどうやれば受かるのか、私には、手の内で、レジュメを処方するだけでその答を示すことができた。
優等生なら誰でも受かる、ということではない。このブログでもたびたび指摘してきたように、受かる子のタイプというのは決まっている。勉強しにきたのに、四六時中食べているような子が受かるはずもない。四六時中おしゃべりをしている子が受かるはずもない。要するに,勉強に集中できない子が受かることはないのだ。
ごうがんふそん【傲岸不遜】(名・形動)[文]ナリ
自分を偉い人間と考えて、相手を見下した態度をとるさま。
子どもにも、傲岸不遜な子というのがいる。子どもが失礼な言動を吐くのは、それだけで合格の芽はない。これは躾がない、ということよりももともと躾などという観念は存在しないという、過保護世代の産物である。人に傲岸不遜な態度をとる子は、いずれ勉強に対しても傲岸不遜な態度をとることはは避けられず,試験に受かるはずもないのである。昨今の風潮は過保護世代に蔓延していく傲岸不遜な人間の生産である。
習い事、稽古事、スポーツに時間を注ぐ者は受からない。これも言い古されてきたが,至極当然の話しである。受験というものを知らない家庭層に多い。よく部活と勉強を両立させたなどという成功談を語る人がいるけれど、これを一般化することはできない。特殊・個別・例外を主張するのは勝手だが、それは飽くまでも特殊な例外に過ぎない。以前わたしが早くから塾に行かなければ受からない、というようなことを書いたことがある。するとどこかの父親が「危険な考えですね。うちの子は塾に行かなくても受かりましたよ」と反論してきたことがある。たった一つの特殊な例を一般化する粗さである。
いちばん危険なとき
車に轢かれる危険が最も大きいのは、一台目の車をうまくよけた直後だ。同じように、仕事においても日常生活においても、問題やトラブルをうまく処理して安心から気をゆるめたときにこそ、次の危険が迫っている可能性が高い。
これはニーチェの言葉である。
学ばなければならないのは,「気をゆるめた」瞬間のリスクである。ほっとしたときがいちばん危ない。事故は稽古事の最中に、その行き帰りに起こるものである。気を抜いた瞬間に魔の手が襲い来る。旅行が怖いのは旅行で気を緩めたままの状態が日常に持ち越されるからである。原発事故も気を緩めた結果,不作為を決め込む人間の本質に根ざす怠惰心、横着さが招いた。勉強、受験というのは,気をゆるめないのが成功の秘訣である。食べてばかりいるのは、気を緩めっぱなし、おしゃべりも気を緩めっぱなし、ということであり,緊張感のない人が落ちていくしくみが試験ということである。