2022.09.23
上位都立に合格し喜んだのも束の間、やがて訪れる落ちこぼれの高校生活‼️
私は県立高校出身である。県立と言っても県下の進学御三家と言われた高校の一つである。
進学校の授業というのは、今振り返ると、全く面白くない、ものであった。授業は、プリントが配られ、それを家でやってきて、出席番号順に当てられた者が、授業開始前に、黒板に当てられた問題の解を書く。やがて先生がやってくると、その解をチェックしていく。その間、他の生徒たちはひたすら解をノートに写す。教科書を使って説明するなんて授業はない。夏休みもほとんどない。補習に追われる。もちろん冬も春も休みはない。修学旅行もない。英語は予習してきてなんぼである。どっさりと参考書や問題集が配られる。説明も何もあったものではない。与えられたものを読んで、そのテストがある。すべて実質独学である。あっという間に手付かずのプリントの山ができる。
私が一番悩んだのは、数学だった。級友たちが、なんでプリントの問題が「解けて」黒板にすらすら書けるのか、不思議で仕方なかった。そのうちネタ本があるのだということがわかってくる。教科書ガイドは必須だった。しかし、教科書ガイドは値段が高く親に言えなかった。最大のネタ本は、チャート式数学だということがわかったのは入学後1年もしてからだ。そしてさらに東大進学するような奴は、ありとあらゆる参考書を揃えているということを知った。東大に進学したある級友は一度訪ねたとき決して部屋に入れてくれなかったが、チラッとドアが開いた瞬間に見えた本棚にはなんとびっしりと参考書が詰まっていた。つまり、成績もお金が前提だった。しかし、先輩の徳田弁護士(最近テレビニュースで姿を見た)は、赤貧だったと聞いている。参考書なんか買えなかったはずだ。なにしろ靴が買えずに下駄で通ったという人だった。家も線路脇の粗末なものだった。側を機関車が通るたびに家が振動したという。集中したらもう周りのことは耳に入らないと聞いたが、この人に参考書は必要なかったのだろうか。
昨今の難関と言われる国家試験は、予備校をダブルで通えるほどのカネがある人が早く受かる、というのは、だれでも知っている。
都立駒場高校の話し。進学した生徒の話しだが、この学校は、全体的に、数学の得点が低い。ある学期の定期テストで、数学の平均が30点台だということを聞いたことがある。数学は、大半の高校生が、わからなくなる科目だと思う。かと言って予備校の高度な授業でできるようになるわけではない。本当に初歩的なアドバイスだけで、簡単に克服できる、そのようなピンポイントの指導がないために多くの高校生が落ちこぼれる。わたしにはそのことがよくわかる。自分が高校生のとき、そうだったからだ。数学で「えっ」、「何?」「どうなってるの?」というとき、たった一つの、適切なアドバイスがあったなら、数学で挫折することもなかった、とよく思う。簡単過ぎてだれにも聞けない。しかもそういう疑問が次から次に出てくる。学校の先生は忙しくてそんな一人の落ちこぼれに付き合ってくれない。参考書もない。考えると言っても正直不可能だ。こういうとき、数列なら、順番の数nと項の関係から考えるんだよとか、整式の計算のコツとか、因数分解の扱い方とか、三角関数の公式の使い方とか、ワンポイントで指導してくれる人がいたらどんなにか数学を簡単にスイスイと終わらせられたことか、と思う。
都立上位校に行っても多くの高校生が数学で挫折する。だから数学を捨てて、つまり国立大を諦めて、私立文系に進む人の如何に多いことか。私立文系なら、科目は、英語、現代文、社会1科目だけだ。英検準1級なら早稲田だって難しくない。
こうして国立大に行けなかった高校生の数学物理化学コンプレックスは一生を規定する。
数学で迷わないように道案内できるガイドの役が真に塾に求められていると思う。黒板で授業する塾などなんの意味があろうか。
竹の会が、私が、一番気にかけてきたこと、それは、竹の会がガイド、道案内の役を果たすこと、であった。指導とは、本来、それなりと頭のある子に、要所、要所で迷わないポイントを指示する、ことではないか。指示されても何を指示されたのか、わからないような子を指導するというのは、本来できないことなのである。そういう子は少なくとも竹の会ではない。世の中には、そういう子を引き受ける塾もあろう。
竹の会の教材は、私の理想の指導を担う、欠かせないアイテムである。私はもともと高校受験の指導を得意としてきた。首都圏の難関校の過去問なら40年前後の過去問を解き尽くしてきた。私なりに高校入試の数学を極めてきたつもりである。竹の会の定番レジュメ「入試過去問撰」は、私が選んだ珠玉の70問に詳細なオリジナル解法を解き明かしたものである。その中には、高校入試数学を解くために必須の道具が網羅されている。道具とは、例えば、2直線が90°で交わるなら、傾きの積が-1になるなどの知識を指す。どんなに数字ができない、苦手の生徒でも、この私のレジュメを7回以上繰り返せば、都立共通問題90点は取れるようになる。数学の得意な生徒なら、このレジュメだけでも、國學院久我山レベルで90点は取れる。しかし、難関私立だと、これでは足りない。私には、都立独自校の数学200題に詳細解説をつけたレジュメもあるが、開成、筑駒だと私独自のアルゴリズムがある。ちなみに、私は、城北や巣鴨レベルを難関校とは考えていない。ここは誤解して欲しくない。平成10年に早稲田実業高等学校の普通と商業に合格させたことがあるが、その時は、代々木ゼミナールの全国模試を受けさせた。12月の模試では全国順位200番前後だったか、とにかく代ゼミの模試結果資料に名前が載ったのを覚えている。名前を載せたのは、渋谷区では彼一人だった。彼の級友たちは河合塾や代ゼミに多数が通っていたが、あのとき、早実に受かったのは、渋谷区でただ1人という快挙だった。あの時から、難関校と言えば、早実、慶應が浮かんだ。逸材は、大手に集まる。竹の会には、大手と縁のない、学校の真面目な優等生がいたり、ごく普通の子たち、それからどうしようもないできない子たち、そういう子たちが集まる塾だった。竹の会で難関を受けようと思う生徒はいない。そういう生徒は、みな大手に移った。竹の会では受からないと思ったのだろう。しかし、そういう生徒が成功したという話しはとんと聞いたことがない。城北、巣鴨、立教新座あたりを難関と勘違いして、受かったと言うのなら、私には、何を言っているのかよくわからない。
竹の会の英語は、昭和60年スタート当時には、蓄積は皆無であった。わたしは、学校の教科書を使って授業した。近隣には、評判の英語専門塾が君臨し、上原中の生徒の、おそらく8割は通っていたのではないか。代々木中の近くには有名な英語専門塾があり、ここも代々木中の生徒を集めていた。私は竹の会の英語を、私の大学受験の経験を基礎に、「受験英語」として確立することに腐心した。市販の参考書問題集をすべて買って読みまくった。それから第一教科書という会社から学校採用の参考書、塾用として販売されていた教材を手に入れて、徹底的に分析した。そのうちに竹の会も塾専用教材を扱う会社との取引ができるようになり、多くの教材を手に入れられるようになった。それから私は狂ったように、英語のレジュメを作り始めた。当時はワープロ専用機が隆盛期にあり、私は東芝、NEC、日立などの専用機を何台も潰した。また青山学院中等部などの生徒から学校プリントを手に入れることができ、さらに大阪にある、プログレ英語の会社とも直接取引して、教材を手に入れた。こうした教材を参考に私は竹の会独自の英語レジュメを制作していったのだ。何年か経つと制作した英語レジュメも膨大な量に達した。さらに私は高校入試問題を一問一問解いては、英語レジュメとしてきた。機は熟した。わたしは、満を持して、竹の会の英語テキストの制作に取りかかった。
まず、たたき台として、素案を作った。骨太なテキストだ。私はこのテキストの骨格に、これまで作ってきた大量の英語レジュメを編集していった。この道程は簡単なものではなかった。それはそれまで制作してきたレジュメはすべてワープロ専用機で作り、フロッピーディスクに保存してきたものであった。わたしは「英語指導案I・II・Ⅲ」をワープロ専用機で制作した。ポイントは小さく読みづらいものではあったが、とにかく完成させた。その後、ワープロ専用機からパソコンへと時代は変わる。新たな「新英語指導案」の制作計画に入ったとき、フロッピーディスクのデータをパソコンのワードに変換するのに、苦労した。結局、すべてを打ち直した。旧英語指導案完成後に書き溜めた大量のワードデータを活用したかったからだ。「新英語指導案」の完成後、私は、早実対策として作った「英語ポイント集」、慶応女子対策として書いた「英語合格本」を一つにまとめる作業に熱中した。こうして「入試英語指導案」が完成した。このテキストを使った戸山合格の男子が、これを7回回して、國學院久我山の英語で「90点以上取れました。この中から同じ問題が何問も出ました」と報告されたときには、内心ほくそ笑んだ。竹の会では、開設の時から、英文解釈指導用として日栄社の「高校用英文解釈初級」を使ってきた。この小冊子は、版を重ねたロングセラーだったが、今は絶版となった。最初このテキストを使ったとき、親たちからクレームがきた。「中学生には難し過ぎる」というものだ。しかし、私はその必要性を訴えて、貫いた。このテキストからはよく私立を受けた生徒から、同じ英文が出たという報告があった。偏差値の低い生徒が同じ英文が出たことで志望校に合格したこともあった。竹の会の定番だった、このテキストが絶版となるのを畏れて、すべての英文を打ち込んでレジュメ化していたので、今も竹の会では最初に取り組む英文集となっている。その後、研究社の高校英語副読本シリーズ(これも絶版、今では希少本となってしまった)が、竹の会の主力教材となったが、このシリーズ全5巻のうち、3巻はなんとか入手できた。かつて青山学院高等部の女子生徒、都立西の男子生徒の英語指導に使った東京大学教養学部の英語教材は、難解な英文集だった。私も研究社の新英和中辞典をたよりに悪戦苦闘した覚えがある。あのテキストを訳したとき、江戸末期緒方洪庵の適塾で手製の辞書で蘭語の医学書を訳していた適塾の塾生はこんな感じだっただろうかと共感したものであった。幸い竹の会塾の二人は、それぞれ慶応大総合政策、慶応大理工学部に合格していった。
英語指導案(素案) 英語指導案三部作
幻の名著「英語ポイント集」 慶應女子のための英語
竹の会英語の集大成
私は高校生は滅多に引き受けることはない。しかし、私はあの二人が、高校生になって、数学に躓くことなく、順調に成績を維持できたのは、わたしの得意とする、高校生の数学の陥り易い陥穽をその都度、解き明かしてきたからではないか、もちろん優秀な二人であったこともある、と思う。女子生徒は、3年間10段階評価で、数学、英語のすべての科目で、10を取り続けた。西の男子生徒は、西高で、3年間常に320人中50番内にあり続けた。彼は東大受験した一浪の年、三大模試で全国順位20番台を取ったほどの実力であった。
私は、多くの高校生が、数学の、ほんのひと言、本当にワンポイントのアドバイスさえ与えれば、難なくクリアできるのに、僅かに理解が及ばないために、落ちこぼれていくことを知っている。数学で躓く高校生は、本当にどうでもいいような些細なところで躓く、その時に、適切なガイドさえあれば落ちこぼれることもないのに。そういう些細な疑問は、わざわざ学校、予備校の先生に質問するほどのものではないために、スルーされる疑問だ。そういう疑問が積み重なり、数学から脱落していく、ことになる。
考えてみれは、私の指導のコンセプトはすべてここに還元されるのかもしれない。私は常にガイドであった。迷える子どもたちをガイドとして、一人一人に真摯に接し、導いていく、そういう姿勢を貫いてきたと思う。
※ 漱石の『三四郎』の中で最も重要なワード、作品のテーマとも重なる、「迷える子(ストレイシープ)」という言葉です。
※ 家畜である羊を捨てる飼い主はいないでしょうから、「ストレイシープ」は「群れからはぐれた羊」という意味です。キリスト教の有名なフレーズ「迷える羊」の英語に相当するのが “stray sheep” です。
※ ストレイシープ〖stray sheep〗迷える子羊。旧約聖書の「イザヤ書」のたとえから、人生に迷っている人のことをいう。
注 新約聖書の語句という説明もある。