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先人を敬い、飽くまでも謙虚な精神が、自分を成長させるということを知れ!

2021.10.23

 

 

◎先人を敬い、飽くまでも謙虚な精神が、自分を成長させるということを知れ!

 奢りを若気の至りと宥恕できるのか。
 先人を敬え!
 だから敬語を学べ!
 がまともに書けない。これも先人の遺産である字を軽視した結果である。親はまず子どもに何を置いてもを学ばせなければならない。よく早期英語教育などと言って英語だけは熱心に子にやらせる親がいるけれど、まず日本語の勉強でしょ。読み書きもまともにできなくて何が教育なのか。日本語よりも英語というのがわからない。字もまともに書けない、そういう子こそ悲惨であろう。中学生、高校生になってもまともに字を書けない子たちを見ていると、親に問いたくなる。これでよかったの? 正直ノートも取れない子に将来なんてあるのか。
 一番読み書きを訓練しなければならない時期に放っておいては子の将来を摘むことになる。就学前から就学後が勝負かも知れない。慌てずゆっくりと丁寧に字を書く癖をつける。時間をかけてじっくりと書きの練習をさせる。毎日日課としてやらせる。親がつきっきりで厳しく見守ってやるのがいいが、そうもいかないのだろう。子は親が目を離せばすぐ飽きる。
 丁寧なのいいを書けるようにする、これは子に先人の遺産を着実に継承させることを意味する。読み書きとは、読み書きである。先人は漢文を素読した。師匠が読む。その後から弟子が読む。素読については湯川秀樹が祖父から素読の薫陶を受けたことを述懐している。今の子は素読がない。素読をしていない。幼き頃の素読書きの弛まなき練習が芯のある子どもを作りあげる。
 よくこの時期に公文に通わせる親がいる。公文がいいのか悪いのか、そういうことではなくて、公文に就学前に通った子のほとんどが字が汚いということを知っているであろうか。特に、男子にこの傾向が顕著である。しかも、一旦染まった悪字の癖を無くすのは99%不可能である。
 敬語を学べ!
 敬語というのは、平安時代の貴族社会の語法である。貴族は寝殿造と言われた、建物の高い位置から庭に畏まる卑しき者と話しをする。低い所から高い所に「申し上げる」のだ。低い所から高い所に「申し上げ奉る」のである。高い所から「下げ渡す」のだ。敬語を理解するには、この高い所にいる尊い人と低い所、つまり地べたに控えている身分卑しき者との位置関係を念頭におかなければならない。敬語とは、高きところにいる者と地べたに控える者との、主として、低き所にいる者から見た主観的な表現法のことである。
 尊敬語謙譲語は紙の裏表の関係にある。高い者を尊敬するか、低い者が謙譲するか、の違いである。
 ほかに丁寧語というのがある。高低の位置関係はない。相手に敬意を払うという場合の表現法である。
 幼児は、敬語を使えない。いわゆるタメ口である。敬語は親が使わなければ子どもが覚えるわけがない。
 読み書きは、学校で習うのではない。家庭で躾けるのである。敬語も家庭で躾けるのである。
 小6になってもタメ口をきく、敬語を知らない。これはできそこないである。親が過保護で子のわがままを恕すばかりだと横柄な口をきくようになる。これは子にとっては社会的落ちこぼれの予備軍に既にして組み込まれたようなもので悲惨としか言いようがない。
 考える指導とは何か。
 私が考えたのは、まず考える型を造ることであった。その上で、子どもたちは、与えられた事実を型にはまるように構成し、型にあてはめて処理することであろう。
 このために、わたしは、割合のしくみを型化することを考えた。今の竹の会ではあたりまえのミクロマクロ法は、数年の歳月をかけて開発された。試行錯誤を重ねること数十日、まさに百戦錬磨の戦いであった。
 竹の会で考えるとは、まずこの型を使いこなすことを言う。
 型があるから事実の読み取り、分析も、すんなりと頭の中に組み込まれていく。最初の型があるから、亜型、変化型、進化型、新型などの型を修得し易くなる。

 竹の会が考える力を育てるというのは、およそ巷の塾が言うところのただのキャッチフレーズとはまったく異なるものである。
 

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