2023.11.11
🔛「節約」は、美徳❓
節約は、いいことだ、これが世間の常識ですね。確かに、無尽蔵にあるわけではない資源は節約するのが、より長く使えるということで、世の中はそのようなスローガンが認知されています。しかし、この節約は、節約すればいずれの枯渇を先送りできるという意味で、絶望を先送りするという意味の節約です。物を使い捨てにすることは、地球を汚すことであり、この意味の節約は、また別の意味ですね。
家計の節約というのは、家計が破綻しないために調整するという意味ですね。
一言で、節約と言っても、多種多様ですね。
さて、本論に入りましょう。塾にかかる費用を節約したいなら、塾に入らなければいいだけのことです。しかし、世間には、節約的してでも、塾に行けば、受験に成功する、という誤解が、死滅することなく何十年も蔓延しているので、ここでこういう信仰を切り捨てておくのが、後顧の憂を払拭する意味で必要なのかと思いました。
真面目な性格で頭もいい、そういう子がいるものです。もし中学なら内申をしっかりとって、都立も推薦を目標にするのが、いいと思います。たとえ能力があったとしても、塾にカネをかけられなければ、都立上位校に学力で合格するのは難しいと思います。もちろん難関私立などは、もともと行かないとは思いますが、合格は可能性ゼロだと思います。
高校入試の現実
公立の生徒の80%は、低偏差値の私立の単願推薦か、底辺ないし中程度以下の都立高校に行くことになるでしょう。塾代を節約してきた、経済的にゆとりのない家庭も、高校だけは、こうしたどうにもならならない私立に、高い学費を出す覚悟はあるようです。これは昔から変わりません。子どもにカネをかけない家庭も、高校だけは、高い学費を出すのが、実際でした。
3年間に私学に払う学費の総額を考えれば、塾にカネかけて、上位都立、あるいは中より上の都立に行ったほうが、ずっと経済的に得なのかと思いますが、目の前の、塾代をケチる方が先のようです。近い未来に、百万単位のカネを払うことになる、なぜか、そちらを受け入れる。わたしには、昔からそういう親の判断が、なんとも理解できないものでした。
塾と言っても、成果の出せない塾を選ぶ。これはおそらく東京の多くの家庭が、大手に身を託すことで、不確実な、できるようになってるのか、曖昧なままに、最後まで、つまり、失敗するまで、身を投じることになるのでしょう。
一つ言っておきます。
竹の会の中学生は、竹の会のシステムの中で、比類なき数学力をつけ、英語力を伸ばしてきました。
小学生は、入会学年が、大きく影響します。
小2入会の伸びは、群を抜いています。指導開始が、小2がもっとも成果を出していること、早ければ早いほど、小5、小6になって、内から伸びてくる。それはこれまでの思考訓練が一気に開花するからです。
小2だからといって、季節講習を受けないとか、そういう姿勢は、どんどん成功から遠ざかるということも言っておかねばなりません。多くの親たちの、勉強に対する素朴な理想論、能力と努力を怠らなければ必ず成功する、という素朴な信仰、そういう観念を信じて疑わない親たちには、理解できないことです。開成に合格するのは、生まれながらにして、頭のいい子と信じて疑わない、そういう人たちには、もともと次元の違う世界に住む人たちの、低次元の信仰世界の話しでした。
能力と努力はもちろん必要です。しかし、それだけでは受からない。そのことがわかっていない。いや永久にわからないし、理解できない。
勉強は、節約とかいう観念とは、相容れない性質、本質のものです。また、勉強は、本人の独学でなしえるものではない。
小4では、いずれわかると思いますが、小6になって、時間不足になる。つまり、小4入会で受かるには、かなりのもともとの知能がなければ無理ということです。潜在的に眠る能力を引き出すには、小2しかありません。この時期から潜在する能力を遅々と、そうゆっくり刺激する、継続することです。
小学生の指導は,最初が肝心です。初期の訓練が後々ものを言うことになります。ずるずると先送りし,ようやくそのときになってやる,それが多くの親のやることですが,そのときはもう遅いのです。そいう親に限って,塾にやっているのに成績がよくならない,と的外れなことを言うものです。教育とは先行投資によって成功するものなのです。
(この原稿は,一般公開の前の会員公開です)