2021.08.31
◎力が、能力が、届かないのに、受検を諦めない子たちの思いとは
「小石川に行きたいです」「この子は小石川の見学に行ってから小石川に行きたいと言いまして」。これまでに私はこの言葉をどれだけの母子から聞いてきたことだろうか。そういえば「桜修館に行きたい」という子たちも思いは同じだった。
私は軽軽に「合格できます」なんて言えないし、むしろ落ちることの方があたりまえの志望校であり、正直複雑ない思いであった。努力すればと言うけれど、志望校の高さから努力が実を結ぶ蓋然性は限りなくゼロに近い。それがわたしの経験値である。
確かに、「えっ、受かってた」ということはあった。白鷗、富士でそういう経験をした。
「えっ、落ちた!」という経験、あった。
小石川、白鷗、桜修館はいつもそうだった。
模試の成績がいい、レジュメの感触もいい、そういう見通しがあっても落ちた。それが試験である。この辺は、私も敗因を分析し、指導の中身を改善してきた。
「えっ、落ちた」はなくならないけれど。
限りなくゼロは私の経験の中では変わらない普遍の真理であった。
奇跡は起きない。起きたことなど一度としてない。
学校を、見染めた子どもたち、そしてその子どもの夢を叶えてあげたいと懸命の親たち、私には胸の痛いほどその心情が伝わってくる。
しかし、私の、36年は、そうした思いが非情に潰され、涙と悲しみによって塗り重ねられた36年であった。かける言葉もなく、ただ泣く、涙に暮れる子や親の顔を見るのが辛かった。
受験、受検というのは、個人の主観など、1ミリとて斟酌しない、非情なものであった。実力だけというか、試験の結果だけで判断するだけである。本人の受かりたいという思いなど関係ない。合格点が取れたかどうか、それだけだ。ダメなら無情にほんとうに事務的に「ノー』と判定するだけだ。
限りなくゼロに近い、それでも諦めない。それならば、私も打てる手を打つ、だめだろうとわかっていても、妙策を打つ、わたしのできることはやっておく。
模試が、現実を示す。だめだな、そういう思いが私の脳裏を掠める。
それでも健気に勉強に取り組んでいる、そんな姿を見てきた私が、
その日が来たら、わたしは君たちのために、ひとり泣くだらう。
そう、わたしはひとり泣くだらう、それしかできない。
26年2月9日、3人受けた小6が全滅。
10日だったかな、夜帰りの道で、涙が止めどもなく流れてきて、困った。暗闇の街路をとぼとぼと歩きながら泣いていた。子どもたちのことを思うと涙が止まらなかった。寒い冬、桜の春、暑い夏、哀しげな秋、それから冬、一年、二年と共に頑張ってきた。
数年が過ぎて、一人は東北大に、一人は杏林大医学部に、一人は慶應にと便りがあった。あの時の私の気にかけた子たちからの報告が、少しだけわたしの心を軽くしてくれた。
ひとり君たちのために泣いた、わたしの涙が通じたのか。何年も経ってわたしの、気がかりを知って知らせてくれたのか。わたしのことを竹の会のことを忘れないでいてくれた。「先生、もういいですよ。わたしたちは無事合格して先生の期待に応えることができましたから」と、子どもたちが手を振りながらにこやかにそう語りかけているような気がしてならない。