2020.12.08
◎コツコツと努力した人間と才能を過信した人間のその後
表題の差が歴然とするのは、高校入試の場合です。区立中学というのは、勉強をサボる、怠けるには、これほど居心地のいい環境はない。部活などは勉強しない、ないしできない大義名分として、水戸黄門の印籠なみの神通力である。部活やってると言えば、先生も親も何も言わない。親の中には、部活を率先して応援する人間もいる。「困ったものだ」と言いながら、部活顧問、コーチの先生に気を遣い、勉強を心配する親もいる。区立中学の部活の顧問には、露骨に子どもや親までも恫喝する者もいるから、子どもは止められない。まるでヤクザだ。足を洗うならどうなっても知らないぞ、つまり、内申は保証しないぞ、と暗にちらつかせる。少なくとも体育は2を覚悟しておけ、ということか。
母親には、1週間クタクタになるまでスポーツやっても日比谷、西に受かると信じているのが必ずいる。勉強はスポーツを限界までやって残りの時間でやれば十分、それでもうちの子なら合格できる、そう言いきる、親もいた。
いつも言うことだが、中1、中2までなら、それで頭が良ければ乗り切れる人もいる。が、中3はそうはいかない。中3というのは、中2までに中3の英語、数学の履修事項は終わらせて、さらには、高校入試問題の中レベルは終わらせて、理社についてもほぼ仕上げて臨むものである。中3になったから、スワ、中3の勉強をしましょう、というものではない。中2までにある程度仕上がっている、のが前提なのだ。中2までに仕上げた連中はどっと伸びてくる。それは怒涛のように伸びてくる。中3になってそろそろ教科書始めましょ、という牧歌的な人たちには、あれよあれよという展開になることであろう。この牧歌的な人たちは、中3になっても部活は止められず、どうしても勉強は先送りになる。部活を引退したら頑張るとでも考えているのであろうか。特に、2学期の定期テストはたいてい点が取りきれず内申を下げる。当たり前だ。中2までの優等生が初めて現実を知るときである。仮に内申を持ち前の優等生ぶりを発揮して成功裏に維持しても、なにしろこれまでの勉強からはとても実力はない。だから都立推薦にかける。しかし、一般入試では、中レベル以下の都立に行くしかないのだ。内申のない子たちには、そういう選択肢はもちろんない。たいていは私立、しかも低偏差値の私立の単願推薦、つまり無試験で入学する。これで終わりではない。こうして楽々進んだ低偏差値高校の中途退学率が高いことを知っているだろうか。勉強もろくにしないで、望んで行ったわけでもない高校だから、面白くもない。中学でまともに勉強などしてこなかったから、授業もわからない。だから面白くない。低偏差値の高校だから周りは皆自分と変わらない。つまり質は均一化している。いやそうでもない。もともと頭の悪くなかった子が勉強サボってきたのだとしたら、周りは自分には耐えられない質の人間がウヨウヨいることになる。
これが都立新宿クラスだと周りは賢い、理知的な子ばかりとなる。陰湿なイジメもない。ただ教師のレベルは保証の限りではない。いやいい教師ばかりなのだと思う。だが、時に理不尽な教師がどこにもいるものだ。特に、体育教師には癖の強い教師が多い。公立中学だとそんな教師ばかりのような気がする。教師には、バランスの取れた人材がむしろ普通なのかと思うが、時に、ありえないのがいる。100m走でフライングしたら、もう走らなくていい、と言い内申2にされた、テストの点は90点を超えていたのに。テストの点はすべて90点以上なのに通知表は、3と4ばかりというのが、今の公立中学の内申制度なのだ。授業中の態度、提出物、小テストなどを評価して決めるということらしい。そうなると圧倒的に女子に有利な制度ということになる。
しかし、内申はわからないところだらけである。教師の質、偏見、好悪が如実に反映しているふしがある。オール5の女子、学年1番というのが、必ずいる。野球部、学年2番というのもいた。この優等生たちの多くは中3で脱落する。が、中には本物がいて、日比谷クラスの都立に推薦で合格というのがいる。あるいは、一般で日比谷受けて、理科社会100点というのもいた。この100点取った女子が7回回したというテキストが、今竹の会のメイン配布テキストとなっている。共通問題時代は、数学、国語、英語で、よく100点というのが出たが、独自校になると、100点を取れるのは理社ということになった。だが、竹の会で独自校時代に理社100点というのは、いなかったと思う。
コツコツ真面目に勉強するというのは、特に、高校に入ってものをいう。トップ都立高校は、高校入試を経て入学した者で、粒は揃っている。しかし、私の知る都立西では、100番内にない者は、多く落ちこぼれる。この事情は戸山、青山、新宿でも変わらない。日比谷については、よく知らないが、間接的な卒業生の情報からは、やはり相当数の落ちこぼれが推測される。
かの開成高校にしても、卒業生の著書から落ちこぼれがかなりの数いることが報告されている。
さて、能力のある者が、どうして落ちこぼれてしまうのか。
中には、開成にしても、日比谷にしても、入るまでが、精いっぱいであったという生徒もそれなりの数はいるであろう。が、ここで高校、特に、進学校というものの認識について、どう認識しているか、が大きな分かれ目になるのか、と思う。この辺の分析はわたしの経験、そして35年間子どもたちを見てきたことも踏まえて、まず、高校を学園生活を楽しむものと考えている人たちがいること、次に、高校は大学へ行くためのステップ、過程に過ぎないととらえている人たちがいること、この2つの認識の差が子どもたちの未来を分けているように思います。学園生活を楽しむという人たちは、勉強も先送りにする傾向が強い。つまり、落ちこぼれ予備軍はこういう認識の人たちで形成されている。
話しを中学に戻します。中学です。わたしは、真面目に勉強に取り組んできた、能力的にはさほど恵まれていない生徒が、新宿や青山に合格していった例を何例も見てきました。そして、能力の高い子たちが、勉強をサボり、部活に明け暮れ、低偏差値の私立に流れていったのを、こちらはほんとうに多数見てきました。
これは高校だと、さらに顕著で、毎日勉強に明け暮れるという生徒が、結局は高3になって上位にいる、ということは、進学校では、よくある話しです。高校というのは、一日も休むことなく、勉強に没頭した人たちが、高3になって、東大、京大、東北大、はたまた早慶などと渡り合えるのです。いいですか、粒が集まったトップ都立では、頭は関係ない。毎日7時間一日も休まず勉強した人間が勝ち残る、それだけのことです。いくら頭がよくたって、勉強しない日があるような人間は落ちこぼれていくしかない。
勉強トリセツは、明白である。一日でも勉強をしない日があってはならない。そして一日に勉強と付き合う時間は7時間を下ってはいけない。これだけである。これさえ守れれば、高校なら旧帝大、中学ならトップ都立を視野に入れることができる。
私の幼馴染の、近所のお屋敷に住んでいた、幼稚園から中学まで同じ学校だったF君は、中学時代毎日7時間勉強していた(理科の先生の話し)。彼の勉強部屋は古い蔵を改造したもの、彼はそこにこもって勉強した。彼は三年間学年1番(550人中の1番)、中3の最後の考査では500点満点の500点を取った、これは開校以来初めてのことだと大騒ぎになった。彼は理科の冊子が自分だけ足りなかったとき、友達から借りて、一晩でノートに写しとった。まだコピーのない時代のこと、そのノートはあのレオナルド・ザ・ビンチのノートを思わせる、精緻なものだった。図はまるで写真のようにリアルだった。彼は大分県の当時の御三家の一つ県立上野丘高校に進み、学年3番だった。当時の上野は東大30人以上合格していた。その3番である。彼は東大理系に現役で合格した。大学では白ヘルメットで学生運動をやった、これがテレビに写り、父親が仰天して他界。彼はその後、大分の理系の私大の教授になっていた。が、若くして心臓発作で亡くなった。父親と同じ死因だった。
幼稚園から彼と過ごしてきた私は幼馴染の、天才の、壮絶な人生の、目撃者となった。
私には、勉強というものに対する、憧れにも似た、畏敬の念が、常にあったのだと思う。だから習い事、稽古事をスポーツを楽しみながら、受験をするという人たちが理解できなかったし、両立を言う人を何様なのかと訝ったし、中学で部活しながらトップ都立をめざす人たちには距離を置いて眺めるだけだった。高校で勉強しない日がある人を落ちこぼれても仕方ない、と切って捨てた。
わたしは、我が母校に補欠2番で入って学年2番で卒業した人の話をその当人から聞いた。その人は母校の数学の先生だった。毎日勉強しない日なかったというその先生は、毎日欠かさずその日にあった授業の復習と予習を黙々と続けたという。そしたら気がついたら学年2番になっていたという。わたしがその話しを聞いたのは、高校に入学したときだった、わたしは結局その話しを生かせなかった。
子どもたちに、勉強を教えるようになって、わたしの姿勢は、親たちに、厳しいと思われているかもしれない。勉強の素顔を見てきたわたしには、とても勉強を「ついで」に扱うことなどできなかった。適度とかほどほどとか、勉強とは、そういうものでは決してないという信念があった。手を抜けない、関わればどこまでも奥の深い、そういうもの、勉強とはそういうものではないか。
勉強はあなたの離心を決して許さない。
勉強を裏切ってはならない。ただの不作為が勉強を蔑ろにする。
竹の会は勉強を教わるところではない。わたしは勉強の素顔を目撃してきた人間として、勉強の使徒としてあなたたちに勉強教の啓蒙、普及に力を尽くしている、そう思っている。