2023.03.23
合否判定の竹の会基準の完成
確かなことは、竹の会の子たちは、竹の会のレジュメだけで合格して来たことであった。竹の会のレジュメだけで合格したのだ。
考えてみれば、そうだった。平成23年までは過去問合格法が軸であった。平成24年から創作を始めたレジュメシリーズを、それのみを使って合格したのが、25年の小石川・白鷗・桜修館合格者たちであった。ほかに何も使ったことは一度もなかった。いや平成30年あまりにもレジュメの正解率の悪さに過去問合格法を取り入れた年もあった。しかし、その過去問を使わないときのほうが合格したのだ。
わたしは何をしていたのだろうか。灯台下暗し‼️ 竹の会のレジュメしかやらなくても模試では常に上位を取り、合格して来たではないか。わたしは何を求めていたのであろうか。何かほかに真理があると思い込んでいたのか。
他塾の模試で成績なんか取れなくても、竹の会のレジュメだけで合格できたではないか。
もっと竹の会のことを、自分のことを信頼してよかったのではないか。模試という空虚な制度にすっかり毒されていたのか。
世の中には、権威ばかり、名ばかりで、看板だけで、空虚な器ばかりが、幅を利かせて、人を誑(たぶら)かす。
高校受験だとあんなに自分に自信が持てるのに、都立中受検だと弱気になってしまう。まだまだブレる。子どもたちには本当に悪いことをした。わたしの迷いから竹の会のレジュメを軸から外してしまった年もあったか。それはレジュメの正解率の低さのゆえの危機感からであった。
とてもプロとは言えない。高校入試ならわたしの自信はどこから来るのか、底知れぬ、燃えたぎる情熱、自信がみなぎるのに。
日本一の難関筑駒だった怖くない。開成だって怖くない。駿台模試で全国1位をとることだって、できる自信は秘かに持っていた。だれにも言わない。言っても信用してくれないだろう。事実で証明するしかないのだ。
わたしの高校入試に対する自信はどこから来るのか。
これが都立中高一貫校になると、途端にブレる。実際はわたしのレジュメだけで合格してきたのに。わたしのレジュメがこんなにも信頼度の高いものとは自分では意識していなかった。
小学生相手ということがわたしの判断を狂わせたのか。
まだ幼い、未熟さが、わたしの予測の正確さを揺るがせたのか。幼い子どもをコントロールするのは苦手なのかもしれない。
唯一わかったこと、それは私の作るレジュメが、高い合格水準にあったこと、いやトップレベルにあったこと、である。
わたしは、わたしの作ったレジュメだけを使えばよかったのだ。
理想は、手塚治虫のブラック・ジャックのように、ピンポイントで、的確に、適材適所なるレジュメを手当てできればと思う。
わたしは、思考にいいレジュメを作り、子どもの何が足りないかを診断し、ブラックジャックさながらに、まるで外科手術のように、腫瘍を除去し、わたしのレジュメの思考を移植したい。良薬として私の創作した思考にいいレジュメを投与したい。
子どもというのは生まれながらにして、能力の制約を受け継いで生まれてくる。本人にはどうにもならない。ここを無視して、徒に知識を、仕組みを理解させようとしても、それは決して成功することはない。そんなことはわたしの苦い経験をあげるまでもなくわかっていることである。しかし、親はそんなことはわかっている、いるけれど一縷(いちる)の望みにかける、「できます」という塾の営業語を信じてみようと思う。小学生は、そういう誤魔化しの被害者となる。しかし、ここで誤魔化して「わかっている」ことにして、先へ進めては、その子の未来を本当に潰すことになる。小学生の間はいくら時間をかけても、基本の思考の枠組みを何十回、いや何百回でも反復取り組ませて体に覚えさせなければならないのだ。わたしは、「受検は無理だ。高校入試で頑張れ。そのために今は基礎をしっかり勉強しておけ」と知能的には未熟な子どもに語りかける。小5、小6の子にそういう言葉をかけたくても、親も子も受検というお呪いにかかり、聞く耳を持たない。今、基礎を疎かにしたまま、意味のない適性練習なんかに時間を費やしていたら、結局基本さえもままならない子を作ってしまう。中学で途端に破綻することは見えている。そんなことは火を見るより明らかなことなのに、親も子も絶望の谷底に自ら飛び込もうとしていく。わたしには、止められない。止められなかった。受検という魔界の空気が覆うあの頃の年代にわたしに何ができようか。
まだ幼い子どもには、わたしの言っていることが、その真実が伝わるか、わからない。だけれど、わたしは、助けたい。小学生の間は基本を基本だけをやってほしい。そうしたらわたしが高校入試できっとなんとかしてやる。お願いだから、受検でせっかくの未来を捨てないでほしい。
リハビリをしているのだ。生まれながらに能力に制約のある子は、まずリハビリからなのだ。システムに乗れない子に何をしようというのか。
リハビリだから時間がかかるのは当たり前のことだ。定義がまずわからない。教わること、教わること、全てが断片的なピースで、意味が繋がらない、繋げない。そうだと思う。だから定義のところをしつこいくらいやるしかない。毎回、始まりは定義からなのだ。だからそういうテキストを執筆したのだ。
かつてわたしはおそらく今で言う発達障害の子、自閉症の子を毎回毎回絶望しながら教えてきたのだと思う。
あるとき思った。そういう子はもういいかな、と。わたしは、早稲田実業高校を受験した生徒を指導したときは、毎回毎回湧き起こるアイデアをワクワクしながら指導したっけ。いつも心は満ち足りていた。わたしの「こうしたい」「こうすれば」という思いが、いい方に当たる。私はこのときほど自分がプロだと意識したことはなかった。そういうときのわたしは、必ず勝った。戦いに勝った。しかも、勝ち方が凄かった。早稲田実業高校合格のときは、渋谷区でただ一人の合格、しかも河合塾、代ゼミに通う同級生は全員落ちた、という後日談つきだった。こういうときのわたしは自分でもわからない、神的な力を発揮した。27年都立戸山に合格した生徒は、小5からみてきた。両国中を落ちた子だった。彼は中野区の中学、160人中の常に5番以内。同級生のほとんどはenaとか、早稲アカに通っていた。戸山志望、中には中1から戸山絶対で早稲アカで頑張ってきた友人もいたという。enaの子たちが得意げに、ena配布の教材を見せびらかしていた、と私に報告してきたものだ。
結果、彼の中学で戸山に受かったのは、竹の会の子一人だけでした。ENA全滅。早稲アカ全滅。しかもなんとその中学の最高の都立が戸山だったというおまけつき。女子には内申が40〜45の生徒が多く、男子の最高は39ということでした。その女子は内申がいいというので日比谷の推薦などに挑戦、軒並み討ち死に。受けた都立は、恥ずかしいくらい下の都立でした。内申と実力が乖離し過ぎている女子の典型のなれの果てです。
高校入試には、私には、不思議と負けない気構えがある。ただし、わたしに隠し事なくすべてを曝け出さなければならない。それから自尊心は、両刃の剣となる。自尊心がいい働き方をするときは、それは自信となる。しかし、実力の伴わない空虚な自尊心は悪い働き方をする。最悪、破滅をもたらす害悪となる。
わたしは高校入試と同じくらい、都立中受検に自信を持ってよかったのだ。
わたしの作り出すレジュメは、最高レベルの質を持っていた。高校入試ならどのレジュメをどういうときに使うか、的確に判断できた。かつて過去問合格法を編み出したとき、わたしは、首都圏のほとんど全ての過去問を解き尽くし、教室には、どの高校の過去問も何十年分も備えてあった。たとえば、2次関数を指導するときなら、どこの高校のどの問題がどのレベル、どういうタイプかが瞬時に想起できた。だからすぐ取り出して、コピーして、使った。過去問合格法とは、わたしが、テーマに最も的確な高校の該当問題を選び出す技術のことあった。わたしは、この方法で多くの奇跡の合格を勝ち得てきた。
中学受験の指導でもやり方は変わらなかった。過去の中学受験はすべて過去問合格法に拠った。
都立中制度がスタートして、わたしは、その対策の研究に没頭した。過去問を解き尽くし、そこからレジュメ制作に取り組んできた。しかし、レジュメの質が、既に合格レベルを超えていたのに、不安から、やらなくていいことをしてしまった。少ないレジュメを使ったときの合格率がいいことを偶然にしか思わなかった。全てわたしが自分の作ったレジュメにもっと自信を持たなかったせいだ。
わたしの作るレジュメは、すでに都立中問題のレベルを超えていた、というより都立中の核心を突いていたのに。
高校入試のときのように、ブレることなく、指導できていなかった。
高校入試なら、筑駒だろうが、開成だろうが、迷いは1ミリもなかった。自信しかなかった。大手の天才たちを私はごぼう抜きにできると思っていた。それを事実で証明してみせたのが、令和4年の合格にほかならない。
令和5年の桜修館合格は、わたしに、竹の会の指導の質の高さを、わたしの作るレジュメの質の良さを、諭してくれた。もっと自信を持ってもよかったのだ。何をぶれているのだ。
わたしはもう迷わない。あの悪条件、最悪の状況の中で、わたしは合格させることができた。
わたしは高校入試を専門としてもうすぐ40年に達する。長い間高校受験の指導をしてきた。都立中は、平成18年からだから、17年になるのか。わたしが、どうしても自信を持てなかった原因は、やはり、小学生の弱さにあったのだと思う。幼い判断。未熟な判断。感情に影響される子たち。だからレジュメの効果が見えない。よく考えて見ると、成功したのは、責任を「取る」子だったような気がする。できないのは、自分のせいだ、と責任を取る子が合格している。責任転嫁する子は決して受かることがなかった。他人依存度の高い子、それはとりも直さず親依存の強い子であるが、そういう責任転嫁型の子はおそらく親も同類であり、そういう親子ほど合格からは遠いのだ。そもそも自分の責任を問うから成長するのであり、他人のせいにしている限り成長は止まったままである。よく復習が大事というが、復習とは反省であり、反省とは、自己の責任と痛感することに他ならない。
竹の会のレジュメができれば合格水準にある‼️
だから最終的に、竹の会の最高レジュメが不可もなく解けるようになっていればいいのである。
昨今の乱立した大手塾の各仕様の模試には全く信用などない。そこでもらった合格判定はもちろん合格を保証しないし、その蓋然性も信頼できない。偏頗(へんぱ)性に満ちた、バイアスのかかった問題などで一喜一憂する親の見識を疑う。
数年前直前の早稲田模試で4番を取った子が小石川を落ちたことがある。その子の竹の会のレジュメの正解率、解答速度は評価できないものだった。つまり、竹の会のレジュメ判定で合否は否の方に傾いていた、ということである。
わたしが一番信頼しなければならなかったことは、ほかならない自分の作ったレジュメだったのである。
レジュメ判断の重要ファクターは、1️⃣レジュメ正解率(8割超) 2️⃣解答速度(解答に要する時間) の2点に尽きるであろう。
要するに、正解率の悪い子は落ちる❗️ 時間のかかる子は落ちる❗️ ということである。
他人に聞いて「できた」「わかった」ことにしている子は、もちろん要件該当以前の審査で不合格判定となる。
また、わからないというので、解説を見る、説明を受けるなどした場合も、合否判定のしようがない。というか1️⃣の要件に非該当となる。
正解率の悪い子でも、程度がある。
解き直し7回で救われる可能性について
これは解き直し7回をすることによって、わたしの最終審査問題の正解率が最低でも7割超になるか、ということである。いくら解き直しをしてもわたしの最終審査問題で不合格判定なら当然本番でも合格はない。
解き直しして合格可能性があるのは、指導レジュメ正解率6割がおそらくであるが、基準となるのではないか。令和5年桜修館合格者は、もしかしたら5割前後だったかもしれない。
つまり、正解率が5割から下がるにしたがって合格可能性は下がっていく。そもそも解けない子が、受検しても合格することはないのは当たり前のことである。
都立中模試が信用ならないのは、各塾で問題に統一性がないところにもってきて、その塾の所属塾生が中心の母数だからである。その塾の教材、授業が前提の問題だからである。高校入試のように、模試を外部の団体が主催し、都内の受験生のほとんどが同一模試を受けること、ある学校を志望する生徒のほとんどが受ける体裁になっていること、になっているなら問題はない。しかし、今の都立中模試はまったくばらばらの勝手なデータでしかない。母数が少ないから、酷いところでは、40人の母数で、合否判定を出したりしている場合もあり、推定合格率の推定がそもそも前提を欠くのである。
合否判定は、竹の会の最終審査問題がベストである。
この最終審査問題を7割超の正解率だったのが今年の桜修館合格者であった。令和3年に作られた「合否判定レジュメ」は、令和3年の桜修館合格者3名を輩出した。
わたしは、自分の作るレジュメをこれからは唯一の審査基準として、合否を判断することであろう。そこにブレはない。迷いはない。