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図解記憶法

2022.10.11

 

図解記憶法
 複雑な情報を単純化する。
 言葉と言葉の関係を矢印で結ぶ。
 試験問題に出るような知識は、極限まで精緻化すれば言葉と言葉の関係に還元できる。
 関係とは、因果、対比、並列、抽象と具体の4パターンしかない。
 並列のみ⇆の関係
 勉強とは、読解とは、図解である。図解とは、図を用いて複雑な情報を単純化する、整理することである。
 そのときに「矢印で結ぶ」という整理をする。
2つの関係に還元する
 「→」で結べる関係に還元する
必要条件、十分条件、必要十分条件について
 ※大辞林
 ひつようじょうけん【必要条件】
ある事柄が成り立つために、必ずなくてはならない条件。「pならばq」という命題が真であるとき、qはpの必要条件という。⇔十分条件。
じゅうぶんじょうけん【十分条件】
それがありさえすればある事物が必ず成り立つような条件。「pならばq」という命題が真である時、pをqであるための十分条件という。⇔必要条件。
ひつようじゅうぶんじょうけん【必要十分条件】
ある事柄が成り立つためには、必ずなくてはならない条件(必要条件)と、その条件が成り立つときに必ずある事が成り立つような条件(十分条件)の二つを兼ね備えた条件。「pならばq」と「qならばp」の命題がともに真のとき、pはqの(またはqはpの)必要十分条件である。必要にしてかつ十分な条件。同値。


林檎→果実
林檎は必ず果実ですから、この命題はです。
判断のポイントは、命題が必ず「真」であることです。命題が偽ならそもそも成り立ちません。このように→で表すことがコツです。このとき、→の先にあるのが必要条件です。→の出発点にあるのが、十分条件です。
果実→林檎
はどうですか。
果実は必ずしも林檎に限らないから、この命題は必ずしも真とは言えない、と見ることもできます。
通常、林檎<果実 ですから、林檎は果実に含まれる。このように、広い概念の方が必要条件、狭い概念の方が十分条件と言えると思います。必要十分条件とは、=の関係にある場合、つまり概念の広さ、包摂関係が同等の場合と言えるのではないかと思います。
 国語で前提を問う、考えるということが、読解の手順としてなされるのはご存知かと思います。この前提というのは、概念の包摂関係で説明すれば、概念の広い方が、つまり必要条件とされる方が前提概念である、ということです。そこで読解の技術として、→を使って概念相互の関係を表す、ということが、できるということです。これは国語読解の新たなる方法論を提示するものです。
 わたしは、数学を極め、そして算数指導理論を完成し、次は国語読解の新たなる指導理論の開発に情熱を燃やしています。確かに、算数、数学はもって生まれた才能によって100%規定されるであろう。しかし、算数ができても国語のできない子の存在は紛れもなくある。算数が上達しても国語読解があまりにも稚拙な子たちを見てきて、これはなんとかしなければならない、と指導者としての私の血が騒ぎ出したのである。
 そのとき、読解を頭の中の論理の問題だとして、読む訓練とか、語彙を増やすしかない、と一蹴するのでは、塾として済まないのではないか、と考えるようになったのである。なんとかできるのであろうか、わたしなりに方法論を思案する日々を過ごしてきた。
 必要十分条件の概念はわたしにそのヒントを与えてくれたのではないか、と考えています。
 頭の中にずっと潜在的にも思い続けるということは、日々の生活の体験をきっかけに答えを見つけることにつながる。それは偶然に訪れる。わたしはそう信じています。
 特に、最近「矢印」の効用、いや威力というものに、注目しています。人間は、矢印に敏感に反応する。矢印のすごいところは、関係を一目瞭然にすることです。矢印の指し示すものが、矢印の生まれ出た所との関係を直感的に理解させる。これほど図化を有用たらしめた記号はない。矢印は、数学では、ベクトルを表す記号として、使われる。先程述べた必要条件、十分条件でも矢印が使われた。ベクトルでは、矢印は、力の方向と大きさを表す。矢印であるから、出発点と到達点がある。これは、時間の流れ、時系列、そして因果の関係、論理の前提関係、順序の関係、力を及ぼす関係など多種多様な使い方ができるのだ。
 さらに、今度は、数学で考えて見ましょう。必要十分条件の話しです。
 xyzを実数とすると、
 xyz=0はxy=0であるための必要条件ですか、十分条件ですか。
 まず、xyz=0→xy=0 は真なのか。xy=1でもxyz=0ですから、この命題は真ではありません。
xy=0→xyz=0
これは真です。よってxyz=0はxy=0であるための必要条件であるが、十分条件ではありません。
必要条件、十分条件の問題は、矢印を用いて命題の関係をはっきりさせるのがコツです。すなわち命題p→qが真であるとき、矢印の先が必要条件である。

 
「何が何として何とやら」、という作文の極意について
 書き出す前に具体的に当てはめて書くテーマの骨組みを作る。
 「何が」 問題提起
 「何して」 展開
 「何とやら」 結論
 「何が」の書き方
  世間では「あたりまえ」とされているけれど、果たしてそうなのか の問題提起パター
 このパターンについて、非常に貴重な文献があります。今日は、この書物の参考になるところを引用して、ご紹介したい。
 参考文献 「未来形の読書術」石原千秋
 ①「ふつう」の人の考え方
 ②しかし、それを前提としても、それは「ふつう」ではないのではないか。
 ①は、常識と言える部分
 ②は、それに対する批判的検討
これが評論の構造です。
 「ふつう」というの、「ふつう」の人が「ふつう」に考える、いや思い込んでいる、常識というやつです。
 批判というのは、その「ふつう」が実は少しも「ふつう」ではない、ということの馬脚を露わにすることです。鷲田清一はその著者「ちぐはぐな身体」の中で「ふつう」の人は、「自分の身体のことなら自分が一番よくわかっていると思い混んでいる」と考えている。それを前提として、「いや、実は自分の身体ほどわかりにくいものはないのだ」と説いている。これが評論である。見事な二元論である。
 この二元論の方法を真似してほしい。

 「何して」 体験談を書く。
  適性作文では、必ずこの体験に基づく根拠づけが必要です。体験は作文に説得力を与えます。生命力を吹き込みます。体験の書き方ですが、5W1Hで簡潔にまとめなければなりません。長々とだらだらと思い出しながら書くのは、なんともだらしない作文にしてしまいます。いつwhenどこでwhere誰がwho何をwhatなぜwhyどのようにhowしたのか」です。この要素を簡潔に書けばいい。400字も使ってだらだら間の抜けた体験を書くのは減点です。
 体験はポイント(5W1H)を押さえて、簡潔に書くことです。
例えば、「私は、小5のとき、移動教室で日光に行った。そこで東京とは違う爽やかな空気、山間部特有の蝉の鳴き声に不思議な感動を覚えた。」のような感じです。「何とやら」とは、結論です。体験を根拠にして、「よってわたしは…と考える」でしめる。
 例えば、「よってわたしは、年齢を「個」で表すことに、特に、問題はないと考えます。」の如し。
 こうして、
 骨組みができたら、枝葉を膨らませて字数を調整する。
 私の考えは、抽象的な文章で締めくくらなければなりません。問題に対する答えとして、一つ定義を提示する、というものになるかと思います。定義とは、例えば、「環境問題とは、私たちの生活の質の問題である」と定義するが如しです。
 

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