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抽象こそ思考の極み 

2022.04.25

 本日の「新草枕」のテーマ 「抽象こそ思考の極み」 「国語の読み方と解き方講座第1回」

 「新草枕」では、次回から国語の問題の解き方について、様々な文献から知恵を借りて、具体的な方策を指南していくシリーズを開始することとしました。題して、「国語の読み方と解き方

 その前に、国語ができないということの意味を整理しておきましょう。

 国語ができないという場合に、語彙が足りない、という人は、これからわたしが講義する講義を読む資格を持ちません。

 語彙が無い人間が、「読み方」をいくら学んでも文章を読めるようにはなりません。

 語彙が不足している人間が見ている文章は、黒塗りの教科書だからです

 抽象こそ思考の極み 

 注 この論考は「新草枕」の論考の一部を抜粋したものになります。

 抽象化というのは、比べるという思考が忍び込んでいる。比較を効果的に成功させるには、その前提として、抽象化しておかなければならないからだ。
 抽象化とは、具体的な比較対象から、共通項を括り出す、ことである。共通項というのは、具体的事象を総括的に包み込む広い概念である。例えば、「音楽」という言葉を聞いて、私たちは、さまざまな音楽の態様を想像することであろう。そうした具体的なものをこの「音楽」という概念は、見事に抽象化している。もうお分かりかと思うが、抽象化というのは、言葉が物の属性を表す特性を捉えたものである。
 国語の選択肢問題が、できない生徒がいた。ほとんど間違ってしまうのである。おそらく彼女の頭の中は、具体的なものを具体的なままに、他の具体的なものと比較したのではないか。選択肢問題は、共通項を見つける、のが攻略法である。しかし、近頃の問題は、一見して、共通項と判断しにくい造りになっている。全く同じ言葉を使っているものは減り、類似、同じ意味の違う言葉を使い、それが共通項であることをカモフラージュする。巧妙に隠す。
 共通なものでなければ、比べられない。比べられるのは同類だけである。これは、算数の単位あたりの計算でも、同じ単位の数を「比べる」のであり、違う単位の数は、比べようがない。
 だから、選択肢の問題では、「比べて」解くとして、まず、そもそも同じものか、同類かを確認してからの話しである。
 違う選択肢は、どちらが正しいのか、比べようがないのである。
 それでは、違う選択肢には、何が語られているのであろうか。
 なぜ違うことになるのか、である。そこには、違う、つまり評価が異なる、根源的な理由というものが、あるからである。その根源的な理由とは、いったい何なのか。こうして、違う選択肢は、問題の本質のありかを教えていることがわかる。
 その根源的な価値というのは、ほかでもない、本文で筆者が執拗に主張するところであろう。
 私たちは、普段の勉強で、抽象化の訓練をこそ積まなければならないのである。
 考えるとは、抽象化をする思考のことにほかならない。
 

 

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